「ブラタモリ番組HP」より

ブラタモリ、和歌山県の高野山へ!
高野山といえば標高800m、紀伊山地のてっぺんに開けた仏教都市。世界文化遺産にも登録され、いまや年間180万の観光客がやってきます。
 

もともと空海が平安時代にひらいた、真言密教の修行の場である高野山。以来1200年、後継者たちによって大切に受けつがれてきた聖地は、いつしか空海を身近に感じられる仕掛けが満載の、いわば「空海テーマパーク」といえる場所になりました。タモリさんが、知られざる高野山の姿を、徹底的に探ります。(引用終了)

 

 

 

まだ旅の疲れが残っていますで、ちょっとだけお伝えします。今晩放送のブラタモリ(午後7時半から)では、3週連続で高野山特集が放送されます。京都でもない限り、3週連続とは珍しいことです。

興味のある方は、是非ごらんください。見逃しても再放送があります。ウインク

 

今回の旅は「高野山・熊野の旅」でした。それは5月末には決まっていましたが、出発する前週の飛鳥動画は「空海特集」でした。何点かヒントをいただきましたが、旅から帰ってきてからの「ブラタモリ・高野山編」には驚かされています。

 

高野山には3日、4日と連泊しましたが、高野山そのものには3年前に訪れておりますので、少しだけの見学でした。宿泊先を拠点にして他地域を巡ってきました。

 

一の橋入口

 

前回は中の橋から奥の院まで歩きましたので、今回は一の橋付近を散策しました。飛鳥氏に教えられた景教碑を確認するためでした。

 

「弘法大師夢のお告歌碑」

 

「弘法大師夢のお告歌碑」を左に曲がりますと、すぐに見えてきます。ただし、中国・西安市の博物館に保存されている「大秦景教流行中国碑」のレプリカになります。

 

 

 

景教とは(コトバンク)より

古代キリスト教の教派の一つ。聖母マリアが神の母であることを否定するなど、キリストやマリアの神性を弱めかねない主張だったため、キリスト教主流派から異端とされ、東方に移動した。635年、ササン朝ペルシャの宣教師を通じて唐に伝来。王朝が公認し、長安に波斯(はし)寺(のち大秦寺と改称)が建設され、781年、景教教義や伝来の由来を記した「大秦景教流行中国碑」が長安の大秦寺に建立された。845年の会昌の廃仏で禁圧され、衰退した。(引用終了)

 

(参考) 景教碑の謎  ネストリウス派(Wikipedia)

大秦景教流行中国碑(Wikipedia) 空海と景教

 

空海が遣唐使として中国に渡った頃には、すでに景教が流布されていました。ご存知のように空海は「真言密教」の開祖です。「密教」というからには、そこに秘密の仕掛けがあると思われます。

 

真言宗では、法要の最初に胸の前で十字を切ったり、奥の院御廟前の灯篭に十字架がついていたりなど、景教の影響がみられます。

 

それは「ガウディ・コード」から始まった(4)より

いろは02

 

いろは03

 

いろは07

 

飛鳥氏曰く、「空海は、神道、道教、仏教、儒教も根本は同じで、元は原始キリスト教であるということを知っており、帰国する際に漢文の【マタイ伝】を持ち帰ってきてるはずだよ~。大日如来=天照大神=イエス・キリストなんだよ~」と。

 

空海の謎を取り上げていましたらキリがないので、この辺で止めておきます(笑)。ブラタモリでは景教碑を取り上げたりはしないと思いますが、この時機に「高野山特集」を放送するという点に注目しながらご覧ください。

 

一の橋入口から程ない場所に「島津家墓所」がありました。