ハルビンに残る731部隊の研究施設
森村誠一氏による【悪魔の飽食・あとがき】をご紹介する前に、私が大変ショックを受けた生体実験をご紹介します。
◆我が子を使って「凍傷実験」
★「生体実験していない」吉村氏
吉村班の当時の責任者であった「吉村寿人氏」は1982年11月4日、毎日新聞のインタビューに答えて次のように語っている。一問一答は次の通り。
(問)冷凍装置で凍傷の生体実験をしたと指摘されているが。
(答)当時はまだそういう装置はなかった。対ソ戦略のため、防寒具が氷点下70度でも耐えられるかどうか調べたいというので、冷凍装置を作った。資材の到着が遅れ、終戦間際にようやく試運転にこぎつけた。ところが、ソ連の参戦で爆破した。この話を少年隊員が聞きかじって、そういう話になったのではないか。
(問)民族別の凍傷予防研究を行ったというが。
(答)中指を氷水につけて反応を調べる方法は、ハンチング反応といい、今も使われている方法だ。当時氷点下4度にならないと凍傷にならないことが関東軍の調査でわかっていたので、零度で実験した。
しかも、マルタを使ったのではなく、現地人の協力を得て調査した。生体実験などというものではない。私はマルタを管理している特別班には近寄らないようにしていた。
その後、凍傷治療を研究することになり、部下の軍医中尉にやらせた。彼からの報告はあったが、あまり聞かないようにしていた。彼が何をしたか、よく知らない。
(問)赤ん坊を凍傷予防の研究に使ったというのは事実か。
(答)この問題は47年に学術会議で問題になり、共同研究者の技師(48年に死亡)に問いただした。彼からは手紙で「自分の赤ん坊を使った」と知らせてきた。手紙は今も持っている。
当時、生命は羽のようなものと考え、軍隊に協力することは名誉と考えていた。自分の子供を実験に使うことは問題ではなかった。ジェンナーが天然痘の種痘を初めてやったのも自分の息子じゃないですか。
(問)石井部隊に入ったのはなぜか。
(答)大学の恩師から「満洲へ行け」といわれた。断ったが、行かないと破門する、といわれた。
(問)自身では生体実験をしていないというが、部下の監督責任はあるのではないか。
(答)監督責任はあるかもしれない。しかし、軍隊に入ったら仕方のないことだ。
だが、当の吉村氏が自らの凍傷実験について学術論文を発表している。(中略)。
それは吉村寿人氏が、戦後、日本生理学会の英文雑誌「ジャパニーズ・ジャーナル・オブ・フィジオロジー」に発表した寒気生理学の論文である。
吉村氏は、百数十人の在満日本人学生(18~28歳)と中国人労働者に行った人体実験、そして民族的差異の実験対象として中国人、満州蒙古族、オロチョン族を対象として行った人体実験、そして年齢差を調べるために7歳から14歳の中国人生徒に対して行われた人体実験を発表している。
そして驚くべきことには、生後3日目、1か月目、6か月目の赤ん坊の中指を冷凍水に30分漬けた人体実験の表も、その中で発表しているのである。
読者はその実験が、志願者の好意などによるものではないことを一目で見破ることができる。生後3日目の赤ん坊が好意で指を冷凍実験に提供する訳がない。
ましてや普通の家庭の親が、生後3日目の子を冷凍実験に好意で提供するはずがない。そして、30分もの間、水に漬けられた赤ん坊は声を限りに泣き叫ぶであろう。
そういう状況で赤ん坊に実験を強制できる施設は、密室の中で特別に作られた状況でなければ不可能である。つまりこの場合、731部隊の施設だと考えるのが当然だろう。
しかし、私にとっては、その状況の無惨さもさることながら、そうした論文を受け入れる日本の学者たちの感覚こそが、想像を絶するのである。
◆終章・戦争という集団発狂の中
本実録の終了にあたって、我々は、第731部隊が日本人にとって何であったかという問いを考えてみたい。
読者においては、次から次に明るみにさらされる「731の悪魔の所業」に、これがはたして人間の行えることなのか、人間がこれほどまでに残酷になれるものなのかと疑い、思わず読む目を背け、読み進むのを止めようとした方も多いだろう。
だがここで敢えて申し上げたいのは、人間が戦争という狂気に取り憑かれた時、それは少しも残酷でも異常でもなくなってしまうということである。
むしろ残酷な命令を拒否し、平時の正常性を留めている人間の方が、命令違反者、非国民として懲罰される。また国民は、その懲罰を恐れて心ならずも、「残酷異常命令」に従っているわけでもない。
★本日は7月7日(下記動画より)
(参考)盧溝橋事件(世界史の窓)
戦争という国家的集団発狂の中で、自己の行為が「お国のために」役立っているという確信の下に、悪魔の所業をためらうことなく遂行するのである。(ここ大事)
真に恐ろしいことは、この残酷を犯した人たちと、我々が別種の人間ではないという事実である。我々も、第731部隊の延長線上にある人間であるということを忘れてはならない。
再び戦争が起きて同一状況下におかれれば、我々も同じ残酷外道の所業を何度でも累(かさ)ねることができるのである。(故・森村誠一)(続く)
★過去記事
【毒ガス工場】毒ガスの方程式を忘れることはできない