日本テレビ系「テレビ史を揺るがせた100の重大ニュース」スクープ映像の舞台裏 激動の平成版(2017/4/9放送)より

 

≪三菱重工爆破事件とは≫

三菱重工爆破事件は、1974(昭和49)年8月30日に日本の東京都千代田区丸の内で発生した、東アジア反日武装戦線「狼」による無差別爆弾テロ事件で、連続企業爆破事件の一つである

 

東アジア反日武装戦線の呼称はダイヤモンド作戦。虹作戦で使用する予定であった爆弾を流用した。

 



東アジア反日武装戦線は第二次世界大戦以前の日本を完全な悪と捉えており、太平洋戦争を侵略戦争として憎んでいた。
 

戦前・戦中に日本の重工業を支え、戦後も日本を代表する重工メーカーであり、防衛産業を手掛け、海外進出を行っていた三菱重工業は現在においても「帝国主義」であると断定。グループの政治思想に基づき「経済的にアジアを侵略している」として無差別爆破テロに至った。

 



東アジア反日武装戦線は、1974年8月14日決行予定だった昭和天皇暗殺作戦「虹作戦」に失敗していた。しかし、翌8月15日に在日韓国人で朝鮮総連系団体活動家の文世光が朴正煕大統領暗殺を企てた文世光事件を起こした。

彼らは虹作戦を断念したことを不甲斐なく感じ、文世光の闘争に呼応するため新たな爆弾テロを進めた。

 


 

≪事件の概要≫

1974年8月30日、「狼」の4人は、午後0時25分ごろ三菱重工業東京本社ビル(現:丸の内二丁目ビル)1階出入り口のフラワーポット脇に時限爆弾を仕掛けた。これは三菱重工業東京本社ビルと道を隔てて反対側にある三菱電機ビル(現:丸の内仲通りビル)の両方を破壊する意図からであった。

 



現場から立ち去ったあと午後0時45分に時限爆弾が炸裂した。この爆発の衝撃で1階部分が破壊され玄関ロビーは大破、建物内にいた社員が殺傷されたほか、表通りにも破片が降り注ぎ多数の通行人が巻き込まれた。

 



三菱重工業東京本社ビルの窓は9階まで全て割れ、道を隔てて反対側にある三菱電機ビルや、丸ビルなど周囲のビルも窓ガラスが割れた。また、表の道路に停車していた車両も破壊され、街路樹の葉も吹き飛ばされた。


この被害は、オウム真理教による松本サリン事件(1994年)と地下鉄サリン事件(1995年)迄は最大規模であった。この時の爆発音は新宿でも聞こえたという。(引用終了)

 

(参考) 三菱重工爆破事件(Wikipedia)

大道寺将司(Wikipedia) 大道寺あや子(Wikipedia)

 

連続企業爆破事件 大道寺将司死刑囚が拘置所で病死(5/24)


 

本日は訃報が2件ありました。与謝野馨元財務相(78)がお亡くなりになりました。与謝野鉄幹と晶子の孫にあたります。ご冥福をお祈りいたします。

 

さて、お若い方はご存知なく、50代以上の方ならご存知でしょう。「三菱重工爆破事件」の実行犯として死刑確定していた大道寺将司死刑囚(68)が拘置所内で病死しました。

 

わたしにとっては感慨深いものがありますね。実は、大道寺将司とその妻、大道寺あや子(旧姓:駒沢)はわたしの出身高校の先輩にあたるのです。

 

三菱重工爆破事件は昭和49年8月に起きましたが、翌年に逮捕され、母校にはマスコミがわんさか押し寄せるはで釧路市内は騒然となりました。当時、「ウィークエンダー」が一世を風靡しておりまして、勿論レポーターもやって来ました。

 

腹腹時計を印刷したのは大道寺死刑囚の先輩が勤務するF印刷でした。ご本人はメンバーではありませんでしたが、あらぬ嫌疑をかけられて大変な思いをされたと思います。

 

大道寺死刑囚は父親の影響が強かったと言われています。珍しい姓ですから、ご親戚も大変だったと思います。母校の先生によると、「将司は大人しく目立たなかった。あや子の方が頭がきれていたので、あや子主導だったのかもしれない~」とのことです。

 

1960年の安保闘争、1970年の全共闘運動大学紛争は、大学だけではなく高校にも波及していきました。現在の学生さんからは想像もできない時代でしょうね~。

 

その中で最も過激だったのが「日本赤軍」です。昭和40年代~50年代に様々な事件を起こし、「泣く子も黙る日本赤軍」とも言われました。

 

 

重信房子は現在71歳で服役中、未だに大道寺あや子、佐々木規夫は国際手配中です。そうですか、大道寺将司死刑囚が死にましたか・・・。

(参考) クアラルンプール事件(Wikipedia)

ダッカ日航機ハイジャック事件(Wikipedia)