こんにちはagreable(アグレアーブル)です。

 

 多摩市の自宅でエステサロンをしています。

 私がセラピストを目指すまでをお話します。

 

 1973年多摩市生まれ、男子二人の母(小1 4歳)です。

 

中学から大学まで付属の一貫校で、無難な日々を過ごしてました。

学生時代こういう職業になりたい!という強い意欲もなく

卒業後、金融関係の事務職をしていました。

 

配属された部署に恵まれ、仕事環境(人間関係)はよかったです。

 

ただ、大学時代部活をしていた生活から一変、デスクワーク。

 

動かない、でもよく食べる、新しい環境でそれなりのストレス

もともと吹き出物ができやすい体質が、さらに悪化。

それまでとは違うタイプの吹き出物ができるようになり、

体も運動しないので、筋肉は落ち、肩こり・冷え性になり

でもいただいたお給料で外食を楽しむお年頃で

なかなか痩せず。ぽっちゃりしてました。

 

そんな中、ちょっとエステに通ってみようと思い

通っていた時期もありました。

時代は大手エステの時代、

チケットなど購入してしまい通っていた時期もありました。

 

でもフェイシャルは、とても気持ちよく。

どういたらこんな技術を人にできるんだろう。

ちょっと興味をもったきっかけになります。

 

その頃同時に、昔から興味のあった外国に住んでみたいという興味が。

ワーキングホリデーというビザの制度を知り、

軽い気持ちでカナダへの渡航を応募しました。

 

最初の抽選で、落選。

落選したときは、残念というよりもなんだかホットした気持ちもありました。

新しい環境へチャレンジする勇気がなかったのかも。

 

でもその数ヶ月後カナダ大使館から手紙が、

ビザの発給数を増やしたので、落選した中から再度抽選したらビザが

あたりましたとのこと。

 

最初の抽選よりも、その敗者復活戦のビザの方が倍率的にはかなり高く。

 

なんだかこれは行くしかない!という気持ちになり

1998年(当時24歳)2年半お世話になった会社を退職してカナダへ渡航。

 

いま振り返ると、新人からやっと育てたのに、辞めてしまい。申し訳ない・・・。

でも快く送り出してくれた会社・仲間たちに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

20年以上たっても、新卒で働いた同期・先輩の方とはご縁があり、

ざっくばらんに何でも話せる間柄。

 

そしてカナダへ旅立ちます。

 

つづく