「朱蒙」オフィシャルサイトより参考引用
朱蒙というのは、 紀元前37年に高句麗を作った東明聖王のことです。
漢が半島を侵略。古朝鮮を滅ぼします。そして、4つの郡楽浪郡・玄菟郡(ヒョント)郡・臨屯郡・真番郡を置きます。つまり植民地化です。
古朝鮮の多くの難民が、重い労役で苦しんでいた。ヘモスは難民を指揮して軍を作り戦ったが、強い漢軍に破れて逃げる。
それを救ったのが、川の神の娘ユファ。川による運搬・生産物で暮らしを立てていた民。
しかし、ヘモスを追いかけてきた軍は、村ごと全滅させる。
ユファは、扶余の王子金蛙(クムワ)に助けられ子を産む。それが、朱蒙(チュモン)。朱蒙というのは、強い弓の使い手という意味。発音によっては、チュモとなり、どことなく相撲に似ているなぁと…。
そうそう、扶余というのは、今のハルピンか満州あたり。ワイとかハクという民族だったろう。
漢軍の最前線ヒョント城は、遼東半島根っこの瀋陽近くまで後退していたのではないかと思うが、もっと東かも。
朱蒙は、扶余の第3皇子として育つ。遊び好きで、辛抱のない男だった。扶余伝統の弓を引く試合で、兄たちに騙され沼にはまり込む。二人の兄は、王妃の息子。朱蒙は、側室の息子。
助けたのが、ヨンタバル商団の娘ソソノ。
朱蒙は、無事弓を探して、引くことができたが、壊してしまう。
母の勧めで、看守から武術を習う。その監獄に偶然、失明して20年間洞窟に閉じ込められたヘモスがいた。 …つづく
日本は、縄文後期。弥生初期。
2期の大量渡来人を迎え、九州北部にはたくさんの弥生人の遺跡が残る。銅剣でけがをした骨も見られる。つまり銅(青銅)の剣は、使われていた。
徐福伝来から、150年ほど過ぎている。
中国の記録によれば当時日本は、100余の国があり、楽浪郡に使者を送っていた。
卑弥呼が、魏に使いをやる300年前のことだ。
この当時、鉄の武器は最新兵器だったのだ。