高野山の法話 #20 「虚往実帰」

 

11月3日の「密教界最大の超人~空海(6)」の文中で、「『貧しい者は金銭で救い、愚かな者は法で導いた』と、空海はその師・恵果の徳を讃えているが・・・」とあります。これは「虚しく往きて実ちて帰る(虚往実帰・きょおうじっき)」という有名な言葉のことです。

 

貧を救うには財をもってし、

 

愚を導くには法をもってす。

 

財を積まざるをもって心となし、

 

法をおしまざるをもって性となす。

 

ゆえに、もしくは尊、もしくは卑、

 

虚しく往きて実ちて帰る。

 

【現代語訳】

師の恵果阿闍梨は、貧民を救うには財貨を用い、愚民を導くには仏法を用いました。財貨を蓄積しないことを心とし、仏法の教授に力を惜しまないことを旨としたのです。それゆえ、高貴な者も、身分の低い者も何も持たずに出かけてきて充実して帰りました。(『性霊集』巻第二)

 

 

この言葉は、空海がその師である恵果阿闍梨の人柄を述べている碑文の一節です。内容は、師がいかに清貧であり、弟子を育てる上で力を惜しまなかったかというものです。

 

この碑文の中で最もよく知られているのが、『虚しく往きて実ちて帰る』という言葉ではないでしょうか。空海は、この言葉に続けて各地からすぐれた教えを求めてやって来た弟子たちの名前を挙げています。そして、彼らが「近きより遠きより、光をたずねて集会し」、充実して帰ることができたことを述べています。

 

 

この‟光”は、密教の教えを意味しています。と同時に、「貧民を救うには財貨を用い」とあるように、地位や財を求める人への援助や、病人の治療にも対応したことを挙げていることから、様々な援助や救済をも意味しているようです。

 

様々な光を求めてやってきたすべての人にそれぞれ充実したものを与えて帰した恵果の人柄に、出家者や教育者の模範を見ることができます。空海もまた、中国に渡って師・恵果から密教という新しい教えのすべてをわずかな期間で受け継ぎ、日本に帰ってきました。この時、恵果が臨終に際して残した言葉が空海の胸にしっかりと刻まれていたことは間違いありません。

 

その言葉とは、「早く本国に帰って、この教えを国家に捧げ、天下にひろめて、人々をより幸せにするようにしなさい」というものです。密教の教えは人々の幸せのためにあるという師・恵果の思想は、空海に確実に伝えられました。

 

弘法大師直筆・御請来目録(滋賀・宝厳寺蔵)

 

帰国後、空海が朝廷に提出した『御請来目録』(中国から持ち帰った経典、曼荼羅、仏像、法具などの目録)にも、師・恵果との出会い、師から仏法を受け継いだこと、師の入滅などが詳しく述べられていますが、この碑文と合わせて読むと、恵果と空海との関係が不思議な深い縁であることがわかります。

 

密教界最大の超人~空海(5)(10/26)より

 

実際に空海は、この碑文の中で、二人の関係が現世と来世の宿命であることを次のように述べています。

 

「恵果阿闍梨は入滅の夜、夢の中で弟子であるわたし(空海)に向かって次のように述べられた。お前はまだわしとお前との間の前世からの契りの深さを知らないのか。何度も生まれ変わりを重ねる間に、密教の教えを広めることを互いに誓いあったではないか。代わる代わる師となったことは一、二度ではない」と伝え、「お前は西方でわしに師弟の礼をとったが、来世ではわしは東に生まれてお前の弟子になろう」と約束しています。

 

恵果阿闍梨(746年~806年1月12日・永貞元年12月15日)

 

恵果阿闍梨は、805年12月15日に入滅しました。この碑文は、空海が師のために書いた追弔文であり、翌年の正月に著されています。(『日本人のこころの言葉・空海』)

 

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赤字で記した

「恵果と空海との関係が不思議な深い縁である」

 

「お前は西方でわしに師弟の礼をとったが、

来世ではわしは東に生まれてお前の弟子になろう」

 

この点については、「見えない糸に導かれて~vol.3~vol.5」で明らかにしています。いつもありがとうございます。では~ハート