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「古代の叡智の幼稚園」
エデュケーションとセッションが一体化した新しいスタイル、エデュ・セッションで、魂が導く本来の自分の力を取り戻していくセラピーをしています。

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パー筋肉反射を使った「古代の叡智の幼稚園」セッションパー



オラクルカード無料リーディング【約10分】 限定数


サロン所在地は、


神奈川県座間市です。

 


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あさはら さとみ


全日本カウンセリング協議会

2級カウンセラー

久しぶりにインスピったので、記しておきます。


「天地人」一体と言うと、

天、上、神、霊界

地、地面、土、三次元、この世、現実

人、人間、自分、わたし

に於いて

一体となる、

という風に捉えていました。


しかし、


もしかしたら


地とは


ゲシュタルト心理学で言うところの

「図と地(じ)関係」の

地(じ)のことではないでしょうか。


スポロガムで図をくり抜いた残りが地(じ)。


この説明分かるかな爆笑


結局、両方とも口の中に放り込んで食べますが。


ある意味、スポロガム全体が地(じ)でもありますね。同じ素材で出来ています。


天は点、象(かたち)


それを産み出す地(じ)


そこを一体として体験する人、「わたし」


それが天地人一体


            (三保の松原海岸より)

若かりし頃、霊能のある人に言われたことを思い出しました。


わたしは静岡生まれで、初詣には必ず静岡浅間神社に参拝していましたが、わたしを守護しているのは、お姉さんの方だね、と。

つまり、磐長姫さんですね。


ふと、磐長姫は木花開耶姫の霊体ではないかな、と思いました。(見にくい、見え難い永遠の命=霊)


この世では、見た目やペルソナのマインドで人間関係の交流をすることが主流ですが、肉体と顕在意識の奥にあるスピリットを深く愛して夫婦になるようにと、大山祇は願ったのではないでしょうか。



しかし、瓊瓊杵尊は妻を見た目で選んだのですね。

(政略結婚なら、追い返しせず、通わずにただ置いておきそうに思いますが、送り返すという明確さがこのストーリーには必要なのかもしれません。霊なら祓っちゃったの⁈お祓い箱⁈)


しかも、妻の不貞まで疑い、木花開耶姫が産屋に火を放って子供たちを産むほど、怒りと絶望に追い込みましたね。


瓊瓊杵尊は、元祖ダメンズじゃないですか。


そもそも祖父?祖母?の天照大神も、弟の素盞嗚が来た時に、自分の所有物を奪われるかもしれないと猜疑心いっぱいでしたよね。


瓊瓊杵尊の疑い深さは遺伝でしょうかね。


遺伝と言えば、火の中で産まれた長男と三男の海幸彦・山幸彦も、心情渦巻くドロドロドラマを展開しますね。


結局、木花開耶姫は見目麗しいだけでなく、清廉潔白で勇猛な心を持ち、赤と白の交じった桜色を生んだのですね。


妄想なので、オチはないですあせる



物語が、フラクタルな相似形を成しているなら、

エノク書に出てくる天の人が、地の娘の美しいのを見て、子を成しネフィリムを産んだストーリーも想起させますね。

そして、大山祇の願い(わたしの仮説ですが)を体現している二人が、

イェシュア・ベン・ジョセフとマグダラのマリアのマスターたち。

理趣経にも通じるスピリットの高い周波数を保ちながら肉体を以って融合した夫婦ですね。




母に癌の疑いがあると聞いてから、

命の大海大河に安全無事であることを祈りました。


母から疑いが晴れた、と連絡がありました。


わたしは祈った命の大海大河に、感謝とお礼を述べました。


すると、神々・命から、「信じて祈ってくれてありがとう(だから叶えることができた)」と還ってきたのです。驚きました。


初めて「わたしの愛する全細胞よ」と借りているこの肉体に言葉を送った時も、

即座に「わたしたちも愛してるよー」と還ってきて驚いたことがあります。


それまで何十年も使っていながら、殆んど感謝らしい感情など伝えたこともないのに、それまでの無礼に対して何の恨み辛みもなく、即座の返答でした。

その時と同じです。


天に向けても地に向けても同じ反応が返ってきて驚きました。


実は数日前、レタスの種の発芽したものを、ペーパーポットに植え替えたのですが、レタスは光を好むのに、覆土を厚くかけてしまいました。

農家さんから、これではダメになる、と言われ、

その晩も命の大海にお願いしました。ちゃんと本葉が出て成長しますように、と。


翌々日、お蔭様で芽は覆土を乗り越えて顔を出していました。

感謝です。


森を復活させる力である命の大海、命の水は、わたしたちのすぐ側で、わたしたちの祈り、念じることを待っているようです。

先週の木曜日くらいから、何故か右足の踵の内側が痛かった。


ネットで調べてもピンとこない。


よーく考えたら、水田の稗取りをしていて、足を痛めた可能性がある。


泥水の中で、足が吸盤で吸い付かれたたような状態になっており、後方に見えた稗に気を取られて、体の方向転換をした時に、足首を捻ったのを思いだした。


足首自体は痛くなかったので忘れていたが、筋は炎症していたようだ。


3-4日痛みが続き、困ったなぁと思っていたが、

次に右顎の下のリンパの辺りが痛くなった。


何で右にばかり出るかなぁ、と思いながら、

「もしや」と思い、リンパを揉みほぐした。


翌日、踵の痛みは、足の裏に移行し、そして全ての痛みは抜けていった。


痛みが移動した時点で思ったが、人体ってすごいなぁ。


こうやって治していくんだなぁ。


バランスをとりながらね。


益々「わたしの愛する全細胞よ」と呼びかける声に、情感がこもった。


追記:

稗を取って、田んぼの畦に投げるのですが、

頭の中で、不満や批判みたいなことを考えていたりすると、投げた稗が狙いを外したりします。

不平不満や批難じみたことは良く無い、というより、自分が望むように力を発揮することができないから、おすすめの状態じゃ無いよ、というなんですね。

体が教えてくれます。


狙いを外した所に稗を投げてしまうと、せっかく引いた草が、そこで増えたり、種を落としては逆効果。

自ずと、狙い通りに稗が投げられると、「ありがとう」と言ってました。

一日中、稗を引いて投げているのだから、何回「ありがとう」と言っただろう。

ありがとう畑になりました。

日常で自己鍛錬に取り組む時


集中力が表れるまで


雑念の雲を掻き分けて突破するまで


自分を責めずに


切り抜けなければならない


日常は雑念の周波数の中なのだから

その帯域を通過せずには進めない


開始してから十数分は、その雲の領域を通過することを、心得て取り組み始める必要がある


でも、日常から出発すると、周波数が落ちている自覚が薄いので、毎回雑念に煩わされて引っかかってしまう


毎日のことなのに、翻弄されてから氣付く


そろそろ心得てようよ、わたし爆笑


そして、旅な途中で答えを急ぎすぎるな、わたし!

芥川龍之介の短編小説「蜘蛛の糸」


カンダタとお釈迦様の物語


この蜘蛛の糸が、青だったら登り切れたかもしれない…などと思いつつ


今ではオンラインで氣軽に読める時代なのですね。


この一文が改めて、重要なメッセージでした。

自分一人でさえれそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数にんずの重みに堪える事が出来ましょう。もし万一途中でれたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎かんじんな自分までも、元の地獄へ逆落さかおとしに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、そう云う中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよとい上って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。

 そこで※(「特のへん+廴+聿」、第3水準1-87-71)陀多は大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸はおれのものだぞ。お前たちは一体誰にいて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」とわめきました。

 その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急に※(「特のへん+廴+聿」、第3水準1-87-71)陀多のぶら下っている所から、ぷつりと音を立ててれました。ですから※(「特のへん+廴+聿」、第3水準1-87-71)陀多もたまりません。あっと云うもなく風を切って、独楽こまのようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。


三次元的な一般物理法則の発想で、チャンスを活かせなかったのですね。


まさに、今のわたしに降ろされた蜘蛛の糸の言葉でした。


蜘蛛の糸が青だったら、と思わなければ、この小説を再読しようなどとは思わないのですから、どこからどこまでも天のはからいです。


小説は続きます。

後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。



 御釈迦様おしゃかさまは極楽の蓮池はすいけのふちに立って、この一部始終しじゅうをじっと見ていらっしゃいましたが、やがて※(「特のへん+廴+聿」、第3水準1-87-71)陀多かんだたが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、※(「特のへん+廴+聿」、第3水準1-87-71)陀多の無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
 しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着とんじゃく致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足おみあしのまわりに、ゆらゆらうてなを動かして、そのまん中にある金色のずいからは、何とも云えないい匂が、絶間たえまなくあたりへあふれて居ります。極楽ももうひるに近くなったのでございましょう。
(大正七年四月十六日)」
モーセの海を割った後に続く追手が海に飲み込まれた物語の霊的意味合いと同じく、奇跡の道を歩み出したら、振り返って古い常識や古いやり方に後戻りすると命取りなんですね。
身を滅ぼす危険が追ってきます。
危険は奇跡の未来の方ではないことを、早く理解しなければなりません。

それがなかなか難しいんだなぁ。


2025.9.8追記

「見真実」してしまったら、「顕真実」まで一本道しか存在しない。

後ろを振り返っても不退転。引き返すのは危ない。

前にも後ろにも進めないと、立ち止まるわけにもいかない。命が危うくなる。

前進しか選択肢がない。

頭で知って、腑(体)に落とさない、実行しない、本当の理解をしない、現実化しないのは、あり得ないのでしょう。


王仁三郎さんは

「旧九月八日までに

きれいに掃除しておけよ。

残る心ケダモノぞ。

神となれば、食うことも着ることも

住む家も心配なくなるぞ。

日本晴れとはそのことざぞ。」

と伝えている。

今と真逆。

人は衣食住のためと称して、肉体のマインドにしがみついて離れられない。

天は、手放せ、シフトしろ!神になれ(神に戻れ)と言っている。

戦々恐々です。


そして、わたしは進軍し続ける


追記:

戦々恐々と書きましたが、自分の中に恐怖心がこんなにも散らかっていて、足の踏み場も無いことに氣付き、愕然としました。

恐さの中には、

映画「インセプション」や「マトリックス」で描かれているようなものもあるな、と思いました。

「インセプション」で潜在意識に潜入した時に、潜在意識に異質なもの、異物として氣付かれてしまう恐さ。

「マトリックス」でスミスに氣付かれてしまう危険性のような恐さです。

上手く描かれているなぁ、と思います。


ヘンデルのMessiahのレコードジャケットを見ていて、ふとアナグラムが氣になりました。


昨日、入院中の友人のお見舞いに行った時、リハビリ用の脳トレプリントを一緒にやったからでしょうかね。


初めはややこしい組み直しを考えましたが、

素直に逆から読むと

Hazimeになりました。


Sは2つで重音だからZ


アルファであればオメガでもありますね。


初めに救済はあり、

初めを知る、

初めに還る

のが救済なのでしょう。


また「始め!」という号令にも聞こえます。

氣付いたその瞬間にいつでも始めなさい!

ということですね。


他にも組み直したら出てくるかもしれませんね。


YouTubeで「ヴォイニッチ手稿」をAIが解読したら、

「我々は闇から見ている」という一文がある、と言ってました。

怖がらせるようなニュアンスを感じたけど…

きっと、それはヴォイドでしょうね。


「我々はヴォイドから見ている」なのでしょうね。

素敵だわ。




当たり前と言えば当たり前なんだけど、

わたしたちは目玉を2つ持っています。


2つしかないとも言えます。


つまり、世界を見ているのは、この2つの目です。


細胞ひとつひとつには、眼球が付いていません。


だから細胞は、2つの目が見た視覚をシェアしてもらっているか、あるいは、細胞にとって直接の世界は暗闇になります。


刷り込まれ、洗脳された固定的イメージからは、暗闇をネガティブな印象に思うかもしれませんが、

その暗闇はヴォイドであり、空です。


細胞はヴォイドに存在していることになります。


視覚に騙されない世界に在るのです。


ヴォイドについては、ここにも書きました。


だから身体のすごさには、霊魂の力とは異なる叡智を感じたんだなぁ、とわたしは合点がいきました。


なんのこっちゃ分からないかもしれないけど、独りで感動したので記しておきます。


わたしたちって

「物語、ストーリー」を

無茶苦茶欲する存在なんだなぁ、

というのが、ヒシヒシと

実感されています。


そして、それに良い悪いや、正義や非道、本当・嘘を乗せかけて、

感情を動かしている。


とにかくストーリーが常時欲しい存在なんだなぁ。


一瞬たりともストーリー無しには生きられない存在なんですね、わたしたちは。


そもそも、わたしってストーリー。



50歳過ぎるまで、ロクな人間ではなかったから、ロクでも無いことが起きたんだなぁ、と思いました。


ロクな人間とは、6な人間。


一般的に言われる第6チャクラを使った生き方をしていなかった、ということ。


第6チャクラは松果体のあるところですね。中脳。


霊的な中枢でもありますね。


「松の世」とは、松果体をみんなが使って生きていく世の中なんだろうな。


そうすれば、霊主体従だしね。




一寸先はヴォイド


良い言葉だなぁ。


ヴォイドは、カバラで使われることば。


佛教でいう「空」と同じイメージで捉えています。


でも、ヴォイドというのと、空、または闇、と言うのでは、印象が違いますね。