ついにMicro Soft Specialist Excel 2010の試験が今日の11時から行われました。
私はたいてい「その試験会場に良い女の子いないかなぁ?」なんて考えながら試験に臨む のですが
試験会場には40代オッサンが2人の私を含めた3人で試験をおこなったので
かなりモチベーションが下がりました・・・・・・・
結果は合格したのですが、なんだかな・・・・・
待ち合わせ時間にお話しの出汁としてトッポを買ってきたのに
ものすごく期待外れ・・・・
迫ってくるクリスマスが恐ろしい
こんなに本気出しているのに何故なんでしょうね?
12月の名古屋での企業説明会での出会いを期待して努力を続けていきます。
この前、学校で就職ガイダンスがあり、とある教授が「英会話に週1回通ったところでペラペラに話すなんて無理だ。」と話したことについて私としては少々ムカッときました。
実際に私もバイトで稼いだお金をつぎ込んで通っていますので意見したいですね。
確かに、半月とか1年程度ではペラペラになることは才能がない限り無理なのかもしれません・・・・
しかし、そのうまくなりたいという思いを持った努力がすべて無駄だとは私は思えません。
自分自身なかなかうまくなれず苦労していますがこの努力している時間はいつも辛いわけではありません。
日に日に自分の中でボキャブラリや単語などが蓄積され日常生活においても
いろいろな英語の広告や映画、番組など英字がよく出てきますが
それを自分で理解できると楽しいものです。
ペラペラに話すという結果は確かに大事ですが、その過程なしでは成り立たないと思います。
今はTOIECのようにテストで力試しをしています。
このような資格や試験はいわゆる人生のセーブポイントのような気がします。
それに向けての努力の経験値を自分にためて
その目標に向かって懸命に努力することでその目標を遂げた時
その人の中にその目標を遂げたという結果以上のものが生まれているのではないのでしょうか?
ときには駄目だった時もあります。
しかし、その努力というのは本当に無駄なものなのでしょうか?
常に社会では結果を求められます。
よく聞くのは不正をしてまで結果を求める人たちがいること・・・
ですが、過程のない結果を得たことでその人の精神、中身に何が残っているのでしょうか?
苦しく辛い過程を経験したからことその上を目指す向上心やほかの分野への好奇心、
芯の強さなどの次への動力源を得られるのではないのかと考えます。
最初に書いた「無理だ」なんて最初から否定して今の自分を少しでも変えようとしない考え
を述べられたのは本当にムカッときましたね。
今日は語ってしまいました。
実際は結果も過程も両方とも大事なんです。
ですが過程はその人の精神を育て、結果はその人の信頼を育むものではないのかと思います。