魚も渡さないかんと、今日は小あじを買ってきました。
他にもいろいろ野菜もね。
ホンマに記憶がどんどんこぼれていくので、前にしたこともすっかり飛んでしまってる。
魚も肉も、時々は渡しているのに、もう何年も食べてないだとか。
そうめんも今年は二回くらいコープで買ったのに、それも忘れてる。
とにかく「ない」の傾向が強い。
「ない」ということは、感謝ができない体質。
人間、「ある」ものに対してはありがとうと思っても、「ない」ものに関しては不満しか出てこない。
結局、妹や弟のことも愚痴を言いながら、母自体がそういう性格なので、娘や息子がそんな人格になってしまうのもしょうがない。
どんな障害があるのか、性格なのかわからんが、私にとっては疑問ばかりで、どこからどう見ても頭がおかしいとしか思えない。
もちろん、あのときのことは人前でも堂々と真実を言えるし、私のことも捏造さえしなければ、あったことを全部言うてくれても構わない。
ごまかしや嘘や保身は、結局は自分のためにはならない。
最終的には首を絞めることになるということを知っている。
だから私は腹をくくろうと思った。
何もかも言ってやろう。
その上で、本当に人としてどうなのかと、世間一般の認識はどうなのかと。
私は、自分自身が心の病で幼い頃からずっと悩んできたので、人の脳内が気になって仕方ない。
どういう仕組みでこの人がこんな思考になるのか、すごく興味がある。
自分自身が昔の自分を捨てることになったのも、心の仕組みを学んだからだ。
それで私は、過去の私に決別した。
人が陥っているバイアスのことも、めっちゃ俯瞰で見ることができる。
私は「ない」を見るのをやめた。
ないと思っていたのが、あるときにあると気づいた。
そこから私はゆっくりと過去の私を切っていったのだ。
母がお金のことばかり言うので、「そんなにお金がほしいのなら、妹と一緒に暮らせばお金はいっぱいあるよ!」と言うてみた。
別に私と暮らさなくてもいいやん。
あんな娘でも息子でも、やっぱり自分の可愛い子供だって言うんだから、その可愛い子供と一緒に暮らせばいいのよ?
なんで文句言いながら私といるの?
「あんなやつと一緒は嫌や」
ホンマに、この家族は…自分がいちばん可愛くて、損をしないように動いている。
結局、愛情じゃないんやわ。
私と一緒にいたらいろいろやってもらえるからやろ?
妹はそこまで気づかいできないし、自分の時間を犠牲にしてでも誰かのために働こうなんて気持ちないよ。
ときどきやって、いい人のふりをしてるだけ。
本当に助けてほしいときに声をかけても、絶対に自己優先で助けてくれない。
もう私も妹のご機嫌取りは嫌や。
貧乏でも自分の力で生きていく。
そして、死ぬ。
それでいいわ。