羅生門


短編小説の巨匠・芥川龍之介の「羅生門」の動画です。黒澤明監督の「羅生門」は、 『藪の中』と『羅生門』を下敷きにして作られた映画です。三船敏郎、京マチ子主演の映画は海外で高い評価を得ました。原作も映画も人間のエゴイズムをテーマにしていると言われています。

羅生門 (1950年の映画 Wikipedia)より
芥川02

映画「羅生門」の詳細はwikiをお読みください。特に「公開」という項目は面白いですよ。

芥川01

羅生門 (小説 Wikipedia)より

タイトルの由来は朱雀大路にある平安京の正門の羅城門である。門の方は羅城門であるが、羅城門は近代まで羅生門と表記されることが多く先行作品である観世信光の謡曲もタイトルは「羅生門」になっている。

あらすじ
背景は平安時代。飢饉や辻風(竜巻)などの天変地異が打ち続き、都は衰微していた。ある暮れ方、荒廃した羅生門の下で若い下人が途方にくれていた。下人は数日前、仕えていた主人から解雇された。

生活の糧を得る術も無い彼は、いっそこのまま盗賊になろうかと思いつめるが、どうしても「勇気」が出ない。そんな折、羅生門の2階に人の気配を感じた彼は、興味を覚えて上へ昇ってみた。

楼閣の上には身寄りの無い遺体がいくつも捨てられていたが、その中に灯りが灯っている。老婆が松明を灯しながら、若い女の遺体から髪を引き抜いているのである。老婆の行為に激しい怒りを燃やした下人は刀を抜き、老婆に踊りかかった。

老婆は、抜いた髪で鬘(かつら)を作って売ろうとしていた、と自身の行いを説明する。それは自分が生きるための仕方の無い行いだ。この女にしたところで、生前に蛇の干物を干魚だと偽って売り歩いていた。それは、生きるために仕方が無く行った悪だ。だから自分が髪を抜いたとて、この女は許すであろうと言う。

髪を抜く老婆に正義の心から怒りを燃やしていた下人だったが、老婆の言葉を聞いて勇気が生まれる。そして老婆を組み伏せて着物をはぎ取るや「己(おれ)もそうしなければ、餓死をする体なのだ。」と言い残し、漆黒の闇の中へ消えていった。下人の行方は誰も知らない・・・。(引用終了)

平城京と平安京の羅城門跡
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羅城門(らじょうもん)は、古代、平城京や平安京といった条坊都市の中央を南北に貫いた朱雀大路の南端に構えられた大門である。事実上の都の正門ともいうべき門であった。「羅城」とは都城の城壁のこと。(Wikipediaより)

26日夜の会話
羅生門02

和歌山市在住のAさんが26日に奈良県の大神神社、石上神宮、天龍津地妃子神社へ参拝されました。その際に3本のお神酒を奉納してくださったのですが、お酒の銘柄は、「羅生門」「黒牛」「白鶴」でした。

「黒牛と羅生門」は和歌山県の地酒です。羅生門が見ずらいので、こちらでどうぞ~。

羅生門01
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22日の「福島県沖でM7.4の地震、オセロの始まり(2)」の文末で、本日開催された「ジャパンカップ」に出走するキタサンブラックについて触れましたね。キタサンブラックが優勝しました。おめでとうございます!買えば良かった・・(笑)

(参考)
ユタカ魅せた、サブちゃん3度目の涙・・・キタサンブラック完ぺき逃走でJC完勝

そこで、レースが終わって少し経ってから気がついたのです。

「あれ?昨日のお神酒に黒牛があったはず・・・白鶴もあるということは白と黒?」

27日レース後の会話
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ご本人さんは無意識に三種の銘柄を選ばれました。残るのは「羅生門」です。芥川龍之介の「羅生門」は知っていますから、そこにヒントがあるはずと思い、映画や小説の内容を調べてみたのです。

太極図

小説の内容は至極簡単なのですが、芥川が読者に投げかけたテーマは非常に深いものがあります。天変地異、飢饉で平安の都は人心が荒廃しています。疫病の流行もあるでしょう、そして主人公は失業しました。

主人公は泥棒にでもなろうかと思っていると、羅生門の2階で老婆に出会います。その老婆は、女の遺体から髪を抜いて生活の糧にしようとしていました。老婆曰く、「(遺体の)女は元々生きるために詐欺的商売をしていたから、自分の行為は生きるために仕方なくしていることで、その女も許してくれるだろう~」というものでした。要約ですよ。

下人は、はじめ老婆の行為に対して怒りをもったわけですが、老婆の言葉を聞いて、自分も失業中の身であり、このままでは餓死してしまうと思い、老婆の着物をはぎ取り、何処かへ消えていきました。

人間が生きるためには、衣食住のうち、最も大切なのが「食」です。このままでは餓死してしまうという究極の状況では、単にエゴイズムと片づけてしまっていいものかどうか?終戦直後はこのような状態だったのでしょうね。

小説の最後は、「下人の行方は誰も知らない・・・」と、読者に主人公のその後を推測してほしいとばかりに終わります。

「100%の悪人もいなければ、100%の善人もいない」というのがわたしの持論なのですが、善と悪、陰と陽、男性性と女性性、プラスとマイナス・・・。

世の中では、「やれ左翼だ、やれ右翼だ~」と決めつけたいようですが、対決して何か素晴らしいものを得ることができるのでしょうかね~。