北前船紀行

北前船紀行

北前船,西方廻船,瀬戸内廻船, 南方廻船の
足跡を辿ります。

#上ノ国 町のビュースポット,標高159mの #夷王山ですね。
中腹に勝山館、中世和人の夷王山墳墓群があります。
遠くに渡島大島・奥尻島・江差を望むことができます。
青い海原に白い帆柱を立てて往来する船が浮かぶでしょう。

 

★初代が #能登 の笹波から移り住んだ #笹浪家ですね.
蝦夷地では代々,漁場の親方(網元)でした。
1800年代前半の建築で,道内民家の最古に入ります.
土間に鰊漁に繰り出した若い衆のたまり場があります.
加工された魚品は #北前船 に積み込まれました.

 

 ★大蔵鰊伝説
「ある年,鰊の郡来がなかった.
秀海と村人は"祈りで郡来したら寺の修理をする"
と約束し秀海が祈ると大漁になった.
約束は守られず争いで秀海は死んだ.
秀海は鰊の神として祀られ鰊が打ち上げられると
”大蔵鰊”と呼んだ.
#上国寺 3代が #大蔵法印秀海 でした.」(資料:上ノ国町HP伝説より)

 

 

#上ノ国 町の清流 #天の川 ですね。
河口は古代から天然の良港でした。
中世、町の夷王山に #勝山館 があり交易の中心でした。
江戸中期、流域の目名山などで伐採された檜材が #近江商人 により集められました。

#北前船 

 

上ノ国八幡宮 にある #狛犬 ですね。

画像を拡大しました。

宮には松前家13、14代の書が社宝として伝えられています。
風格のある越前 #笏谷石 製の狛犬が祭神を護っています
明治期、#北前船 で運ばれました。

 

#上ノ国 町 #上ノ国ダム ですね。
2002年、天の川水系 #目名川 の上流に設置されました。
江戸期、目名山は江差の御山七山の一つでヒノキ、アスナロ等の檜材が豊富でした。
春先の流量が豊富な時期に近江商人により、伐採、川で管(くだ)流しされ、河口に集められました。
#北前船 で本州に運ばれました。

 

北海道上ノ国 町ですね。
地下資源、森林資源が多く自然環境に恵まれています。
清流 #天の川 を有し、海岸線は30kmにわたり日本海に面しています。

この地で、#北前船 と交易した松前氏が発祥しました。

 

★上ノ国 #上ノ國八幡宮 ですね。
1473年、武田信広が勝山館の守護神として創立しました。
1699年、本殿が造替され道内では寺社建築で最古です。
伝説 #大蔵鰊 の大蔵卿を鰊の神として祀った#若宮社 を合祀しています。
狛犬は #北前船 で越前から運ばれました。

 

 

★上ノ国 町 #勝山館 (かつやまだて)跡ですね。
1470年,若狭武田一族という松前氏の祖, #武田信広が築きました。
道内で長く繁栄を極めた" 北の中世都市"です。
道の両側に住居部分があり柵で囲んでまれています。
舶来品,能登 #珠洲焼 など10万点余りが出土し,魚の骨で多いのは鰊です。
#北前船 

 

#奥尻 島一周のツーリングコースですね。
画像は、
  左上 賽の河原(稲穂地区)
  左下 鍋釣岩(奥尻地区)
です。
島では豊かな自然に溶け込んで、ゆったりした島時間が流れます。
#北前船 の船跡も見つかるでしょう。

 

★少し深さのある #三平皿 ですね。
北海道などで使われている呼び方で,三平汁を入れます。

名の由来は有田焼の三平皿に盛るからか、松前藩の賄い方斎藤三平氏からか。

いずれにしろ,江戸期には肥前陶器が九州から蝦夷へ 運ばれました。
#北前船 

 

 

★“西蝦夷地フトロ絵図”ですね。
#奥尻 島の北部で1858年頃という.

    「弁財(ベザイ)船 野掛所居」

等の墨書きがあります.#北前船 

by:北大図書館 

 

★「#三平汁」の名前の由来ですね.
塩漬けにしたサケやニシンなどの魚と人参や大根などの野菜を一緒に煮込みます.
味は主に塩漬けされた魚の塩分です.
奥尻島が" 発祥の地" といわれているゆえんで,そこから北海道各地に広まったという. 

(#奥尻 町HP)#北前船 

 

★1855年頃の“奥尻島略図”ですね。
画像は、#奥尻 島の南部で左が南です。
  ムロチシマ(室津島)
  温肭臍(オットセイ)ヲ漁イタス
  漁小ヤ(小屋、点3)
  此辺鱈鰊漁有之
と墨書きがあります。

Link:函館市中央図書館デジタル資料館
http://archives.c.fun.ac.jp/fronts/detail/reservoir/533a98af1a557265f500134c… 


 

★島にある廻船の #四爪碇 です.
1993年,島の南部にある青苗沖から引き揚げらて整備されました。
立て札に

「江戸時代から明治中頃まで活躍した#北前船 の錨」
と書かれています。
江戸期,海岸で鱈鯡(鰊)漁が行われ島にベザイ船が寄港していました。
by google map

 

 

★「#奥尻ブルー」ですね。
島は周囲84キロ、海の幸の宝庫となっています。
周囲の小さな島や点在する奇岩も魅力です。
江戸期、豊富な海産物を求めて #北前船 が寄港しました。
明治期に鰊漁黄業金時代を現出し、1930年代には人口8,000人を超えました。

 

★稲穂岬灯台 ですね。
1891年、#奥尻 町 の北端 #稲穂岬 に設置されました。
岬の先端は賽の河原(右2枚)いう観光地です。
周辺に岩礁が多く見られます。
江戸期、 ベザイ船は島の東岸に寄港していました。
東風の時化(しけ)の時は、嵐を避けて西岸に係船しました。

 

奥尻 町 #宮津弁天宮 ですね。
奥尻ブルーの海に突き出た弁天岬に建っています。
直下には宮津の町並みと漁港があります。
江戸末期、チャシ跡に社殿が創設され弁財天が祀られました。
沖には#北前船が係船しました。

 

 

伝説
#奥尻 の娘が #能登 から来た若者と恋に落ちました.
若者が裏切り身籠もの娘は沼に身を沈めました.
後,”無縁”という僧が海岸で供養する姿が見られました.
ある日,鳥帽子島で娘の遺品を持つ無縁の遺体が見つかり #無縁島(左)の名になったという。      #北前船

参照imacoco
https://okushiri-imacoco.com/%E3%80%90%E7%84%A1%E7%B8%81%E5%B3%B6%E3%80%91…

 

★奥尻町の稲穂ふれあい研修センターで展示されている焼酎徳利ですね.
漁場では鰊漁の後に,親方(網元)が若い衆(漁夫)に酒を振舞いました.
1860年~1902年に生産された #越後 産のものです.
焼酎を詰めてから,日本海を渡る #北前船 で運ばれたという.

Link:産経フォト
https://www.sankei.com/photo/story/news/170812/sty1708120001-n1.html?view=pc… 

 

★南端の #青苗岬 ですね。
左の徳洋記念碑は,1880年に座礁した英軍艦を救助した活動を称えた碑です。
江戸期、岬のすぐ南の #室津島 などは、#オットセイ の天国でした。
南から島を訪れた #北前船 衆は先ず、海の生きもの達から挨拶を受けたでしょう。

 

 

#奥尻 町の南西部に位置する #奥尻空港 ですね。
函館から飛行機で約30分です。
空港の東に青苗(あおなえ)湾があります。
江戸期、島は和人居留地でした。
湾で鱈鯡(タラ ニシン)がよく獲れ、浜に漁小屋が建ちました。

 

江戸期、#奥尻 町は #北前船 の航路上にありました。
船主の海図スケッチでは松前町渡島大島から18里
となっています。
奥尻島は魚介藻類に恵まれています。
本州から海の幸を求めて船が寄港しました。

 

#奥尻 町 にある高さが19.5m #鍋釣岩 ですね。
港は江差港からフェリーで2時間15分です。
海上では、ウトウ(善知鳥),イルカ,オットセイウオッチが楽しめます。
複雑な海岸線からなる島は、ウニ,アワビ,イカなど新鮮な海の幸の宝庫です。
江戸期、島は和人地で沖に #北前船 が係船しました。

 

★乙箇吐壹(イコトイ)の肖像画ですね。
松前 藩家老 で日本画家 蠣崎波響(かきざきはきょう)の作品です。
京で藩の外交を担いつつ 円山応挙 に師事し、藩に上方風の絵画を根付かせました。
江戸期、北前船 ラインは航路という海の糸で絵画文化を繋げました。

 

★1867年ころの 松前城 ですね.
東の高台から写した壮観な全貌です.
左から
多聞櫓,太鼓櫓,天守三階櫓,隅櫓
が見えます.
民家の屋根に石置きに混じって瓦屋根が見られます.

北陸から 北前船 でバラストとして運ばれました. 

Link:まつまえの文化財
https://www.town.matsumae.hokkaido.jp/bunkazai/detail/00001681.html… 

★空から 、松前 湊ですね。
城を中心に公園が広がる街並みは、江戸期と変わりません。
周囲に擦文(さつもん)文化の遺跡も発見され、縄文以降の歴史が凝縮
されています。
その中に、北前船 の足跡も残っています。

 

松前港福山波止場 ですね。
二基あり、
  左  大松前波止場 118m
  手前 小松前波止場 154m
です。
1873年、松前城の石垣やバラスト材などが利用され完成しました。
江戸期、北前船 などは岩礁の係留杭を使っていました。

 

★大きな 松前屏風 ですね。
1751年~1764年秋、松前城下の様子です。
近江八幡 の 岡田家 が描かせたという。
 「山手に福山館 海上に ベザイ船」

などが賑やかです。
商人から商法を受け継いだ海人は,北前船商法に発展させていきました。

 

★江戸末期、“松前威景”ですね。
湊の繁栄が表現されています。
寿都(すっつ)町の 佐藤家 に保存されています。

北から見て
    「松前城、岩木山、北前船」

が描かれています。
Link: Hokkaido Magazine KAI
http://kai-hokkaido.com/feature_vol41_suttsu/…