私は、この

「実家が太い」という意味、表現を

つい数カ月前に知ったばかり。



実家が太い



調べてみたら、「太い」の新用法として

一部の国語辞典にも

追加されているそうですし、

2021年の『今年の新語』には

「親ガチャ(子は親を選べないこと)」が

入選していたらしいですね。

驚いたのは、

私はまったく知らなかったのに

50代60代の上司だけでなく

80歳になるじいじまで

「実家が太い」「親ガチャ」の意味を

知っていたこと。

私の父は、新聞やTVのニュースも

一字一句漏らさず何時間もかけて

読んだり見たりしていますし、

近頃は

インターネットまで使う先進的ジジイで笑

ものすごい勉強家なので、

まあ知っててもおかしくはないですけど、

これは私の方が完全に勉強不足でした。

こうして若い世代だけでなく

広く使われるようになった今では、

「実家が太い」というのは

収入や財産といったことだけではなく

権力等を含んでの「力がある」

といった意味に近いような気がします。



どんな親の元に生まれたかを

意識せざるを得ない時代背景があった

…との民論もありましたが、

ワタシ個人としては

「親ガチャ」というこのスラング

使い方によってはそうは思わないというか、

ガチャは言い訳でしかないというか、

まあ、あまり好きではなかったです。

今までは。




ぶっちゃけ、

子供目線から私が言えば

私は、実家が太い。うん。

すみません、自慢とかじゃなくて。

今はちょっとだけ我慢していただいて笑

続けて読んでいただけるとありがたいです。

いや、

太さは大したことないかもしれないけど、

地方在住というのがデカいです。

小さな小さな田舎町ですから、

父の功績による名声や

そこからもらえる恩恵というのは

都会にいる以上に顕著でした。

お父さん、おじいちゃん、様々です。

これは過去投稿にも、よく書いていて

現実、私や一族が

ご先祖様から受けている恩恵は多大で、

今の暮らしは祖父や父によって在るもの。

私は、本当に恵まれていますし

親ガチャに“成功した”と言えます。



それでも私は、

この「親ガチャ」という言葉が

好きじゃない。悲しくなるの。



それは、私には

息子達に対する負い目があるから。

私は「親ガチャ」には成功しているけれど、

息子達にすれば

「親ガチャ」は失敗ですもの。



私は離婚をして、

理不尽な不幸を

息子達に味わわせてしまっています。

母子だけの暮らしを始めた当初は

別居する時に持ってきたベッドで

ギューギューになって

三人で寝た日々もあったし、

まだ家具を買い揃えられていない

何も無い新居で

床に座って三人でご飯を食べた日も

ありました。

大学だって、長男においては

私の懐事情を気にしてくれた

進学先でもあります。

見兼ねた実家に手を差し伸べられるまでの

一時期なことではあり、

現在は

人並みかそれ以上の暮らしが

できていますが、

経済的なことだけでなく

息子達にはかわいそうな思いもさせました。

父親がいないことそのものを

お友達にからかわれたこともあります。

この田舎町の裕福な家庭の子息が集まる

私立中学に進学したばかりの時

次男が泣き腫らした目で帰ってきたことは

今でも忘れられないですね。

何を思い出しても息子達がかわいそうで

私は未だに涙が出そうになるので

このへんでやめときますけど、

息子達の親ガチャは、失敗です。はい。



でも、

キツい言い方に思われるかもしれませんが

それでも

その言葉が好きじゃない、

ガチャは言い訳だ、

と私が思っているのは



私は、

ガチャだけに頼っては来なかった人生だと

胸を張って言えるから。

離婚してどん底暮らしになっても

ただの比喩ではなく

本当に歯が折れそうなくらい

ギリギリと食いしばって耐えたことも、

死に物狂いで頑張ったことも、

ありますんで。

実際、私をよく知る人にも言われます。

あなたは、生まれや環境が違っていても

欲しいものは手に入れただろうし、

成りたいものにもなっていた、

きっと

今とそう変わらないあなたでいたはずだ、

あなたはそういう人だ、と。

ま、言われた時は

「え?私、そんな野心家でがっついた人に

見えてるのかしら・・・」と

正直イヤでしたけど笑




でも、息子達だってそう。

今、立派にやってますよ。

仮に、私が

息子を大学にやる経済力がなかったとしても

少なくとも長男は、

今と同じ場所にいると思います。

今の日本、頑張り次第で

学費をかからなくすることは可能ですし、


周りの偏見さえもうちの息子達は

「あの子はお父さんのいない家の子だから

あんなに…ブードクロ

ではなく、

「お父さんがいない家庭なのに、

あんなに…グッ100点」に

変えてきた子です。


理不尽な不幸を負わせた張本人が言うのも

酷ですが、

「世間の声をそう変えてみろ」と

育てたのは私です。

私自身も、もちろん

自分への偏見や評価を変える

最大の努力をしました。



いえ、わかってますけどね。

こんなこと言えないくらいの、

どうにもならないガチャがあることも。

残念だけど、

実に辛くかわいそうな現実もあり、

「ガチャ失敗」なんて

軽々しく言えない哀れな人生を

送らざるをえなかった子供だって

世の中にはたくさんいるのも、

わかってます。



ガチャ成功が

田舎町ではお得感が増すように、

ガチャ失敗は

田舎町では悲惨なことにもなります。

親が事業に失敗し、

無様な閉業になってしまっただけで

子供まで嘲笑われたり信用されなかったり、

先祖が犯罪者になってしまうと

末代まで、本当に果ての見えない末代までが

人間らしい扱いをされなかったり。

田舎、こういう面では怖いです。




ガチャ成功だからといって、

ああ〜私ラッキー!!としか

思わない人間にも、なりたくない。

親ガチャ、夫ガチャ…

いや、

夫は運だけではないからガチャとも言えないけど

成功と失敗では人生は大きく違うけど、

まるで自分の功績のように

その恩恵にあぐらをかいている

ざーます妻やバカ娘には

「昼間っから優雅なランチするなら

先に慈善活動してからにせえ」

と思うこともあります笑



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長々と書きましたが…

今週、私は母とデパートに行きました。

先日、長男にお洋服を買ったんですが

母が

「買い足りない」「もっと買ってあげたい」

と言うので笑、また行って。

先日の分と合わせると、

母が長男に買ってくれた

ポロシャツやTシャツの総額は、

一般的なサラリーマンの初任給くらいに

なっていました。

私はこんなに買ってあげられないので、

ものすごくありがたいです。

「親ガチャに失敗した」貧乏学生の息子には

不相応という声もありましょうが、

80歳になる認知症も進行してきた祖母が、

そう長くない人生

今年が最後かも…もう買ってあげらないかも…

という思いからしてくれていることなので

ここもスルーして読み続けていただけると幸甚です笑




で、ついでに

母と私は、

自分達の靴下を買ったんです。

息子のシャツを買ったのは

テナントに入るブランドショップでしたが、

靴下は婦人雑貨売場で。

私はね、
3足1,000円の靴下だって履きますよ。
ガンガン履いてます。
ブランド物じゃなきゃイヤ、だなんて
思ってないから、気にしないです。
なんなら3足1,000円じゃないと
落ち着かないくらいwww
ただ、3月の東京や5月の仙台で歩き回り
東京でも仙台でも
8時間で新品の靴下に穴をあけたので笑、
少しイイ靴下を補充したいと思っていたし
母もタイミング良く
「あ、靴下買いたい」と言ったことから、
たまたまデパートで買っただけ。
セール品も含めて、
母と私の分を合わせ、
母のクレジットカードで
一万数千円支払いました。
私達は
ラコステとラルフローレンの売場に先に行っていて、
母が長男にポロシャツやTシャツを
たくさん買ってくれたんですが、
私が先日買ったラコステのポロワンピースを
母も欲しいと言うので、
長男の服も買ってもらったところですし、
母のポロワンピースは私が支払い、
プレゼントしたんです。
母は、「母の日もプレゼントをもらったのに
なんだか悪いわ〜」と言って
靴下はまた母が払ってくれました。
この後地下食品売場にも行って買ったケーキは
私が支払いました。
この日はトータルでは断然母の支払いが多いですが
一応交互に支払いはしていて笑、
何もかも実家におんぶに抱っこ、ということでは
ありません。




母がクレジットカードを出し

私が商品を受け取ったレジに、

知った顔がありました。



まだ離婚はしていなかったけど、

専業主婦だった私が

「あ、このまま人生送ったら

まずいことになるぞ」と危機感を覚え

働きに出ることにした時

勤め先にいた同い年の女性。



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離婚したのは

それからずっと後にはなりましたが、

既に離婚を視野に入れていた私は

旧姓で働きたかったため

そのことを入社の面接時に話したので、

入社後にはほとんどの人が

私の家庭状況を知っていました。



先に私に近づいてきたのは、彼女。

彼女はバツイチで、同い年

私達はすぐ下の名前で呼び合うようになり

私は仲良くできるつもりでいました。



私は長い間専業主婦だったし

その会社で

社会復帰したようなものだったから、

きっと彼女からしたら

苛立つことが

いっぱいあったかもしれないです。

でも、それを差し引いても

彼女はとにかく意地が悪かった。

底意地が悪かった。



本社と繋がるシステム化された入金処理で

打ち間違いをしても、

完了するまでの間は

「取り消し」「やり直し」ができるのに、

例えるなら、スーパーでレジを打ち間違えた時

お客さんからお金をもらうまでは

取り消してやり直しをしても問題ないのと同じです。



取り消し処理を私にわざと教えず

「あ〜…この子やっちゃったわ。」

「サエコちゃんが可愛〜く謝ったら

上の人に許してもらえるかもしれないけど、

ダメなら自腹切らなきゃいけないわよ!」

「はい、上の人に可愛〜く甘えて、

お願いしに行ってきて!笑」

と言ってみたり。

他にも

わざと教えてくれずに業務を滞らせて

会議で

「これは岡さんが担当することに

なったんじゃないの?」

と上司が怒った時に、私が

「私、聞いてません!」と言う人か

「失念していました、

すみません、すぐやります」と言う人かを

試したりとか。

私は後者でした笑

チーム内ミーティングなら

教えられてません!って言うけど

幹部の入る会議でそれを言うのは違うと思うので。

長く専業主婦をしていた私が

泣くかパニックになると思っていたんでしょうけど、

そう答えた私を、事実を知った上司が評価してくれ

彼女は憮然とした、という勤務一週目の出来事も

私はよく覚えています。




からかいたかっただけなのかもしれないけど

すべてが度を過ぎていて、悪質だった。

お局様、というにはまだ若かったけれど

その職場では

彼女は女王様のような振る舞いで。



県の端っこにある

小さな集落出身の人だったんですけどね、

仕事もろくにないその集落で

お父様にはあまり収入がなかったそうで

たくさんいる兄弟姉妹で助け合って

食べてきた、と。

こんな田舎でも「街の子」と言われる

中心街はりまや橋界隈出身の私とは

いろんな感覚や行動が違っていて。

それが興味深くて新鮮で、

私は最初、意地悪なことすら

それはそれで面白いキャラだなって

彼女のことを認知していたんですけど、

次第に事がわかってきたら

「・・・あれ?

この人、

私が今まで出会ったことがないくらい

根性悪くない?」って気づいて笑



あの当時は、

この女王様のことを

会社は大事にしていて、

逆らう人は居られないんだわ

…と思ってました。



そして、私が転職した後

その会社がどんどん発展していき

社屋が大きく巨大なビルになっていくのを、

車でそばを通過しながら

「あの人は、まだいるんだろうか」

「まだ、“君臨”しているのかしら」

「それとも、存在が邪魔になって

会社は辞めさせたかな」

「いないとしたら、

絶対に円満な退職はしていない」

「彼女が黙ってるわけがない」

「あの調子では

いずれ会社は厄介者扱いをするはずだ」

「いや、まだ居そうだわwww

上の人の気の遣いっぷりすごかったもん」

…なんて、ぼんやり思い出すことは

あったんですが




デパートに、いた。

パート社員か何かだと思います。

デパートの正社員ではないし、

テナントブランドショップの社員でもなく。


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一瞬のことでしたが、

私は彼女の胸の名札を確認した後

頭の先から指先まで見ました。



彼女もまた、

私の頭の先から足先までを見ました。



私から見た彼女は・・・

昭和の時代に流行ったようなヘアスタイルや

自転車通勤をしていたあの頃より

さらに浅黒くなった肌、

靴下の値札をとる指先に

実際に経過した以上の月日を感じました。

“君臨”していたあの会社に

絶対に居続けると思っていた、

そういう扱いだった、

そういう彼女だったのに、

今、彼女は、

土日も、立ちっぱなしで、働いている。

「私、歌手になろうと思ったことがあるの」

性格に難はあったものの

そう言うにふさわしい

特徴あるものすごく魅力的な声の人で、

私と母に

「ありがとうございました」と頭を下げる

その素敵な声だけが当時と同じでした。



彼女から見た私は・・・

どう見えたでしょうか。

平日。昼間。実家の母と。デパートで。

母は高齢で姿形はもう美しくはないけれど、

あるブランドだとすぐわかる服を着て

高価な眼鏡をかけていて、

支払時に黒いカードを出しました。

私はすっぴんで

着飾ってはいませんでしたが

日に焼ける暮らしをしていないためか

肌は彼女に比べると真っ白だったし、

毎月必ず美容院に行く私の髪の毛は

彼女よりは艶がありました。

どう見えたんでしょうかね。

昔と同じように

私は彼女の癇に障ったでしょうか。

わからないです。




でも、一瞬、私、

すごくイヤなオンナになりました。

下品で厭らしいことを考えてしまいました。

すっぴんで来てしまったことを

後悔はしたものの、

「見たら一発でわかる高価な日傘、ホッ」

「昨日ネイルして、セーフ」

「お母さんと一緒で良かった」




今更私、何を・・・

バッカみたいだわ、私。

そう思おうとしたけれど、

サッとレジの後方まで下がり、

去っていく私と母の全身や後ろ姿

私が持つ紙袋に入ったブランド名を

背伸びしてまで

見ようとした彼女に気がついた時に、

「実家が太い」という言葉を

ふと思い出してしまいました。




私はあの頃もう離婚するつもりでいたし、

彼女もバツイチだった。

私は彼女と、4年間一緒に働いた。

生活状況も、当時の私達は

そう変わらなかったと思う。

彼女は今、新しい慣れない職場で

必死に頑張ってると思うけど

私もブラックなあの会社を辞めてから

死に物狂いで頑張った。

私は今、もう長くなった慣れた今の職場で

少し気もラクになって自分のペースで

幸せに働けているけど、

彼女もあの会社ではしたいように

我が物顔で楽しく働いていた。

もちろん私は

人を陥れたりわざと傷つけたりするような

意地悪なことはしていないけど、

私と彼女が一緒にいた4年間や

その後の人生の選択、生き方は

そんなに変わらないと思うんですよね。

同じ人生曲線を

辿っていたような気がするのに。

・・・実家。親ガチャ。

私の頭の中には、

息子を思うと胸が痛くなる

大嫌いなはずのこの言葉しか

浮かびませんでした。



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母を後部座席に乗せたデパートの帰り。

昔、彼女と働き

今はすっかり大きくなった

会社の前を通った時、

彼女にされたいろいろな仕打ちを

もっともっと思い出しましたが、

それはもういいの。



私は、改めて思いました。

親を大事にしよう。

ご先祖様にもっともっと感謝をしよう。

強く逞しく正しく育ってくれた息子達を

誇りに思いながら今後も丁寧に育てよう。

自分の力で得られないものは

欲張って欲しがらないようにしよう。

余力があれば社会に還元しよう。

善人でいよう。善い行いをしよう。




実家が太いのは、私のせいじゃない。

ガチャだから、私が選んだんじゃない。

でも、太いなら太いなりに

太いからこそできる

善い行動をすべきなんだわ。

私の父が、そうしてきたように

余裕ある心で

配慮をし思いやりを持ち慈しみ、

社会還元をし、慈善活動をし…




私はまだまだまだまだ未熟で浅はかで

たかがデパートで知人を見た一瞬で

とても厭らしいことを考えたり、

ネットスラングを頭に浮かべてしまったり、

これからもアホな私は

くだらんことに精を出したり←推し活?

ここでバカなことを吐き捨てたり

するんだろうけれど←する前提

いっぱいいっぱい物事を考えて

いっぱいいっぱい挑戦もして

いっぱいいっぱい世の中のことも知って

人として成長を続けたいです。

優しい人でいたいです。




すみません、ただの日記でした。

気を悪くされた方もいらしたかもしれません。

ただ、私は

「私は実家が太い」「親ガチャに成功している」

と自慢をしたかったのではないことを

長く長く私のブログを読んでくださり

私の性格を少しはわかってくださっている方には

ご理解いただけたのではないか、と思っています。

親には感謝をしていますし、

私は「実家が太い」です。

でも。でも。私はやっぱり無性に悲しくなる。

デパートに行ったこの日、もっと悲しかったです。




そして、

「親ガチャに成功した実家の太い私」と

「親ガチャに失敗した息子」の間で

感覚の違いから揉め事が発生していますが笑、

それはまた別の機会に。

久々に長男、私を振り回す出来事がありました笑

それはまた今度。