8月1日(土)山口県周防大島『サタフラ』(Saturday Hula)
道の駅(15:30~15:45)と マリッサリゾート(17:00~17:15)のステージを終え
17名分のチェックインをする中野えみこ先生です。
モンペ姿でも違和感がないのよ 😃
今日は中野先生のホレホレ節の衣装について少しお話を...
上はお母様の着物を解いて作られたそうです。
下は絣のモンペ、
そして当時の移民も身に付けていた前掛けも欠かせません。
今回のステージでは新しく地下足袋もご用意されました。
実際、明治時代のハワイには地下足袋というものはなかったので、
彼らは自分達で代わりになる物を考えました。
ベルトコンベアーです!
刈ったサトウキビはベルトコンベアーに乗せて工場内に運ばれます。
痛んで廃品となって捨てられていたそのベルトコンベアーのゴムを底にして
お手製の地下足袋が作られました。
彼らはこれで足元を守ったのです。
バーバラ川上さんの本に書いてありましたと中野先生が教えてくれました。
カワカミさんには衣装を作っていただきました。その時から私は、「ホレホレ節ガール」となったんです。その頃、私はちょうど写真花嫁と同じくらいの年齢でした。写真花嫁として渡った一世女性のほとんどは、17歳、もしくはもっと若くしてハワイへ嫁いだ人々です。「ホレホレ節」は、人々によく知られるようになり、ウラタ先生の弟子たちは地域のイベントなどでもこの曲を唄うようになりました。
私がこれを唄う時は、バーバラが作ってくれた衣装を着るようにしています。手織りの綿(絣)製で、サガミ・シノザワさんという方が広島からハワイへ持ってきた生地です。シノザワさんは、写真花嫁としてハワイへ渡っていました。彼女は、未使用の生地一反を、バーバラへリサーチのためにと譲ったものでした。
まあ、その辺の葛藤を30年くらいですかね、
浦田氏から晩年「誰が歌ってもいいんだ、歌い続けてくれることが嬉しい」
という涙の出るようなメッセージを病床から頂いて、
私はまだこうして有り難く歌わせて貰っています。
そのアリソンさんとはロコモコ主催Chihiroさんの結婚式(Honolulu)で偶然会うことができました。
アリソンも私の名前は知っていたようです。お互いCDの話をしたと思います。
今日は長くなりましたが、ホレホレ節を歌う時の衣装は今でもとても悩みます。
絶対きらびやかな衣装は合わないでしょう。そうとて私の場合はそれ1曲でなくて
他はハワイアンソングなものですから、どうしましょう ....
そういった訳で中野先生がモンペ姿で踊って下さると私は本当に助かるのです。
ありがとうございます。


