おはようございます。
2月は確定申告の時期で
終わりましたが、
次は5年ぶりの運転免許の更新。
なんか、国関係の事って、
面倒(。・д´・。)くさい。
でも今週行って。・゚・(ノД`)来ます。
(>Д<)ヾ(・ω・*)えらいえらい。
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そんなこんなで、
今日の話題は、タイトルの通りですが、
これまでの世界 = 結果だけを求めた時代
これからの世界 = 1から積み重ねる時代
こんな感じのお話しです。
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例えば、中国を見てみると、
ここ20年の間に急成長し、
各地で大きなビルの建設ラッシュが続きましたが、
コロナ以降建設ラッシュは急速に下火になり、
今では、新築余剰ビルの解体作業が始まっています。
これは一体何が起こっているのか。
もちろん、経済の低迷が主な原因ですが、
それ以前に、まず都市と言うのは、
最初は小さなサイズでも、
港や物流の利便性などから、
徐々に企業や人が集まり、
必要に応じて、交通網やビルが建設され、
結果として、そこに都市が誕生します。
しかし中国の場合、
現代都市とは、大きなビルが建っていて、
電気自動車が高速道路を走り、
人々はデジタル通信により
買い物や、様々な情報交換が出来る空間。
と考えたのだと思います。
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考えるのは自由ですが、
そこには理由がありません。
なぜ大きなビルが必要なのか?
なぜ電気自動車が必要なのか?
原因があって、結果が生まれるのではなく、
未来都市と言う「絵」を結果として、
結果だけを求めてしまったのだと思います。
もちろん、電気自動車を作れば、
そこには様々な利益も利点もありますが、
これは、本当は逆です。
必要な物を求めた結果、
そこに電気自動車が生まれたのではなく、
電気自動車を作るための理由を、
後から当てはめているだけだからです。
そのため、完成した時には、
デメリットが浮かび上がってしまうのです。
これを「絵に描いた餅」と言います。
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これは、どんな場面でも同じで、
結果ありきの辻褄合わせは、
何とでも言えるのです。
例えば、総理大臣はウンコで良い。
と言う前提があれば、
哲学的説明だけでなく、科学的な証明も可能です。
元々科学自体、結論ありきの辻褄合わせなので、
どんな結果も導き出す事が出来るからです。
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これは楽器演奏も同じで、
プロの演奏は表情豊かに聞こえますが、
それを結果として、
自分も表情豊かに演奏すれば、
そこに良い演奏が生まれるかと言えば、
そうはなりません。
正しい音程とテンポを積み重ねた結果、
そこに表情が浮かび上がるのが西洋音楽の基本で、
ズレた音程とズレたテンポに表情を付けても、
そこに生まれるのは変な演奏なのです。
しかし、原因と結果の関係がわからなければ、
自分の感性や表現に問題があると捉え、
最後は「楽器演奏を習得するには何十年も必要だ。」
と言う結論に至ってしまうのです。
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では一体、何に何十年もかかってしまうのか、
と言うと、
それは、基礎に気づくまでの時間です。
現代社会は、結果だけを求められる社会です。
筋道を立てて、順番に組み立てる事は、
非効率的で、面倒くさい事なのです。
立派な家を建てる時、
そこに基礎や土台は関係ありません。
穴を掘ったり、鉄骨を入れるなど、
目に見えない余計な事に、お金や時間をかけるのではなく、
とにかく立派な大きな家を建てる事が
これまでの社会だったのです。
中国は2017年、
ウズベキスタンのダム工事で、
このような工事を行った結果、
予定より5年早く完成し、
完成後3年でダムが決壊し、
10万人が避難しています。
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このように、これまでの世界は、
結果だけを求め、都合よく辻褄合わせをした事で、
最後は辻褄が合わなくなり、崩壊を迎えているのです。
この崩壊は、自然の摂理に従ったまでで、
決して天罰ではありません。
当たり前の事が、当たり前に起こっただけなのです。
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では、この崩壊した世界で、
次はどのような世界にするべきかと言うと、
せっかく0から始まるので、
1から積み重ねる大切さ、面白さ、
そして効率の良さを理解する世界です。
では、その1とは何かというと、
それは自分です。
では自分とは何かと言うと、
それは、自分だけの人生プランです。
人にはそれぞれ、生まれながらに
異なる人生プランがあり、
それが基礎となり、人生が積み重なって行きます。
それを垣間見られるのが、
繰り返しになりますがホロスコープです。
常識的には、そんなものはありません。
生まれた時の空っぽの脳に常識を暗記させ、
全員同じ動きをするのが、常識人と呼ばれる人間です。
しかしそんな常識人も、コオロギを食べながら、
そろそろ限界が来てるはずです。
?(・д・)?
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ここ数回に渡り書いていますが、
本当の自分は、常識的な自分ではありません。
常識に従う理由は、自分一人では何も出来ないと
教えられて来たからです。
つまり恐怖心から常識に従うのと同時に、
自分の大切さを見失ってしまったのです。
これまでの世界は、結果だけを求められる常識の世界で、
その常識は、上の人間の都合で作られた世界です。
しかしこれからの世界は、
自分を出発点に、1から積み重ねる世界で、
生きる実感のある世界です。
1から始まる自分とは、
何も出来ない自分で、不器用な自分で、非常識な自分です。
これが地に足の着いた自分で、
本当の意味で嬉しく楽しい自分です。
知識が多いほど偉いと言う常識の中では、
知ったふりをしなければいけませんでした。
知ったふり、出来たふり、持ってるふり、わかったふり。
これは全部、嘘の自分で、苦しい自分です。
どれだけ格好良い自分を演出しても、
そこにあるのは、虚構の自分で、
それは同時に、本当の自分の否定でもあったのです。
まずは自分に謝って、お礼を言いましょう。
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そんなこんなで、
今日も不思議なお話しでした。
本日も最後まで読んでいただき
ありがとうございます。
では( ̄^ ̄)ゞまた!