短歌の人 | 喜劇 眼の前旅館

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短歌のブログ

短歌というのは何かが裏返っている、倒錯していると感じるのです。本来なら外に向けて生産的な正しいエネルギー(労働とか、運動とか、音楽とか、文学とか)になるはずのものが、くるりっと裏返って体内に間違ってたまるように、定型の内側へ流し込まれてしまう。その裏返りの倒錯っぷりの激しい人ほど無視できない歌をつくるのでは。つまりエネルギーの量は多いのに、外へ出て行く出口はふさがれてしまい、ぜんぶ内側にもどってきてすごい勢いで体内をぐるぐる回るような人。そういう変態の気が短歌をつくる人にはわりとあると思うけど、それが重症な人ほど短歌というさかしまの世界の神に魅入られるのではないか。大声で叫ぶつもりが逆に大きく息を吸い込んでしまい、誰にも届かない叫びの詰まった壜のようなものに体が固まって身動きできなくなり、きらきらしながら不自由につっ立つこと。ごく穏当な比喩でいうと、そんなひどい目に合うことを物好きにも望む人だけが短歌を手放さないのです。きっと。