「相手のやることについていく」
「一緒のことをする」
のす子、なんだか「ついていく」「一緒のことをする」ことって、”金魚のフン”になるんじゃないかって思っていました。
”金魚のフン”は迷惑な事。
自分から自発的にやることが「良い」こと。
だから、誰かが「やりたい」っていう行動に「私も〜」っていくことは「悪い」こと。
以上のような価値観を持っていました。
だから、そのような現実に対面した時ののす子の状態は、とてもモンモンとしています![]()
〜のす子の中のご意見番たちのお言葉〜
誰かが「やりたい」って言ったことが自分の「やりたい」の始まりになってない?
それって本当に自分でやりたいと思ったの?
それって「自主性」なくない?
”金魚のフン”になってない?
実際、今の生活って、相棒のお仕事に「くっついて」やっている状態なのです。
出張にも「くっついて」行ったり、ミーテイングに「くっついて」話を聞いたり。
それこそ、ふと考えるのです。
〜のす子の中のご意見番たちのお言葉〜
これって、いざのす子だけ、となると、どうなるのかなあ。
のす子、何もないよねえ。
てか、のす子のいる意味、ある?
・・・![]()
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なんだか、「このままじゃいけない」「もっと自分で道を作っていかなきゃ」という切迫した?こわばった?気分になる時があるのです。
でもでも、やっぱり考えてみたのです
考えたというか、”のす子自身”に聞いてみた、そんな感覚です。
やっぱ楽しいことをしている人の周りって、楽しいんだ、これが。
楽しいもんは楽しい。
だって「楽しい」と感じているんだから。
楽しいもんは楽しい。
ついていくから、一緒にその「景色」を見ることができたり、一緒に「思い」を共有できたり。
結局、その経験を自分で選んで行動しているんだ。
「ついていく」経験を、のす子はしたいんだ。
したいもんはしたい。
自分が「ついて行きたい」と思うから、行くのであって。
”金魚のフン”が、のす子はいいの。必要としていることなの。
それに、一緒に行って同じ「景色」を見ても、お互いの「見ている」ものが違う。
のす子はのす子の表現をするし、相手は相手なりの表現をする。
それで何か発見があるよね。その発見が楽しいよね。その発見があるから、次の「景色」を見たくなるよね。
ちょっと話が変わりますが、表現に関してです。
のす子がよく言われるのは、「表現が面白い」って言われます。笑
言葉の表現が面白いとか、そういうのではなく、リアクションが面白いって。笑
マンガチックだって。オーバーリアクションってやつですかね?笑
身体全身で気持ちを表現するよねって。
美味しいものを食べた時、のす子から「幸せ

」がにじみ出る?溢れだす?爆発してる?みたいです。笑
”金魚のフン”でも、何かしらの役割があるもんです。
のす子の場合は、もしかすると感情を全身で表すこと。なのかな?
「楽しい」「嬉しい」を何倍にもしまっせ
そんな役割なのかな?
感情発散役?笑
何にせよ!笑
”金魚のフン”にも何かしらの役割があるのです。
それについてくることが嫌だったら、相手は断るしね。
「ついてきていいよ」って言ってくれるから「じゃあ行く〜♪」って。笑
何か、自分で勝手に”金魚のフン”が「迷惑なもの」っていう認識をしていたなあと思うのです。
「相手の意見の乗る」「ついていく」「相手と同じことをする」
あ〜、ここでも「良い悪い」のジャッジを自分で勝手にしていたなって。
そいでもって、自分で自分の気持ちを締めていたなあって。
そんなことにあらためて気付いたのです
結局、のす子は相変わらず、自分の好きな事をしていたのだな、と思いました。
めでたし、めでたし
さあ〜、いろんなとこについていこ〜♪
のす子
