世田谷文学館の講座加藤典洋短編世界をめぐってに村上ファンの友だちが声をかけてくれた。信仰にいて読んだ本の中にアンダーグラウンド約束された場所でが在り関心が湧いた事や、友だちの影響、反原発にいて声明を出されていた作家としてなど、色々あったけれど、一番の理由は言葉使いや人物像に違和感があり避けてきたので改めて良さを知りたいと思った事だ。最近加藤典洋氏の解説評論を読んでいた処だったが、今日の講師は偶然その加藤氏だった。デタッチメントといういわゆる現実から離れて、距離を置いて世界の意味の欠落を問い直すという、それらの構造に、私はなんとか気が付けたようだ。長編にはそれが明確に意図されている。未読作から長編を選んでみたいと思っている。初期作の部分が後引用され、重要な素材として展開されており、それは一貫したテーマの現れと分かる、という。しかし深く詳細に読み解こうとする評論家でも、わからないと思う部分や筋があるという事だったので、ほっとした。引用、隠喩、暗喩は理解しても、急に場面の展開感が変る例などはその意図がわからないと言われていた。そういう辻褄のあわない感覚は、ある意味現代的なのかもしれないし、試したのかもしれない。そんな風に私自身が思えるようになった事は、小さな進展だ書き始めた頃から今まで通じて弱い者の立場を強く意識されてきた事、作品が大ヒットして莫大な利益が上がり編集者や販売元などの人間関係が壊れて海外に避難された事、訳短編長編という創作サイクルは在るものの常に書き続ける作家である事などの話もでた。好きであることと理解することは同一ではないから、長編に感じた違和感が全て消える訳ではないがはるかに親近感がわいた気がする。短編は結構好きだ世田谷文学館は京王線芦花公園駅そば、隣接の和風建築はウテナ社長邸
