不自由さ | 喜劇 眼の前旅館

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短歌のブログ

私が最近短歌についてすごく気になるのは(そして小説も同じような目で見るようになっているのは)、つくり手にとっての自由と不自由のことです。
私が気になる歌というのは、つくり手が主体的に不自由さをひきうけている歌だと思う。
ここでいう不自由さとは定型のことではないです。同じ不自由さは小説にもあります。それは人生や物語がしいる不自由のことでもありません。
ここでいう不自由とは、言葉の中にのみあるものですが、日本語の規範がしいる不自由さというのともちがいます。われわれが日常やりとりする文章の中にはなく、文学作品にのみ生じている不自由さです。
いいかえると、作品の言葉に生じた不自由さが、作品自身を縛りつけているものだけが正しく文学作品なのだと思います。