【報ステ】国会こう着 自民党幹部「解散も選択肢」(4/25)

 

昨日、森山裕国対委員長(自民)の発言により、微弱な解散風が吹いてきました。その前には、BS番組で飯島参与が以下の発言をしていました。

 

 

今後の外交日程が非常にタイトです。中東訪問(イスラエル・パレスチナ自治区・UAE・ヨルダン)は4月29日~5月3日らしいですよ。もしこの合間をぬって解散総選挙となれば、安倍首相はかなり強靭な体力の持ち主ってことになりますね。ガーン

 

安倍首相は午前中の国会で、「解散総選挙は全く考えていない」と発言されておりますが、半年前の「意味不明の国難選挙」の例もありますので、眉に唾ですね!えー 「全く」とか、「ハッキリと」とかの言葉が出て来ると益々怪しくなってきます。おばけ

 

安倍首相「解散は頭の中にまったくない」(4/26)

 

仮に解散総選挙となりますと、佐藤栄作首相が1966年(昭和41年)師走に断行した「黒い霧解散」に似てくると云われています。野党がイマイチですし、なんといっても政治に無関心な層が多いので、投票率50%台で実施されれば、安倍政権の思惑通りになってしまいますね。アセアセ

 

「黒い霧解散」については、お若い読者はご存知ないでしょうから、今朝配信された板垣氏のメルマガから抜粋引用いたします。

 

「大命降下」の反逆者・「朝敵」安倍晋三首相は、「3選欲の鬼」、「精神状態はまともなのか」と訝る声が自民党内からも吹き出す(4/25)より抜粋引用

 

安倍晋三首相が、「衆院解散」を目論むのは、大叔父・佐藤栄作元首相が断行した「黒い霧解散」をスタディ・ケースにしているからだ。

 

 

 

黒い霧解散とは、佐藤栄作首相が1966年12月27日断行した衆院解散である。日本の政界では1966年から黒い霧事件が相次ぎ、政治不信を招いた。

 

 

①田中彰治事件・・・吹原産業事件の捜査の過程で1966年8月5日、田中彰治衆議院議員が逮捕された。田中は決算委員長や決算委員会理事として決算委員会を舞台に職権をフルに使って政財界の癒着を粗探しして表向きには追及する素振りを見せながら、その実その当事者を脅して金品をせしめていたが、捜査によって田中のマッチポンプの一部が明らかになった。
 

②公私混同お国入り問題・・・上林山栄吉防衛庁長官が1966年9月2日、長官就任後に地元選挙区の鹿児島へお国入りの際、統幕議長、陸海空の三幕僚長を従え航空自衛隊のYS-11型機で帰郷。しかも、陸上自衛隊音楽隊を連ねて地元をパレード。さらに同級生や後援者を秘書名目で同機に同乗させた。

 

③深谷駅急行停車問題・・・荒舩清十郎運輸相が1966年、自選挙区の埼玉県深谷市の深谷駅に急行列車が停まるよう国鉄にダイヤ改定をするように圧力をかけた事件。10月11日荒舩清十郎運輸相が辞任。

 

④共和製糖事件・・・共和製糖が1966年9月27日に重政誠之農林相時代に払下を受けた国有林を担保に農林中央金庫から不正融資を受けていた事件が発覚。東京地検特捜部は1967年2月8日、菅貞人前共和製糖社長ら同社幹部6人を業務上横領などの容疑で逮捕。

 

⑤公私混合官費旅行・・・松野頼三農林相臣が、新婚の娘夫婦とナッソー、ラスベガスなど外国観光地巡りを官費旅行として申請していた事が発覚。

 

⑥東京大証社長仲人問題・・・山口喜久一郎衆議院議長が1966年12月2日、当時、インチキ手形にて3億円を詐欺した容疑で問題となっていた手形割引業者「東京大証」社長・水野繁彦の結婚式で仲人を務めていたことが発覚。

 

 

佐藤栄作内閣は12月27日に国会が召集された初日に衆議院を解散した。1967年1月29日に投票が行われた総選挙では、逆境下の選挙戦となった。

 

 

 

自民は善戦して予想外の微減にとどまり、予想外の善戦をし、安定多数を維持。佐藤栄作首相は勝利を宣言。大山鳴動して鼠一匹の結果となった。佐藤栄作首相は求心力を高め、第2次佐藤栄作内閣を発足させた。(引用終了)