北前船紀行

北前船紀行

北前船,西方廻船,瀬戸内廻船, 南方廻船の
足跡を辿ります。

★  #鴎島 入口ですね.
島は市街と陸続きで一巡する散策路が設けられています。
入口付近は砂浜になっていて,右側は"前浜",左側は"えびす浜"です。
えびす浜は,フィッシングスポットで夏には海水浴場になっています。
前浜側に #北前船 係船柱があり,海底から陶磁器片が発見されています。

 

★ #旧中村家住宅 ですね。
江戸期、近江商人・大橋家が建て #北前船 交易の廻船問屋として使いました。
土台に越前 #笏谷石 が積み上げられています。
斜面に主屋、文庫倉、下ノ倉、ハネダシと呼ばれる4棟が一列に連なっています。
1915年、中村家が譲り受けました。

 

★ #鴎島 #厳島神社 の石鳥居ですね。
拝殿の側に奉献されています。
「加賀橋立 船頭中  天保9年(1838)」

との文字が刻まれています。
社は湊の商家や寄港する #北前船 衆から厚い信仰を集めていました。

 

★ 旧 #檜山爾志郡役所 ですね。

現在は #江差町郷土資料館 として再生されました。
1678年、檜木の開発に伴って上ノ国から移転した #檜山番所 が前身です。
#北前船 交易など湊を監視する #沖の口番所の業務も行っていました。

 

★ #瓶子岩(へいしいわ)ですね。
伝説では,

  「神から瓶子を授かった #折居 (オリイ)という姥が,瓶子の中の水を海に注ぎました。

   するとニシンが群れ,江差の人々の生活の糧になりました。
   瓶子岩は,この瓶子が逆さまになり,岩になった。」

と伝えられています。

 

★ #正覚院 ですね。
1689年、創建です。
1741年、渡島大島噴火に伴う津波で1400名が亡くなりました。
1891年、北海汽船瓊江(たまえ)丸が遭難し261名が溺死しました。
それぞれの犠牲者を供養する碑があります。
石灯籠は #北前船 衆が寄進しました。

 

★ #旧関川家別荘 ですね。
維新前後に関川家8代が建てました。
広大な庭園部分は公園として整備されています。
越後出身の関川家は #北前船 交易や米穀問屋等を営みました。

 

★鴎島 北東部にある #係船柱ですね。
江戸期,#北前船 が係船していた場所です。
岩盤に空けた穴に立てた木杭に,綱を渡していました。
鴎島が日本海からの風波を防いでくれました。

 

 

★下二枚目 x の右画像を拡大しました。
#江差 湊 #鴎島 #村上の井戸 ですね。
廻船問屋 #村上家 が開削し完成しました。
傍の碑文に
「明治9年夏5月請(1876) 官穿井泉水極清冷因公焉
 村上三郎右エ門 石工 清五郎」
と刻まれています。
#北前船 に飲料水として供給され、湊の繁栄を支えました。

 

 

#五勝手屋羊羹 ですね。
赤い筒に入って金時豆が材料に使われています。
江戸期、作り始めたという。

材料は寒天と#北前船 で運ばれた砂糖でした。

 

★ #鴎島 にある #厳島神社 ですね。
1615年、弁財天社として建立されました。
明治期、商家等の信仰を集めて改称されました。
境内に #北前船 衆が航海安全を祈念して寄進した鳥居等があります。

 

★ #いにしえ街道 ですね。
江戸期から、湊は檜材交易や鰊漁でとても栄えました。
当時の趣を感じさせる町並みを約1.1kmの旧国道沿いで再現しています。
#北前船 交易をしていた旧中村家住宅や横山家などの歴史ある建物が数多く並んでいます。 

 

 

 ★江差屏風 江指浜鰊漁之図(模写up)の商家ですね.
木材の積出をしていた #江差 湊は,1670年ごろから鰊漁の基地になりました.
近江商人等が岸に店を構え湊の発展に寄与しました.
遠くの廻船から分かるように暖簾に大きな家印を入れました.

今風で言えば、アイコンでしょう。

Link:函館市中央図書館
http://archives.c.fun.ac.jp/fronts/thumbnailChild/scrollframe/be000002 

 

★ 姥神大神宮(ウバガミ)ですね。
1447年、鰊漁の始祖・折居姥(おりいうば)を崇めたことに由来して創建という。
江戸期、交易の守り神として鎮座していました。
社殿の中に 船絵馬が奉納され、土台や階段に越前 #笏谷石 が使われています。

 

 

★小玉貞良作 江差屏風 1750年代春(複製)のうち#鴎島 ですね.
「赤い鳥居の弁財天社 満開の桜 小舟2艘,大船2艘」
が見えます.
#相馬家 初代は1861年に越後から箱館に渡り米穀商,鰊漁投資等を経て,道内随一の豪商となりました.

Link:旧相馬家住宅HP

https://www.kyusoumake.com/ 

 

★江差 湊ですね。
江戸期、松前藩が交易を認めた湊は江差、松前、箱館の3ヶ所でした。
江差湊は藩最北の北方交易の湊でした。
鰊や檜などが集められて,多くの #北前船が寄港し繁栄しました。

 

★江差 湊のシンボル #鴎島 ですね。
湊の西にあって海抜20M周囲約2.6kの島です。
日本海に鴎が翼を広げた姿に似ていることから、この名が付きました。
湊を日本海の風波から守っています。
#北前船 係船柱などが残っています。

 

★悠揚迫らぬ旋律,#江差追分 本唄ですね。
「かもめの鳴く音に
 ふと目を覚まし
 あれがえぞ地の
 山かいな」
船上で波に揺られ,心地よい船乗りの心情が唄い込まれています.
信濃から越後を経て #北前船 等で江差にもたらされた追分節が,津軽
民謡と折衷して誕生したという.

 

#上ノ国 町のビュースポット,標高159mの #夷王山ですね。
中腹に勝山館、中世和人の夷王山墳墓群があります。
遠くに渡島大島・奥尻島・江差を望むことができます。
青い海原に白い帆柱を立てて往来する船が浮かぶでしょう。

 

★初代が #能登 の笹波から移り住んだ #笹浪家ですね.
蝦夷地では代々,漁場の親方(網元)でした。
1800年代前半の建築で,道内民家の最古に入ります.
土間に鰊漁に繰り出した若い衆のたまり場があります.
加工された魚品は #北前船 に積み込まれました.

 

 ★大蔵鰊伝説
「ある年,鰊の郡来がなかった.
秀海と村人は"祈りで郡来したら寺の修理をする"
と約束し秀海が祈ると大漁になった.
約束は守られず争いで秀海は死んだ.
秀海は鰊の神として祀られ鰊が打ち上げられると
”大蔵鰊”と呼んだ.
#上国寺 3代が #大蔵法印秀海 でした.」(資料:上ノ国町HP伝説より)

 

 

#上ノ国 町の清流 #天の川 ですね。
河口は古代から天然の良港でした。
中世、町の夷王山に #勝山館 があり交易の中心でした。
江戸中期、流域の目名山などで伐採された檜材が #近江商人 により集められました。

#北前船 

 

上ノ国八幡宮 にある #狛犬 ですね。

画像を拡大しました。

宮には松前家13、14代の書が社宝として伝えられています。
風格のある越前 #笏谷石 製の狛犬が祭神を護っています
明治期、#北前船 で運ばれました。

 

#上ノ国 町 #上ノ国ダム ですね。
2002年、天の川水系 #目名川 の上流に設置されました。
江戸期、目名山は江差の御山七山の一つでヒノキ、アスナロ等の檜材が豊富でした。
春先の流量が豊富な時期に近江商人により、伐採、川で管(くだ)流しされ、河口に集められました。
#北前船 で本州に運ばれました。

 

北海道上ノ国 町ですね。
地下資源、森林資源が多く自然環境に恵まれています。
清流 #天の川 を有し、海岸線は30kmにわたり日本海に面しています。

この地で、#北前船 と交易した松前氏が発祥しました。

 

★上ノ国 #上ノ國八幡宮 ですね。
1473年、武田信広が勝山館の守護神として創立しました。
1699年、本殿が造替され道内では寺社建築で最古です。
伝説 #大蔵鰊 の大蔵卿を鰊の神として祀った#若宮社 を合祀しています。
狛犬は #北前船 で越前から運ばれました。

 

 

★上ノ国 町 #勝山館 (かつやまだて)跡ですね。
1470年,若狭武田一族という松前氏の祖, #武田信広が築きました。
道内で長く繁栄を極めた" 北の中世都市"です。
道の両側に住居部分があり柵で囲んでまれています。
舶来品,能登 #珠洲焼 など10万点余りが出土し,魚の骨で多いのは鰊です。
#北前船 

 

#奥尻 島一周のツーリングコースですね。
画像は、
  左上 賽の河原(稲穂地区)
  左下 鍋釣岩(奥尻地区)
です。
島では豊かな自然に溶け込んで、ゆったりした島時間が流れます。
#北前船 の船跡も見つかるでしょう。

 

★少し深さのある #三平皿 ですね。
北海道などで使われている呼び方で,三平汁を入れます。

名の由来は有田焼の三平皿に盛るからか、松前藩の賄い方斎藤三平氏からか。

いずれにしろ,江戸期には肥前陶器が九州から蝦夷へ 運ばれました。
#北前船 

 

 

★“西蝦夷地フトロ絵図”ですね。
#奥尻 島の北部で1858年頃という.

    「弁財(ベザイ)船 野掛所居」

等の墨書きがあります.#北前船 

by:北大図書館