わからないことがあれば、ネットで調べることができる時代だといわれています

 

”知識”というものの価値がどんどん”ゼロ”に近づいていているといった話もありますが

 

本当のところはどうなんでしょうか

 

 

昔はなにか勉強したければ、それを知っている人に話を聞きにいかなければならなかったし

 

場合によっては、弟子になって何年も時間を消費しなければなかった。

 

 

そうしないと見れない景色がありました。

 

 

けど、今は家に一歩も出ないでも

 

誰かがそれについ書いている。

 

誰かが撮った写真や動画を見て、楽しむことが出来る。

 

 

自分よりゲームが上手い人、話が上手い人、スポーツが出来る人

 

これまでなら雲の上の存在である人の日常をSNSを通じて垣間見ることだってできます

 

 

英語が読めなくても大丈夫で、すでに自動翻訳のレベルは格段に向上している

 

 

言語の壁だって無くなってきつつある

 

 

けれど、まだ雑誌や漫画、それに教科書や文献に書いてあるずっとずっと古い情報にも需要がある

 

”確実性”や”信頼性”、娯楽としての知識

 

 

試験勉強や入社試験用の情報、塾は目的とする確実性を高めるし

 

医者やトレーナーが伝える知識には信頼性がある

 

そして何よりも憧れや共感、話題になる娯楽としての知識

 

 

まだ需要のある知識には”値段”がつく

 

発信している情報が永続的に”値段”が付くことはないのかもしれない

 

だからこそ、常に微調整が必要なんでしょうね

 

 

これからもよろしくお願いします!