前回はニジンスキー振付によるバレエ作品『春の祭典』について書きました。

今回は、この刺激的な音楽に注目してみます。

左:ストラヴィンスキー
右:ニジンスキー

(Biblintheque nationale)

 

ストラヴィンスキーが作曲した『春の祭典』は、100年以上たった今でも多くの振付家・舞踊家を挑発し続け、数多くの優れた舞踊作品を生みだし続けています。なかでも、ピナ・バウシュとモーリス・ベジャールによるものが特に有名ですし、フラメンコでは、Estévez/Paños舞踊団の作品が高く評価されています。

 

上の3つは、オーケストラ編成による音楽がそのまま(録音を含む)使われていますが、今大注目なのは、日本公演を間近にひかえているイスラエル・ガルバンの公演です。

 

 

イスラエルと、ピアニスト2名、合計3人だけの『春の祭典』。

イスラエル=パーカッションだと考えても、演奏家はたったの3人。
ダンサーとしてだけではなく、この音楽的な挑戦も見逃せません。

 

ストラヴィンスキーは常にピアノを使って作曲をする人で、そう考えてみると今回のイスラエルの作品は、作曲途中のピアノ演奏時代に遡る試みともいえます。この曲がオーケストラで演奏される前、ニジンスキーの振付が付く前の、まさに生まれつつある状態からの再構築。どんな作品なのでしょうか。非常に楽しみです。

 

ところで、この20世紀を代表する音楽の誕生の瞬間は、少し奇妙なものでした。

当時、ストラヴィンスキーは『火の鳥』を作曲していて、この最後の数ページを書いているときに不思議な幻想が脳裏に浮かびます。

「異教の大がかりな祭儀の光景が脳裏に浮かんだ。年老いた賢人たちが輪になって座り、春の神の慈悲を願って彼らが捧げる処女の生贄の踊りを見守っている光景である。」(*1)

その幻影がそのまま『春の祭典』の主題になったのです。

ストラヴィンスキーがバレエ・リュス率いるディアギレフに、この“原始的バレエ”の構想を持ちかけると、すぐに作品化することが決まります。
 

当初、この曲は『犠牲』という題名でしたが、最終的に『春の祭典』(フランス語: Le Sacre du printemps、英語: The Rite of Spring)とされました。なぜ春になったのか、その経緯は定かではありません。しかし、ストラヴィンスキーが故郷のロシアの何をいちばん愛するかをたずねられたときに、このように答えたそうです。

「1時間のうちに到来し、まるで大地が音を立てて割れるかのような荒々しいロシアの春だ。子供の頃、この春の訪れほど胸をときめかせたものはない。」(*2)

彼の故郷ロシアでは、長い死の冬から、一瞬にしてあらゆる生命が大地から湧き出すように、荒々しく劇的な春がやってくる。その瞬間はまさに「祭典」と呼ぶにふさわしいのかもしれません。

ストラヴィンスキーの「春」は、日本の「春」とはまったく別ものだったのです。個人的に、日本語のタイトルは曲とのイメージが違いすぎるのではないかとずっと思っていたのですが、これを読んでなるほど、タイトルと音楽のイメージがつながった気がしました。


ストラヴィンスキーは、小節ごとに拍子が変わるなど、もともと複雑なリズムで構成されるこの曲を、楽譜の読めないニジンスキーに理解させることに大変苦労したようです。また、振付師としてのニジンスキーの仕事ぶりに対しては辛辣な言葉を残していますが、最終的には「ニジンスキー以外の誰にもできない振付だった」との評価をしています。

 

1913年5月29日の初演時には、批判する人と拍手喝采する人で客席が二分し暴動が起きたというエピソードは有名ですが、それはニジンスキーの奇怪な振付だけではなく、ストラヴィンスキーの音楽にも原因がありました。『春の祭典』にはメロディと呼べるものもほとんどなく、120種類もの楽器のうち特に打楽器の占める割合が多いため、荒々しく爆発的な勢いのある音が鳴り響きます。ドビュッシーは「けたはずれで、獰猛。現代のあらゆる便宜が生んだ原始音楽」と表現しました。

(バレエ・リュスを率いるディアギレフは天才的な興行師で、この初演時の騒乱は、スキャンダルを意図的に煽ったのではないかという話もあります。)

 

しかし、ストラヴィンスキー自身は常に斬新さを求めていたし、それに対しての批判がつきまとうことも承知のうえでした。
初演のあと、ストラヴィンスキーはこのように語っています。

「だが、一般の人たちが我々の言葉になじむにはずいぶん長い時間がかかるだろう。私は我々がなし遂げたことの価値を確信しているし、その確信がこれからの仕事に向かうちからをわれわれに与えてくれる。」(*2)

たしかに少し時間はかかりましたが、後に『春の祭典』は20世紀を代表する音楽と呼ばれるようになりました。
そしてこの音楽の持つ破壊的なエネルギーは衰えを知らず、今なお、多くの芸術家に革新を促し続けているかのようです。

 

 

※ピナ・バウシュとモーリス・ベジャールの『春の祭典』は、YouTube等の動画サイトでもその一部、または全部を見ることができますが、刺激的すぎるせいか閲覧注意の注意書きが出てきたりします。そのため、リンクを貼ることは控えました。興味のある方は検索してみてください。

※長くなってしまったので、Estévez/Paños舞踊団の『春の祭典』についてはまた別の機会に。

 

 

【参考文献】

*1 「私の人生の年代記 ストラヴィンスキー自伝」
   イーゴリ・ストラヴィンスキー著、笠羽映子訳、
   (株)未來社発行、2013年

*2 「春の祭典 第一次世界大戦とモダン・エイジの誕生[新版]」
   モードリス・エクスタインズ著、金利光訳

   (株)みすず書房、2009年

*3 「ニジンスキー頌」

   市川雅著、(株)新書館、1990年

 

写真:*2 「春の祭典 第一次世界大戦とモダン・エイジの誕生[新版]」より