おはようございます。
なぜか連日続編です。
今日のテーマは「嘘」について。
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巷では、政治家の嘘がクローズアップされていますが、
まず、嘘と言うのは、
自分に都合の良い妄想の事で、
「嘘も100回言えば真実になる。」とか、
「良い嘘と悪い嘘がある」など
色々ありますが、
これらは、嘘付きが自分の都合に合わせて
言った言葉で、嘘は嘘です。
なぜなら、
物事は、原因と結果の法則で成り立っているので、
嘘から始めた事は、嘘の上塗りにしかならず、
最終的には、物事は完成しないまま、
バレる仕組みだからです。
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嘘が良くない理由は、
他人に迷惑がかかるから。というのもありますが、
都合の良い想像で生きる事は、
同時に、ありもしない想像の恐怖心にもつながってしまいます。
つまり、良くも悪くも、
人生の全てが、想像に支配されてしまうのです。
嘘をつく人は、これまでにも色々見て来ましたが、
彼らは自分に都合の良い、想像上の偉い自分像を
他人に押し付けるのと同時に、
恐れの世界に生きていました。
恐れが嘘を生み、嘘が恐れを生んでしまうのです。
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そして、彼らは嘘を暴かれる事を、
ひどく嫌います。
今の時代、二極化が進み、
この2つの世界は共存できない。
と言われていますが、
その理由は、嘘にまみれた人は、
正論を言う人を恐れ、
近づく事が出来ません。
正論は自分を否定し、
エゴを消し去ってしまうからです。
逆に、嘘をつく人同士は、
互いに引き寄せ合います。
なぜなら、相手の嘘を認める事は、
自分の嘘を認めてもらう事につながり、
嘘の世界で、互いに安心感が生まれるからです。
これが今の政治家集団や、
DSと呼ばれる団体の正体です。
これも二極化が進行する理由です。
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ではなぜ人は嘘に溺れてしまうのか。
ここからは一つの想像ですが、
あの世は精神の世界で、
想像の世界と言われています。
食べたい物や、欲しい物は、
想像するだけで目の前に現れるそうですが、
何でも手に入るあの世は、
欲求が満たされると、逆に退屈になるそうで、
そのため、段取りや手順を踏む
物質世界を体験するために生まれて来る。
と言う話があります。
つまり、嘘に縛られてしまう人は、
まだ若い魂で、あの世の感覚を持ち続けている
のではないでしょうか。
そう言う前提で、嘘をつく人を眺めてみると、
例えば都知事の顔は、どこか幼い感じで、
都知事と言うより、「ゆりこちゃん」と言う
小さな女の子にも見えて来ます。
女の子のいたずら心が、大きなお金を動かし、
沢山の人に迷惑をかけた。
そんなストーリーが見えて来ます。
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では、魂のレベルで嘘の意味を考えてみると、
自分に都合の良い想像で嘘をついても、
この世では通用しない事。
そして、あの世とこの世の違いはここにある。
と言う事を、学ぶために、
あえて、嘘まみれの人生を体験しているような
気がします。
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嘘をつく人の特徴は他にもあって、
「誰にも見られなければバレない。」
「頭の中は、見られない。」
「証拠が無ければバレない。」
と言う感じに、バレないと思っているから
嘘をつくのです。
これは本当に面白いくらい
バレないと思っているので、
傍から見てると、冗談に思えて来ます。
人間同士の会話は、
音声や文字、単語で交わされるのではなく、
相手の雰囲気や内面を通して会話が成り立っています。
心理学的には、相手の瞳孔や表情筋、しぐさなどで、
相手を判断していると言いますが、
科学の範囲外の情報がほとんどだと思います。
それはちょうど、宇宙の97%はダークマターで
出来ているのと同じように、
言葉では説明出来ない情報から、
相手を見ているはずです。
良く言われる言葉で、
「腹黒い」とか言いますが、
実際、悪い印象を黒として認識しているのだと思います。
子供の集団を見ると元気な光を感じたり、
神社仏閣でも、光を感じる事はあります。
そして、更に嘘がひどい人になると、
内面が妖怪になっている人もいます。
偶然、道で出会った知り合いの中でも、
餓鬼道の餓鬼が、ニヤけた目から涙を流し、
奇妙な笑い声を発しながら、
両手を幽霊のように突き出している人がいました。
もちろん、近寄っては来ません。
政治家の中には80歳を超えて、
オラウータンの赤ちゃんにしか
見えない人もいます。
妖怪大行進です。
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では、この嘘の世界から脱却する方法は何かというと、
それは、先日書いた通りですが、
嘘の無い世界で生きる事。
つまり、自分はウルトラマンでも地球を救う救世主でも無く、
自分は自分に立ち帰る事。
これを、改心と言います。
とは言うものの、
改心と言うのは、簡単な事ではありません。
なぜなら、これまで培って来たエゴの自分を
消し去る事は、エゴ化した本人にとっては、
死を意味するからです。
そして更に難しいのは、
本当の自分とは何かと言う事。
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本当の自分に戻るとは、
まずは、これまでの人生を認める事です。
悪い経験、苦い経験など、
ろくな事の無かった人生ですが、
今の自分は、これらの経験から生まれています。
つまり、自分の人生には、
向かうべき方向があり、
様々な経験は、そこに向けて仕組まれていた。
と言う事に気づく事です。
悪い経験、苦い経験は、失敗ではなく、
目的に向けた学習だったのです。
もしここに、常識的成功を当てはめれば、
誰しも人生は失敗に終わっているはずです。
そのため、常識的な人生のために、
人は嘘をついて常識に当てはめるのと同時に、
自分の人生を否定して来たのです。
常識的に成功した人生とは、
絶えず笑って、絶えず贅沢をし、
ミスの無い世界を指しますが、
その常識がすでに間違っていて、
誰かの都合によって作られた嘘だと
わかって来ました。
ここでもう一度、
落ち着いて自分の人生を振り返ってみると、
あら不思議。
そう言う事だった。と気づく事が出来るのと同時に、
人生の不思議なカラクリに驚くはずです。
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人生とは何かと言う問いは、
科学や哲学だけでは解明出来ません。
知っているのは、本当の自分しか
わからないのです。
そしてこれまでの人生を認めてみれば、
元々自分が求めた人生が、
そのまま反映されている事がわかるはずです。
つまり人生とは、生まれながらに、
思い通りだったのです。
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例えば、ホームレスは不幸と考えるのは、
常識的な知識を当てはめただけで、
彼らに、職と家を提供すると申し出れば、
それは単なる押し付けになってしまうと同時に、
失礼な話です。
自分の求める人生を否定する事は、
誰にも出来ません。
それは、私たちも同じです。
自分に常識を当てはめる事は、
自分の人生に対して失礼な事なのです。
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さて、長々と書いてしまいましたが、
本日も最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
では( ̄^ ̄)ゞまた!