「即興」という言葉は、
実に誤解の種になりやすい。
それは、即興の意味する範疇が広いからという理由ではなく、
即興の意味が各人の造詣に応じて指し示す範疇が違うからである。
即興演奏家や即興音楽シーンに精通する人の間では、
即興をインプロヴィゼーションと英訳するだろう。
インプロヴァイズドミュージックとはどういうものを指すかを知ると良い。
対して、即興音楽シーンは未開拓であり、
ジャズやブルースやロックなどの音楽シーンに精通している人の間では、
即興をアドリブと英訳するだろう。
フォームの上で即興演奏したり、その演奏内容に指定があったりすると、
それをインプロと呼ぶには即興演奏に精通する者は違和感を感じ、
アドリブと呼ぶべきだろうとボクなんかは思うし、周りに訊いてみてもそうだ。
ひとつふたつエピソードを書き記す。
ひとつはボク自身大きな誤解をしていたのだと、さっき気がついたことだ。
いま稽古で入ってる演劇で「即興演奏」と言われていたものは、
インプロをしてくださいと言われているものとばかり思っていた。
道理で、窮屈に感じたわけだ。
フォームが固定されていき、演奏内容のベクトルに指定が増えていく、
例えばここはアルペジオだとか。
つまり求められてるのは、アドリブなんだ。
大いに、そのフォームや与えられたキーワードに即したアドリブをすれば良かったのだが、
湧いてくるイマジネーションと目の前の指定の距離感に、違和感を感じたり、シンパシーを感じたり、結局はインプロ脳でそこに居たのだった。
髪を洗いながら、稽古の音楽を振り返り、自分の抱えてた謎が解けた瞬間、スイッチがパーンと切り替わり、一気に視界が開けた気がした。
ここではインプロ脳からアドリブ脳に切り替えろ自分!
思い出せば、このようなことは、非常に多くある。
とある即興演劇のワークショップで、「音楽を即興で」という場面をはたから見ていた。
見学ね。
そこに即興性がなくビックリしたことがある。
あらかじめ彼の頭の中にあるコード進行を延々ストロークして歌わせていたのだけど、
これは完全にアドリブです。
そこで演者が考える歌詞についてはまだインプロと言えるだろう。
もしこれを完全なインプロでやりたいなら、
演奏者も役者も、無限のイマジネーションと自由のなかから紡いでいって音楽を完成させようなどと思わず経過を音楽と考えて取り組んでほしい。
その上なら、フォームやコード進行的なものが現れても、それはインプロです。
アドリブは、
インプロ度を高くすることも、低くすることも出来ますよね。
それもアドリブの特徴かと思います。
インプロよりは外見的、結果重視、な気がします。
インプロスイッチ、アドリブスイッチ
これをどちらか入れる
どちらも入れる
どちらも入れない(笑)これはないか!
というわけで、3通り考えています。