このコロナ禍のなか、奇跡の来日を果たしたイスラエル・ガルバン。

チケットは絶賛発売中です。

(↓私は関係者ではありませんので、詳細はHPをご覧ください)

 

フラメンコの人たちにとっては、イスラエルは紛れもなくフラメンコの踊り手ですが、今回の『春の祭典』ではジャンルを超えて一人のダンサー、アーティストとして、フラメンコ界の外の人たちからも関心を集めているようです。

今まで何度か来日した中で少しずつファン層を拡大してきたイスラエル自身の魅力に加え、今回は

 

 "ニジンスキーの『春の祭典』を、

  フラメンコ界のニジンスキーと呼ばれる

  イスラエル・ガルバンが踊る"
 

ということも注目されているのではないでしょうか。

 

そもそも、ニジンスキーの『春の祭典』とはどのようなものだったのでしょう。
バレエ・リュスを率いるディアギレフの依頼により、ストラビンスキーがバレエ音楽として作曲し、それをニジンスキーが振付けをして上演されたのが1913年のこと。残念ながら当時の映像は残っていませんが、振付は復元されて上演されています。

↓こちらはマリインスキーバレエによるもの。

 

 

 

強烈なインパクトのある音楽に、クラシックバレエのルールを無視した奇妙な動き、異様な化粧やコスチューム、暗黒舞踏にも通じるような不気味さ。当時のモダニズムの流れを受けながらも、バレエそのものを破壊してしまった前衛的な作品です。

日本語では「祭典」と訳されていますが、祭典といっても、もっと原始的で野蛮な儀式=生贄のことで、ストラヴィンスキーが初めにこの曲に付けていたタイトルは「犠牲」でした。

 

何かとてつもない原始的なエネルギーに満ちていて、見ているほうも知らず知らずのうちにトランス状態に引きずり込まれてしまうような感覚になります。なかでも、一人の女性が表情もなく一点をジッと見つめてずっと動かない姿。バレエというよりも、もはや”踊る”ことすら否定してしまった異様な光景なのですが、あの場面の醸し出す緊迫感は一体なんなのでしょうか。
 

初演時の客席内は、非難する人と拍手喝采する人で二分され、暴動が起きたそうです。

後に、ピナ・バウシュやモーリス・ベジャールなど、著名な振付家もこの『春の祭典』を独自の振付で作品化しました。

Youtubeでざっと検索してみても、他にも多くの振付家・舞踊家が『春の祭典』に挑んでいることが分かります。


基本的に『春の祭典』といえば、私のなかではオーケストラの演奏(録音を含む)と、大人数が登場する群舞というイメージなのですが、イスラエルはこれをダンサー1人とピアノ2台だけで作品にするということで、ええ?!と驚いてしまいましたが、イスラエル自身も楽器のようなものですし、どのような作品に仕上がるのか、そこも見どころの一つです。

ちなみにフラメンコ界では、2012年のビエナルで、Estévez/Paños舞踊団が『春の祭典』をフラメンコ作品として上演しています。

(おそらく、他にも沢山あるのでしょう…)

私はこれを2013年にヘレスのフェスティバルで見たのですが、今でも詳細を思い出せるぐらいとても印象に残っていて、私のなかでは素晴らしいフラメンコ作品といえば、まずこれを挙げるというぐらい素晴らしい作品でした。


これについてはまた次回書きたいと思います。

 

 

 

【参考文献】

・ 『春の祭典 第一次世界大戦とモダン・エイジの誕生[新版]』、モードリス・エクスタインズ著、金利光訳、みすず書房、2009年発行

  ※カバー写真もこちらから拝借しました

  写真:バレエ『春の祭典』の群舞.(Comoedia Illustré,June 1913)