いくらなんでも真剣に2人の今後を考えているとしても、メールの一つや二つくれてもいいんじゃね?

それもない。

これが甘え、器の小ささなのかい?

そーなら「生きる」って大変なんだね。

相手の気持ちをくみ取って我慢に我慢を重ね連絡絶っているんだが、連絡来る気配は皆無。

バカにされてんのかね。




この間、いろいろ情報収集したよ。

多くの人の意見を拝見してみたが、ま~~~多種多様なご意見がありまして。(所詮ネットですが)

まそれを真似する気は毛頭ない。

参考にして、自分なりに導き出される最善の行動を取ろうと決める。

今週中には自分のことが少しだけ落ち着く予定だから、その後メールしてみようと。

淡々と事務連絡+自分の心境の変化を。




しかし季節が過ぎるのは早いもので、距離置き宣言から1カ月、もめ事からから換算すれば実質2カ月。

苦痛に耐えながら生活している。

外出しても目につくのは幸せ者たち。

世の中はモノクロにしか見えてこない。

どんより曇り空の心。

それは決して晴れない。






その苦しみが急激に消え始めた。


なんで?


わからん。



強いて言えば



一歩引いた視野の獲得。



という言葉が適切か。




もう何もかもわからん。ひろこへの気持ちも。









冷静に考えているこの期間、思いを巡らす。

その結果。

「彼氏天彼女の関係に戻りたい」という気持ち。と

将来への不安、「まじでこの子でいいの?」という気持ち。

正直なところ、2人の考え方の違いについて、その甚大な差違は否めない。

生き方、子どもに対する考え方、その他価値観、、、


キツイ表現だが、明るい将来が見えない。

なんか衝突・我慢・顔色うかがいの毎日のような。

仲良しだった頃にも未来を想像はしていたが、当時は無理やり明るいそれを描いていたんだと思う。

2人はこの先ずっとだ、運命的ななにかがあるんだ、だからきつくてもがんばろうよ、と。



でーもーさー!!




基本的考え方が同じやつで、お互いが思いあえるような関係になれるやつなんてそんないねーだろ。

ましてや、完全一致なんてない。少なくとも付き合っている関係だったら。

みんながみんな努力しあったたり、思いあったり、歩み寄ったりしながら、その隙間・溝を小さくしていくと俺は考える。

だからこそ、今までの期間ひろこのためにしてあげたこと、それは必ず伝わっている信じる。

あの子もそんなに頭悪くないし、子どもでもない。

全てに下心がなかったわけではない。

心からひろこを助けてあげたい、この気持ちがそこにあったことは本当。間違いない。

ホントに心から何かしてあげたいと思った。とても心地よい感覚。

そうすることで自分自身なんか嬉しくなったり。不思議だねほんと。



ただそれも踏まえての距離置き宣言だったと思うと、悲しいね。




全くもってまとまってないですが最後に、





最悪の事態を予想して、先回りして傷口手当はしない。

そして、「信じる」と言ってるだけで、実際「何も考えなてない」、このカスmindは終わりにする。



あの子自身が成長したい、と言い始めたわけだから、きっと今もたくさんたくさん頑張っているに違いない。

だから、俺もそうしているし、そのおかげで発見・再認識が多くあった。

そういった意味で、本当にありがとう。そう伝えたい。
だからこそ自分の行動、心の成長と呼べるであろう現在の心境をもって、自分自身に自信をつけたい。

いいかげんなことはしない子だから、俺の変化を期待しての距離置きなんだだと考え始める。

この機会を無駄にはしない。

会えるか分からんが、会ったときに全身からにじみ出るほどオーラがでるくらい男になってやる。

結論が出てても知らねー。

きっと、もしかしたら、、、こんな気持ちは心の片隅に追いやって、新しい今の自分でFULLPOWER ATACKしてやる。

肩書きや立場、自分にまとわりつくすべてを取りさった時、残るものはなんだろうか。

漠然と考えられるが言葉で表現できない。←頭悪いんで


ただ考えているだけでは何も始まらない。

行動に移さなければ。



「人は行動によって決まる」



人間として豊かで、魅力あるそれになるために大切な教えのひとつ。

そして、これまでの過去に対する反省の念と、今後の人生について考えさせられる言葉。



少しだけ心が落ち着く。


カオスメンタルの中に小さな「統制」が現れた、そんな気分。

いつもの勉強の時間。


そこへ耳に入るか弱く幼い声。


窓の外に目をやる。


ちゃりんこパパとその子どもたちが帰宅の途?についている光景。


あの~













午前2時ですけど、、(( ゚Д゚))




近所の秋祭りだったのは知っている。


その流れでの飲み会だったのだろうと察する。


楽しい時間はあっとゆー間に過ぎ去り時間を忘れるのも無理もない。


日々忙しく仕事をこなす父親にとって、また子どもにとっても親子のふれあいのための貴重な時間だったのかもしれない。









でもだよ?



俺にとってにわかには信じがたい光景であったことには間違いない。


へらへらする親父と元気いっぱい走り回るkids



近頃こーゆー連中大杉


これが現代なのかい?


それとも俺が知らんだけで以前からこんなことはザラだったのかい?




(´・ω・`)








俺みたいな人間に何言われても響かんだろうが








親の自覚あんのかよおめーら