和多志、亡き母方の祖父とは

幼い頃に一度だけ逢っただけです。


いつだったか?は忘れましたが

九州福岡県から来てくれたのです。


亡き母は第二次世界大戦中に

自身の母と姉妹と生き別れになって

その後は親族に引き取られましたが

虐待を受けて育ち、

父と結婚後もあまり夫婦仲が良くなく

喧嘩ばかりして、家族仲が良かったとはいえない家庭でした。

和多志たち一家は

そりゃ、貧しい生活を送っていました。

亡き母は腐った飯をお茶漬けにして

1日1食の生活をしてましたから。


亡き母には、九州にも

腹違いの弟と妹がいました。

和多志たち妹弟たちは一度も逢ったことはありませんが


亡き母から聞いた話によると

韓国にいる母の姉妹といろいろとあったようで、亡き母は同腹の姉妹や腹違いの弟妹たちとも絶縁することになって

それは、孤独な人生を送っていました。

そのことで、亡き母は日本(実は、本当は韓国だった)のことを恨んでいたようで、その捌け口が和多志に向かって


和多志も亡き母から

虐待を受けて育ちました。


亡き母から、事ある毎に

「お前なんか産むんじゃなかった」と

罵声を浴びさせられて


今は、すべてを受け入れることができましたが


実は、和多志の上にも兄か?姉か?は

わかりませんがいましたし

弟の下にも弟か?妹がいました。

亡き母も流産でわが子を失っているのです。


亡き母が歩んで来た悲惨な人生


そして、亡き父は

和多志が北斗会看護専門学校に在学中に

脳梗塞を発症して、

その後の後遺症から鬱病を発病し

認知症も進行して・・・

その後の生活不安から、

父が祖父から遺産相続として受け継いだ

韓国済州島の土地を売却したお金絡みで

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父方の祖母、そう李家の人間です。

その遠縁の親族に、母や和多志、妹や弟がその遺産金を狙っていると

あることないこと吹き込み始めて・・・

いわゆる、遺産相続争いです。

亡き父は刃物を持ち出して、自分の腹に突き刺したり、母や当時、妊娠中だった妹にまで刃物を向ける始末。

何度か、精神科病院に医療保護入院もさせましたが、とうとう、父は和多志にも

「お前を殺すぞ」と


このままだと、家族の誰かが死ぬと

危険を感じた和多志は、父の兄(叔父)の友人だった親類に相談して、争いの元凶である遺産金を叔父に送り返して、あとのことは叔父に任せることにし、両親を離婚させて、父は生活保護を受けさせました。

叔父に手紙を出したのは、その一度きりです。

※もちろん、韓国語はわからないので日本語で出しましたが、父の姉(叔母)がフランス語と日本語を知っているということで通訳してくれ、叔父からも手紙が来ました。


叔父からの手紙では、亡き父の不甲斐なさで、母を含む和多志たちを不幸にしてしまって、申し訳ないと返事が


その直後に、父は誰にも見送られることなく、孤独な死を迎えて

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発見されたのはその2日後です。

当時、和多志は👇🏻の病院で日勤中で


警察から連絡があって、

すぐさま駆けつけましたが

夏場だったので、遺体は既に腐敗しており

周辺には、和多志が一番苦手な世界一の害虫G(🪳)が這っていました。

その🪳が這っている中で、和多志は一人で

父の身元確認をすることに

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和多志は5年前、亡き父方の御先祖さま

雲太師のことまで辿り着いて、そのことをブログにも書いたのに

Twitter(現X)とアメブロを追われることに


和多志がどれだけ血の涙を流したのか?


戦争の悲惨さを  

和多志自身がよく理解していたのに

再臨のキリストとなった亡き母方の祖父、亡き母に、和多志に鉄砲玉を向けた人たち

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