題詠100首完走しました。
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今回ちょうど題詠の締め切り付近に小説も並行して書いてたんだけど、両者に相乗効果的なものがいい具合に発生してたのでこれはぜひ今後も維持したいと思った。
小説っていうのは毎日書いてても、昨日のつづきを書くには今日もまた昨日と同じように脳から汁を出し直さなきゃならないわけですね。話がつながってればいいってもんじゃなくて、脳の汁が持ち上げるテンションみたいなものがつながってないと駄目なわけです。その汁は昨日書いた部分を読み返したからといってうまく出てくれるものではない。そもそもそういう即効性がないのが小説というものだからです。読者の頭にいきなり汁が出ると後が続かないから、少しずつ出すように書かれているのが小説です。だから書くほうも時間をかけて汁を出していくんだけど、ずっと休みなく書き続けてるわけにはいかない。私の場合一回眠ると脳の汁がすっかり干上がってしまう体質なんで、毎日起きてから汁を溜め直すことに非常に労力が要って、ほとんどそれだけで一日無駄にする勢いなわけです。
で、短歌なんですが、短歌は小説とくらべてはるかに即効性高いので、脳から汁の出ている世界へ最短距離でのぼっていくエレベーターのようなものとして使える。ただしいきなり上っても身一つで来ちゃってる感じで、あとから荷物が届くのを上でぼけーっと待ってなきゃなんないんだけど、でもこれを使うと使わないとじゃ仕事の速さが大違いだと思った。
だから短歌はなんらかのかたちで、毎日作り続ける場を維持しておいたほうがいいと思いました。たぶん題詠のブログの方をそれに使います。ただ漫然と歌をならべてると飽きるのでなんかテーマとか形式が必要だと思う。縛りがあることで、歌の出来とか作風のばらつきにあんまり神経質にならなくていいという効用もある。
昔書いてたことがあるのは、らくがきっぽい即興の散文と一首を合わせるという形だけど、それだと歌だけできて散文が書けないときがあって、不満足な散文と合わせて載せるのがすごく不快だった覚えがある。自由すぎず不自由すぎない、ちょうどいい具合の位置で連日駆動しつづけるエレベーター、になるようなものを手さぐりで脳と相談しながら期待したい。