北前船紀行

北前船紀行

北前船,西方廻船,瀬戸内廻船, 南方廻船の
足跡を辿ります。

土方歳三 ですね。
箱館政権では "陸軍奉行並"などの役になり幹部でした。
政権は来る戦いに備え、住民に重税をかけ苦しめました。
更に、北前船 交易を行う豪商等から軍資金接収をしようとしました。
しかし、土方が猛反対して取りやめになったという。

 

昆布ロード ですね。
蝦夷地で独自の昆布食が生まれました。
江戸期、薩摩藩には非公認貿易港の琉球口(くち)がありました。
唐物、薬を輸入し ,北前船 寄港地で入手した昆布を清に輸出していました。

 

★1869年 箱館湾海戦図 ですね。
箱館政権と政府軍の戦いが描かれています。
互いの軍船から大砲が発射しています。
右上に、避難する 北前船、津軽湾に政府軍
の兵站を運ぶ廻船が見えます。
箱館政権は全ての軍船を失いました。

Link:函館博物館 旧蔵資料

http://hakohaku.com/top/museumdata/collection/… 

 

函館公園 内の 箱館通寶 銭座跡ですね。
江戸後期、東蝦夷地が幕府直轄となり湊へ 北前船 の来航が急増しました。
通商条約により貿易港となりさらに活気づきました。
1856年、銭が不足し函館奉行所は座を設けて通貨を鋳造しました。 

 

★加賀藩橋立湊出身の初代 平出喜三郎 ですね。
1861年から堺の廻船主 河内屋 の船頭となり日本海沿岸から蝦夷地を往来しました。
箱館戦争で新政府軍の命により蝦夷へ物資を数回運びました。
函館で独立し北洋漁業、北前船 交易を営み政界へ進出しました。 

 

函館 厳島神社 にある尾道玉乗りタイプ狛犬 ですね。
画像右を拡大しました。
 慶應4 (1868)年
 世話人 --- (半破損)
と刻まれています。
江戸期、備後 尾道 に"石燈籠,狛犬"等を作る石工集団が住んでいました。

 北前船 がバラストの役目も兼ねて箱館へ運びました。

 

★高知の龍馬館ですね。

近くに、坂本家の本家である才谷屋跡地があります。

才谷屋は豪商で、龍馬が幼き頃に親しんだ場所です。

#函館 にも龍馬記念館があります。

 

★坂本龍馬の本家・才谷屋跡地ですね。

龍馬館の近くにあります。

江戸期、土佐から南方廻船が日本海を北上し交易を行っていました。

竜馬も、船乗りを通じて蝦夷地の情報を聞いたでしょう。

 

 

★函館の北海道 #龍馬記念館 ですね。

龍馬は蝦夷地開拓の情熱を持っていました。

蝦夷地は情熱を託す新天地でした。

子孫が遺志を継いで北海道に入りました

 

 

 

五稜郭 の 函館奉行所 ですね。
1864年、函館山の山麓から防衛上等の理由で強固な五稜郭へ新築移転しました。
2010年、更に再興され、大屋根の瓦は越前産の赤系4色が用いられています。
北前船 が北陸から運んだものが見事に再現されました。 

 

 

★1882年に作成された 函館真景 ですね。

右  蒸気船
   順番待ち和船(北前船
中  外国船(外国旗)
   木造蒸気船(日章旗・軍艦)
が多数碇泊しています
左下に
   画工  浅野文輝
   出版人 渡辺寅蔵
   発売人 静光堂
の文字が見えます。

 

函館 厳島神社 鳥居脇の古い手水鉢ですね.

1823年,大坂の廻船中が寄進し
   「天保9年 大坂 昆布屋 廻船中」
と刻まれています.
建物は大正期の大火後のものです.
江戸期,前が海で 北前船 などの廻船衆が安全祈願し易い場所に建っていました.

Link:みぃ@御朱印
https://ameblo.jp/end-0625/entry-12381066813.html…

 

五稜郭公園 ですね。
周囲3.4㎞、面積18万m2で 函館 市民、観光客の憩いの場です。
1857年、五稜郭は伊予の 武田斐三郎が設計し8年後に完成しました。
舞台になった箱館戦争では政府軍の命を受けて兵站を運んだ #北前船 もありました。

 

 

茅部郡 鹿部町 の 真昆布 ですね。
身が厚くその切り口が白く見えることから, #北前船 の時代より 「白口浜昆布」と呼ばれてきました。
海水と真水が交わる海で育っています。
だし汁が清澄で味わいが上品です。

 

 

函館 の 弁天台場 ですね。
画像右下を拡大しました。
海に向かう15門の大砲,登り設備,建物が見えます。
港湾防備を目的に工期7年かけ1864年竣工しました。
北前船 などの廻船は,大砲の傍を通過して入津しました。
箱館戦争時には箱館政権の指揮下にあった新選組 が布陣しました。

 

 

函館丸 ですね。
1857年、箱館奉行の要請で建造されました。
重さ56t長さが30m, 続豊治 が棟梁となって日本人だけで製作した西洋型帆船です。
ベザイ船型だった 北前船 に、合いの子船、西洋型帆船が現れるようになりました。

復元されて外観が展示されています。

 

函館 厳島神社 の 方角石 ですね。

側面に

   「當所大町 米屋平松 金膰屋喜左衛門 嘉永7年 海上安全」
と刻まれています。
1854年、北前船 など航海する船の安全祈願のため奉納されました。

撮影:馬場俊介氏

https://www.cc.okayama-u.ac.jp/~baba/images/01_Hokkaido/01_Hogakuseki-Itsukushimajinja.jpg 

 

★市中屋の べこ餅 ですね。
木の葉の形をしています。
うるち米粉、もち米粉に水、砂糖を加え蒸して作ります。
江戸期、#北前船 によって伝わったとされています。
函館湊で馴染んで銘品になりました。

 

★函館の 金森赤レンガ倉庫 ですね。
浪漫を感じさせる風情があります。
江戸期,松前藩は運上金の納入を条件にアイヌ交易権を商人に委託する
場所請負制度を採っていました。
明治期, 制度が廃止され鰊鮭の漁業権を得た 北前船 主等の支店,倉庫が並びました。

 

 

★函館の 護国神社坂,別名 高田屋通り ですね。
坂を下ると 高田屋嘉兵衛 銅像,屋敷跡があります。
嘉兵衛は、
 1796年に函館に来航し
 1799年に択捉航路を開設し
北洋漁業の基礎を作りました。
高田屋造船所 の跡地だった 高田屋資料館 には高田屋,北前船 関係資料等が展示されています。

 

 

★元Ⅹ画像(一番下)は函館在住の 北前船 主が出身地に宛てた手紙ですね。
出身地が加賀国 橋立湊である酒谷家 は 函館 を拠点に商圏を広げました。
橋立湊に残る建物は船主屋敷 ”蔵六(ゾウロク)園 ”として公開されています。

 

 

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日和坂 からの函館湊ですね。
港を一望でき、空模様がよく判断できたことから名がつきました。
函館山の北側麓には北東方向に19の坂が走っています。
古民家の窓は北の海側が解放しています。
江戸期は #北前船 などがよく見えたでしょう。

 

 

★函館市臨海研究所ですね。

函館 の 沖之口番所 跡に建っています。
江戸期、この番所で北前船 などが積み荷検査を受け納税していました。
その後、海官所、海関所と名が変わりました。
明治期、船改所と称して後に廃止され、水上警察署が入りました。

 

 

★茅部(かやべ)郡森町の 鯡供養塔 (ニシン)ですね。
鯡は魚に非ずか、成魚に非ずか。

どちらにしても「鰊」です。
1757年、食べきれず捨てたため建てられたという。
その後、魚肥を作る技術が定まり本格的な鰊粕の製造も始まりました。

大量捕獲も相まって 北前船時代の幕が開けました

 

 

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函館 駅の 鰊みがき弁当 ですね。
秘伝のタレで煮込んだ身欠き鰊と中で広がる数の子が絶妙です。
江戸期、身欠き鰊が食用として蝦夷から内地に送られました。
やがて、鰊粕が肥料として製造されようになり #北前船 時代が始まりました。

 

★函館市 北方民族資料館 ですね。
旧日銀函館支店を活用し北方民族の収集品等を展示しています。
江戸期,松前藩には海外へつながるアイヌ交易窓口が存在していました。
蝦夷錦が伝来した道は “北のシルクロード”6,000キロです。
江戸後期,近江商人の進出を経て 北前船衆が台頭してきました。

 

★函館産真昆布ですね。
函館 近辺の道南地区を中心に採れる昆布です。
高級品で出し昆布、塩昆布、おぼろ昆布、昆布〆めなどに使われます。
北前船 は江戸後期から内地へ運びました。

 

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函館山 ですね。
頂きに ”観音山”, ”薬師山” といった名称があります。
江戸期は,北前船 衆が出港前に日和をみた場所で"臥牛山" とも呼ばれました。
明治期,西出家が所有していたため “西出山” とも呼ばれていました。
西出家 は加賀橋立湊の #北前船 主でした。

 

 

恵山(えさん)岬 ですね。
函館 の東45km、太平洋に突き出した断崖の岬です。
沖は、暖流と寒流が合流します。
8月〜11月は、イカ釣り船の漁火が海を照らし幻想的です。
夏は濃霧が発生し岩礁も多く、江戸期は海の難所でした。
東へ向かう 北前船 もありました。

 

 

★函館市 厳島神社 ですね。
江戸期に創建され、以前は弁天社と称されていました。
境内には、
 1823年,大坂の廻船が寄進した手水石鉢
 1837年,加賀藩 北前船 主が寄進した鳥居
 1854年,海上安全のため奉納された方位石
など #北前船 文化が残っています。

 

 

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