おはようございます!

スピリチュアルカウンセラーの

あぐりです。



私の幼い頃の記憶は
絵としては出てくるけれど
感情が思い出せない。


虐待を受けていた

わけではないけれど
父は怖くて怯えていたし



母は優しかったけれど
父のことがまず第一優先で
子供に注意を向ける余裕は

なかったんだと思う。



物心ついた時から家政婦さんに
身の回りのことをしてもらい
不自由はなかったけれど
ずっと寂しかった。



年子の三姉妹だったので
私が母を独占できることなんて
ほとんどなかったし



姉は活発過ぎて、年上と遊ぶから

遊びについていけなかったし

妹は幼稚過ぎてつまんなかったし



父にいつも叱られている母をみて

迷惑をかけてはいけない
手を煩わせてはいけない

私にできることはないか


そんなことばかり考えていた。



幼い私にできることなんてなく 

いつも申し訳なさを感じて

生きていて迷惑をかけてごめんとか

早く死んで楽になりたいとか



朝が来るたびに絶望して

早く時間が経つだけを願っていた



今から思うと胸が痛い幼少期…泣き笑い



母親が幸せじゃなかったからだと思う。

生きていくってつらいことなんだって

母を見て勝手にそう思っていた。



私はできるだけ母の手を

煩わせないように

自分の身の回りのことを

率先してやっていたけれど



母にとってはいい子でも
学校の忘れ物も多かったし
服もチグハグで、
靴も限界まで履いていたから


はたから見たら
手をかけてもらっていない子なのは
明らかだったと思う。



家は自社ビルで
車も外車だったけれど 
全然幸せじゃなかった。




だんだん大きくなって
うちは金持ちなんだって理解して

姉や妹はいかに物を買ってもらうか

家が金持ちかをアピールをしていた



金はあるけれど品がない父

奴隷のように働く母

似合わないブランドを買い漁る姉妹をみて

みっともない家族だと思っていた



今から思うと

父なりにお金に対する価値観で

お金を出す出さないが

明確にあったんだろうけど



金の亡者みたいで大嫌いだった

今思えば誤解なんだけどね

口が悪くてストレートだったから

めちゃくちゃ嫌いだった。




私は普通の公立高校に通っていたから

普通の家庭に育って

普通に愛されてきた人のフリをして

生きていた。



どえらい愛情貧乏のくせにね泣き笑い



めちゃくちゃ愛情もらって

大きくなりましたって装って

生きてきた🤣



でも、やっぱりどこか

アウトロー感が出る🤣

自分の体を大切にしないところとか

自分の心を大切にしないところとか




いつ死んでもいいように

20代は浴びるように酒を飲み

意識が飛んで怪我をしたり

武勇伝を作ったり



ダメな男とずっと付き合ったり

すごくいい人を裏切ったり

心も体も傷つけて

刹那的に生きていたけれど



夫に選んだ人はすごく健全で

体も心も健康であろうとするし

私が攻撃的になると

穏やかに包んでくれる。



息子も、今だに寝ない

食べない、ゆうこと聞かない

将来不安しかない息子だけど



めちゃくちゃ私を愛してくれたし

自分も親から愛をもらって

生きてきたことに気づかせてくれた。



そして、家事より仕事が好きな私は

息子を預けて働きたかったけれど



私と同じように育てたら
こいつは絶対死ぬと思った。



申し訳なさと罪悪感で

人は簡単に死ぬから。



自分に価値がないと思うと
生きているだけでつらい。



息子は私ほど、強くないから

息子の心を強くすることに専念できた。




死ぬほど愛してるって育てた。
手をかけるだけかけた。



結果、大したことないのに
やたら自己肯定感が強い子になった。



いじめられたり
不登校になったり

クラスで成績最下位でも、

なぞに王様感を出してくる。




もっと謙虚な方が

人からは好かれるだろうけど



息子が心から幸せで

心地いい環境を作れるならば

なんだっていい。




時々息子に聞いてみる

小さい頃悲しかったこととか

お母さんにこうして欲しいとか

なんかあった?って。



息子は「あーそれ、よくゆう奴いるけど

俺ないねんなー」


それを聞くだけでホッとする。



幸せな子供が増えて欲しい。

生きていて楽しいと思える子を

誰かを幸せにしたいと思える

愛情豊かな子を



愛情貧乏な私でも

ちゃんと愛情を与えられたし

人はいつからでも変われるし

自分で自分を幸せにできる



それを伝えていきたいなーと

なんとなく思った朝🤣



皆さん長々とありがとう。

良い一日を👋