歌に性格 | 喜劇 眼の前旅館

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短歌のブログ

今日ここに載せたばかりの歌、しかも、すでによそに投稿している歌について早速自分でごにょごにょ言うのは、言い訳がましくて、みっともないわけなんですけども。
今日の題詠100首の投稿歌、牛乳の歌です。これ、よくないですよねえ。
下句がまずいという意見です。弱いわけです。上句で提示した謎かけの枠に対し、あくまでその枠内にとどまりつつひねった答えを言おうとしてるんだけど、答えの途中で時間切れ、尻切れになってしまったような半端な姿の歌だと思います。
答えを狙ってる方向じたいは悪くないと、自分では思うんですが、その方向、どちらを向いてるかさえ下手したら伝わらない、本人しかわからない歌のような気がしてきました。残念ですね。

あ、あと兵庫さんの歌集を読んで、それについて短歌のMLメンバーとチャットしたりして、その後考えたことですけど。
今の短歌って作者の職業とか家族構成とか、人生のさまざまなエピソードとかですね、そういうプライバシーみたいなのを小出しにしたり、読み手の側が、そういった次元の情報にアクセスして満足を得るような読み方をさせる歌は、基本的に全部つまらないと思うんですよ。そういうのは、短歌の使い方としてなんだかいやらしいと思う。そういうことが書きたいんなら、短歌なんて使って省エネしてないで散文に長く書きなさいよ、という気分が私には支配的であります。
では、短歌にはもう作者(歌人)なんていなくていい、歌だけを純粋に読めばいいのかというとそうではなくて、そういう読みは歌会とかで匿名の一首を読むときは有効なんですが、歌集とか連作はそれだと読めないところがあります。

じゃあ作者の人生を読みにいかないで、作者の何を歌に読んだらいいのかというと、「性格」じゃないかと思ったんですね。
いいかえると、作者の「性格」(とこの場合かなり大雑把に言ってますが。人間性とでも言った方がいいのかな)がくっきりと出てる、あるいは濃厚ににじみ出てる、そういう歌群は大抵いいものなのではないかと。人生のかわりに、その人の性格がありありと分かる歌をつくる人がすぐれた歌人、とまで言ってしまっていいか分かりませんけど、作者のプライバシー情報読み、みたいなものに取って代わるようなところはあるのではと思います。
で、私は自分の歌に自分の性格が出てるのかどうか、それって自分では判断しにくいかもしれないけど、私はあまり出てないような気がするのですね。もちろんプライバシーを織り込むようなつくり方はしてないし、そういうところが私の歌を読みにくくしているような、気がしたというわけです。我が身をふり返ったわけです。
でもどうやって出したらいいんだ、性格なんて。

最初の話と関係のない話になりましたが、どちらも短歌の話なので、ひとつのトピックにしときます。