テーマ「My History」の中で昨年書いていた ”初代フラガール” の連続投稿と重なる部分も多いにあるかと思いますが、フラミュージアムの展示写真(一番前で踊っているのが真鍋さん!)のご本人とここでこうしてお目にかかることができましたので、またポツポツとブログろうと思います。

 

「お写真お願いしますっ!」と記念に撮らせて頂きました。少し照れる真鍋さん。

 

 

 

 

真鍋さんの後ろに見える小さなカラー写真のお二人が東京から学院に踊りを教えに来ていた早川先生(右)と佐竹先生(左)です。

 

1964年4月1日、常磐音楽舞踊学院発足。開業まで10ヶ月を切っていました。3ヶ月後にはPRキャラバンがスタートします。その第一弾が7月最後の日曜日、海水浴客で賑わう勿来(なこそ)海岸でした。仮設ステージには『常磐ハワイアンセンター公演』の横断幕が掲げられ、2万人の観客が集まっていました。初めて人前で踊るのです。

 

それまでに覚えた曲はフラだけで13曲!!たった3ヶ月の間に、です。一番人数が多かった15歳から最高齢21歳までの若い、頭の柔軟な、覚えが早く、そして忘れない年齢だからこそ可能だった13曲ではないでしょうか。

 

勿来(なこそ)のステージではジャズバンドや女子ブラスバンドの出演、そしてフラが1曲か数曲、フィナーレはタヒチアンダンス。

 

2万人の観客は生まれて初めて見たであろう腰振りダンスに度肝を抜かれたのではないでしょうか。「この観客たちが常磐ハワイアンセンターの名を広めてくれるだろう...」中村社長は確信します。実際、翌日の新聞にも大きく取り上げられました。

 

参考文献 : 大腰明子著『踊るこころ』

 

 

いわきの帰り、その勿来の駅があって慌てて写真を撮りました。往きは気がつきませんでした。

 

 

 

海岸はまだ見えません、、、

 

しばらく走ると あっあっ 見えて来た!! 

 

 

 

 

 

タヒチアンダンスを始めて見た観客の顔が目に浮かぶようです。

見てはいけないものを見てしまった、けれど初めて見るこの世界は何て気持ちが高ぶるのか ... 

 

フラの伴奏もタヒチアンの伴奏も常磐炭鉱の坑夫たちがツルハシを楽器に持ち替えて、また、タヒチの打楽器も叩き、初代フラガール達のステージを支えます。

 

あの日、勿来海岸に来た観客はどこか興奮させるタヒチの打楽器 "トエレ"の突き抜ける音も初めて聞いたことでしょう。

 

57年前 ....