☆人麻呂崇拝と柿への思い /奈良



葛城市柿本のチンポンカンポン祭と柿本人麻呂の歌塚から始まり、天理市櫟本にも人麻呂の歌塚があることを紹介した。

葛城市の歌塚は、当時の郡山藩主が墓碑を建て、幕府大学頭の儒者が文章を書いた。その内容は、寛政3年(1791)刊の『大和名所図会』に収載されている。櫟本の碑文も読み取ろうと二度にわたって目を凝らしたが、刻字は風化と剥落で十分には読めなかった。この碑は柿本寺の僧と森本宗範が建てたもので、撰と書は山城伏見の仏国寺の百拙元養、「歌塚」の揮毫(きごう)は後西天皇の皇女だった。

(6月9日(火)毎日新聞朝刊〈一部抜粋〉)