株式会社コンプライアンス・カンパニー(行政書士林哲広事務所)

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「豊臣兄弟!」第1回の放映が、1/4にありました。

大変反響があるみたいで、私も応援しています。

第1回の時代設定は、永禄年間初期前後(1559年頃)の尾張国中村でした。

この頃、標題の能登ではどのような歴史が動いていたのでしょう。このように大河第1回の放映と重ねてみると歴史に深みが出て、より大河が楽しくなります。

ちなみに、私の能登の先祖のおじいちゃん、おばあちゃんも上賀茂神社の能登神領でその頃頑張っていたと思います。桶狭間の戦いくらい耳に入れていたかもしれませんね。


信長や秀吉・秀長が、尾張国で頭角を顕してきた第1回放映の頃、能登国では主君と重臣の間で内乱が起きたり、それを鎮圧したりを経験して、その後領国の安定期を迎えたりしていた頃みたいです。


[関連年表]

1550年(天文19年) 大名畠山義続の統治がうまくいかず畠山七人衆の政治が確立する

1555年(弘治元年) 畠山七人衆粛清される

同年 再び畠山義続・義綱父子の治世に家臣が反旗を翻す(弘治の内乱、1560年鎮圧に成功)

1560〜1566年 能登国内安定期

1566年(永禄9年) 畠山義続・義綱父子を追放(永禄九年の政変)


能登国では、こういう時代状況でした。信長が対外的に忙しくなる頃、能登国では政治的安定に成功(上杉謙信と越中の神保氏の争いを仲裁したり、朝廷に献納したりして国を豊かにする政策を採っていたようです。)将来的には、織田家の家臣前田利家が能登国に入国し北陸統治を始めるのですが、その胎動(信長の尾張国外進出)が始まった頃だと認識していたら「豊臣兄弟!」第1回もまたより楽しく見ることができるのではないでしょうか。


能登国の戦国大名は、畠山氏でした。このように、単一の戦国大名が育ったのは惣社八幡職家のいる豊前国とは異なっています。

畠山氏は、「豊臣兄弟!」第1回ではまだ存在する足利幕府の管領という要職(に就くことのできる四職の一家)の家でした。つまり、足利幕府の家臣のトップの一人だったのです。そのため、能登国はしきたりなど厳しい国だったと思います。下剋上(秀吉がドラマで叫んでいた「家柄や身分を問わず」の社会状況)の戦国時代では、能登国は異色な国・大名だったでしょう。むしろ、「上剋下」で国内統治を維持しようとしたところだったのでしょう。それがひずみになり家臣の内乱やクーデターがたびたび発生した原因の一つでしょうか。


室町幕府第13代将軍足利義輝の三好三人衆・松永久秀らによる暗殺など「豊臣兄弟!」で先々描かれるみたいですが、この能登国も室町幕府に深く関わっており、この事件は能登国をも震撼させたことでしょう。下剋上が行き過ぎた末に起きた事件であり、しきたり強く上剋下で統治を進める能登国にも少なからず家臣のクーデターなどを引き起こしたりで影響あったと推測されます。なお、松永久秀の大和国は主人公の豊臣秀長の領国になります。能登国は、前田利家の領国になり何か「豊臣兄弟!」と能登国は、人しれないご縁も感じられるのは私だけでしょうか。

以上の義輝暗殺事件は、「豊臣兄弟!」の今後の放映を見ていて能登国を意識していたらよりドラマを楽しめるかと思われます。


最後に、能登国の上賀茂神社の社領・領地に土田荘、金津荘というところがありますが、上賀茂神社は競馬(くらべうま)の歴史がある神社で、織田信長も上洛後馬2頭を上賀茂神社に競馬(くらべうま)のため奉納したりしています。信長の「競馬(けいば)」好きな性格を垣間見ることができます。武将だから競馬とかやはり好きだったんでしょうね。今年は、午年なので馬にあやかってブログの締めとしたいと思います。「豊臣兄弟!」第2回でも、能登国のこのような時代状況を意識しながら見て応援したいと思います。


失礼致します。


執筆家 林 哲広