こんにちは、あぐです。

 

 

ブログを読みに来てくださり、どうもありがとうございます。

 

 

私が読ませていただいているブロガーさんの先日の記事で、

ハッとする一文がありました。

(その方のお子さんも障がいがあります)

 

ライトくんに言い換えると、

 

「ダウン症のライトくん」

 

として接するか、

 

「ライトくんはダウン症がある」

 

として接するか。

 

 

その方は、利用している支援サービスの職員さんで

「障がいのある○○くん」ではなく、

「○○くんは障がいがある」

で接してくれていると感じるスタッフさんがいて、

その人は障がいへの差別や偏見なく接してくれているように感じている。

 

というようなことを書かれていました。

 

 

 

これ、

読んで私もすごく、「そうそう!」」と思いましたキラキラ

 

 

ライトくんに対して、

 

 

「ダウン症ありき」で接している方

 

「障がいがあるこども」という色メガネをかけてみている感じが伝わってくる。

「ライトくんがどういう子」かというより、

まず先に「障がいがあるから」のひとくくりで考えて、

対応されているのが伝わってくる。

 

決して、診察や保育などでおろそかに扱われているわけではないのです。

でも、そう感じているのが伝わってくる。

ライトくんもなんだかなつかないんですよね。不思議なことに。

 

 

一方、

 

「ライトくん」+ ダウン症やその他合併症などあり

 

で、接してくれていると思う方もけっこういるんです。

ありがたいことに!

 

そういう方たちは、こちらから見ても不思議なくらい

「ライトくん」

そのものを見ている感じを受けます。

 

え?

ライトくん、ダウン症で多動もあって、知的障害もありますよ。

 

と、なんか私の方が戸惑ってしまうくらい、

そんなの関係なく、

 

「ライトくん」

 

自体を可愛がってくれたり、接してくれるのです。

 

 

もちろんライトくん、そういう先生方(病院や療育や保育園などの)大大大好きですよ!!!

 

 

そういう方たちの、

ライトくんに対する愛情をもって接してくださるその態度により、

私の心が救われたことが何度もありました。

 

ライトくんの成長において、そういう方たちの愛情がどれだけ重要なのかも計り知れません。

本当に感謝でしかないのです。

 

 

 

 

そして、

 

冒頭のこの一文、なんで私はハッとしたのか。

 

なんで、「ライトくんはダウン症がある」の方で対応してくださる方たちに

(すごいなぁ。。ありがたいなぁ。)といつも感激するのか。

 

 

それは、おそらく私自身が、

ライトくんが生まれる前、

 

「身体障がいのある△△さん」

とか、

「知的障害のある○○さん」

 

とレッテルを張って、色メガネをかけて、

障がいのある人をみていたからではないか。

 

私自身も、「障がいのある」に対して偏見を持っていて、

その人自身をみないでいたのではないのか。

 

と思ったから。

 

ショックなぐすん自分に残念なことに気付かされた一文でしたタラー

 

 

 

 

でも。

 

更によく考えてみると凝視

 

 

学生時代、就職してから出会ってきた

目が不自由な友達のこと。

肢体が不自由な友達のこと。

 

 

ただ、

「私の好きな○○ちゃん」として。

 

追加の情報として、○○県出身、○○が好き、ちなみに目が不自由

とか、そんな風にとらえていましたお願い

 

これに気付いたとき、嬉しかったお願い乙女のトキメキ自分に対して。

 

出会ったばかりの時は確かに、

「目が不自由」とか「身体が不自由」ということが、

「その人がどういう人なのか」よりも

私にもっとクローズアップされた情報として入ってきていた気がします。

 

 

 

 

そうか!

 

 

もしかしたら、

その人のことをよく知っていって、その人と仲良くなっていったら、

その人の障がいは、

「その人自身の個性の一つ」として受け入れられていくのかもしれません。

 

 

その人のことをよく知らないと、

自分たちとは違うその人の特徴(障がいがある)にまず目がいってしまって、

「障がいのある○○さん」

という風に思いがちなのかも。

 

と思ったのです。

 

 

 

そう考えると、最近よく言われるインクルーシブ教育。

 

 

インクルーシブ教育は、「障害のある方が持てる能力を最大限度まで発達させ、活躍できる社会をつくる」という目的の下、その推進をはかろうとする教育のしくみ。

通常学級に在籍している子どもと障害がある子ども等が一緒に学習を行ったり、生活を共にしていく中で、障害に対しての偏見や差別を減らしお互いに尊重することが出来るなどのメリットがあると言われている。

 

 

「幼い頃、周りに障がいのある友達がいた人は、障がいのある人に対して偏見がない。」

傾向にあるらしいです。

 

 

自分たちの地域の中に外国人が入ってくることに対しても、同じかなと思います。

 

 

私が子どもの頃は、今と異なり外国人が少なかった上、田舎だったので、外国人に会うことがほとんどなかったのです。

で、たまに外国人が引っ越してくることがあると、なんだかみんなざわめきだってました。

日本人の誰かが引っ越してくるのとは違う、特別な感じで見ていました。

 

でも、今のこども達。

周りに外国人が沢山いる環境ですよね。

 

この田舎の安曇野ですらも、浜姉ちゃんはこれまで保育園や学校でも、クラスメートに何人もの外国のお友達と出会ってきていています。

 

そして、外国人に対して、私の子供の頃のような反応はなく、ごくごく普通に、外国人であるという感覚がほとんどなく接しているようです。(日本語上手な子たちしかいないので、日本語が話せないとどうなのかはまだわからないですが。。)

 

 

 

たくさんの人が、

 

「ダウン症のライトくん」

ではなく、

 

「ライトくんはダウン症がある」

 

でみてくれて、

 

「障がいのある○○さん」

 

ではなく

「○○さんは障がいがある」

 

でみていく、みていける世の中になっていったらいいなぁ。。

 

 

そのためには、私はなにができるのだろう。

 

 

私は何を考えていけばいいのかな。

 

 

そんなことを考えたのでした。

 

 

 

 

 

ぼくはぼく。

 

「ダウン症のライトくん」としてではなく、

 

「ライトくん」としてみてねニコ

 

ソフトクリーム美味しい!のサイン

 

 

 

<ライトくん 6歳4ヶ月>