北前船紀行

北前船紀行

北前船,西方廻船,瀬戸内廻船, 南方廻船の
足跡を辿ります。

松前城 ですね。
1855年、前身の 福山館 を拡張して完成しました。
石材の重要部には兵庫の本御影石等が用いられています。
1961年,その後に焼失してしまった 復興天守が竣工しました。
天守内部は 松前城資料館 となっていて ,#北前船 関連資料などを展示しています。

 

★松前 町 弁天島 にある 松前灯台 ですね.
町を見渡すようにそびえています.
島は周囲約1 kmの無人島で海鳥が生息しています.
かつて,島に祀られていた弁財天は、松前町阿吽寺 奥の院に城の鬼門を守る存在として遷ったという.
江戸期,北前船 は(福山)弁天島を目指して松前湊に入津しました. 

 

 

松前 湊 松前神社 ですね.
1831年,建立です.
鳥居に 北前船 交易に馴染みの名が刻まれています.
右 願主 松本金蔵 (藩船 長者丸 の船頭)     
  阿部屋 (能登阿部屋の出身 村山家)
左 天保二年(1831)辛卯歳 世話人 
  柏屋 (近江豊郷の出身 藤野家

 

 

松前湊の 松本家 土蔵が改装されましたね。
江戸期、北前船 交易の商品を保管していました。
1773年、初代は能登 安部屋(あぶや)湊に生まれ、同郷の安部屋 村山家 に勤めました。
藤野家 船頭を経て藩船 長者丸 の船頭になっています。
代々は金蔵を名乗り松前藩の武士格でした。

 

★北海道最南端の白神岬から見た津軽半島ですね。

松前 町の岬から半島の竜飛崎まで19㎞です。

津軽海峡の最も狭い場所です。
江戸期、潮流が速く風が強い日は海の難所でした。
操船術に長けた 北前船 衆は果敢に岬を超えていきました。

 

松前 湊に西方の海上
  100 mに 弁天島
  24kmに 渡島小島
  50kmに 渡島大島

があります。

江戸期、各島は #北前船 が北上する際の目印などになっていました。

海路図(右のスケッチ)では, ヘンナシ(青森県深浦市)から22~32里となっています。

 

松前漬け ですね。
昆布とスルメから染みだした旨味が数の子に溶けあった味が絶妙です。
江戸期、松前藩から発祥した発酵保存食です。
北前船 など廻船にも持ち込まれたでしょう。

 

★画像右は、網走市立郷土博物館の船絵馬「松前藩船 長者丸」ですね。

安政6年(1859)、願主 松本金蔵、藩の家紋”丸に武田菱”
が見えます.
1822年,藩は近江商人 藤野家 の手船を買い参勤交代で使いました。
その後,藤野家が長者丸と名付けました。
船頭だった 松本家 が #北前船 交易などの資料を残しています.

 

松前 湊 龍雲院 ですね。
藩主が1620年に福山の城下町を整備した直後に創建されました。
寺名は早逝した子の戒名からとったという。
江戸期の本堂,庫裏,惣門,鐘楼,土蔵が揃っています。
本堂は越後 柏崎 の大工が建築し各部に優れた彫刻があります。
北前船 の船絵馬が残っています。

 

★滋賀県 (ゆたか)会館(又十屋敷)ですね。
近江商人旧 藤野家 で、 松前の庭 があります。
1790年, 松前 に渡って後、柏屋 を創業し蝦夷の物産運輸売買を行ないました。
#北前船 交易をして、松前藩から漁業の場所を請負いました。

 

★1800年頃の 松前 湊ですね。
 左 (福山)弁天崎神社
 中央 福山館 本丸など

 右  大松前町、小松前町、唐津町

が見え、湊に
 北前船 4艘

が入津しています。

資料:青森県立図書館蔵 大日本国東山道陸奥州駅路図

 

松前 湊 専念寺 墓地の
  北進 近江商人 先達物故者之碑(1988年)
ですね.
   " --今より400年以上前から湖国近江の人達,商いに雄志を抱き松前に進出して両浜組合を

     結成し蝦夷地物産を関西市場に運び--"
との記載があります.

Link: 三方よし 2 号

https://sanpo-yoshi.net/pdf02/002.pdf 

 

★「北の小京都」松前 町の桜ですね。
町の桜は圧巻で「桜の名所100選」に選ばれています。
江戸期、近江商人 は松前の産物を上方で売り、帰りには米など百貨を松前に運んで商いしました。
桜、椿など名木、雅な上方文化も #北前船 で運ばれました。 

 

 

★江戸期、幕府が認めていた 対外貿易「四つの口」 ですね。
1604年、家康から蝦夷地の独占権を得て「松前藩」が成立し, 松前口 が蝦夷での交易窓口となりました。
近江商人 たちに交易を委託する場所請負制 が普通になりました。

国内航路では、松前湊へ北前船が内地から米などを運び入れ、海産物が出ていきました。

 

松前町「寺町」5寺のうち,”阿吽寺”(あうんじ)ですね。
残る4寺は,
・松前藩主松前家墓所がある”法幢寺”
・血脈桜で有名な”光善寺”
・戊辰戦争で焼失を免れた”龍雲寺”
・道内最古の門を持つ”法源寺”
です。
松前交易の北前船 時代を今に伝えます。

 

松前城ですね。
1599年、松前氏は家康から蝦夷地の支配権を認められました。
松前藩は福山(松前)、江差、箱館に番所を設置しました。

#北前船 が寄港し、魚介類や木材が上方へ送られました。 

 

松前公園 ですね。
松前城、松前藩主墓所、松前藩屋敷、寺町などが点在する広いエリアです。
高台の第二公園からは、津軽海峡の素晴らしい眺めも楽しめます。
藩主墓所には、北前船 などで運ばれた越前産の笏谷石、瀬戸内産の御影石で作られた墓標が立っています。 

 

★(画文とも)

Link:滋賀大学松前渡海船絵馬
https://www.econ.shiga-u.ac.jp/shiryo/10/1/10.html… 
1796年,彦根市柳川町の豪商 建部七郎右衛門が船を新造した際,航海の無事を祈願して氏神大宮神社に奉納した 船絵馬
描かれている韋駄天丸、自在丸の2艘の帆船は #松前 との交易に従事していたものである。 

函館山 からの遠景ですね。
海抜334Mの山頂からは津軽海峡や渡島半島が見渡せます。
眼下には函館湾、道南の拠点 函館 の街並み、歴史的建造物が視界に広がります。
北前船 時代の足跡も残っています。

 

函館 厳島神社 境内にある大きな四爪碇 ですね。
傍に7.7粍機銃も見えます。
神社は江戸期に創建され何度か場所を変えています。
碇は 北前船 のような千石船が遭難,廃船,撃沈したものか。
いずれにしても船霊(ふなだま)が鎮座しています。 

画像Link:amebloしずく旅 

https://ameblo.jp/kakonurse19/entry-12379969297.html… 

★128番社 津軽海峡フェリーの御船印ですね。

函館湊は縄文期から交易の拠点でした。

江戸期には北前船が入津して発展しました。

御船印は全国の船会社が、それぞれに工夫を凝らした御船印を発行しています。

昆布が踊り、マグロが飛び跳ねています。

 

土方歳三 ですね。
箱館政権では "陸軍奉行並"などの役になり幹部でした。
政権は来る戦いに備え、住民に重税をかけ苦しめました。
更に、北前船 交易を行う豪商等から軍資金接収をしようとしました。
しかし、土方が猛反対して取りやめになったという。

 

昆布ロード ですね。
蝦夷地で独自の昆布食が生まれました。
江戸期、薩摩藩には非公認貿易港の琉球口(くち)がありました。
唐物、薬を輸入し ,北前船 寄港地で入手した昆布を清に輸出していました。

 

★1869年 箱館湾海戦図 ですね。
箱館政権と政府軍の戦いが描かれています。
互いの軍船から大砲が発射しています。
右上に、避難する 北前船、津軽湾に政府軍
の兵站を運ぶ廻船が見えます。
箱館政権は全ての軍船を失いました。

Link:函館博物館 旧蔵資料

http://hakohaku.com/top/museumdata/collection/… 

 

函館公園 内の 箱館通寶 銭座跡ですね。
江戸後期、東蝦夷地が幕府直轄となり湊へ 北前船 の来航が急増しました。
通商条約により貿易港となりさらに活気づきました。
1856年、銭が不足し函館奉行所は座を設けて通貨を鋳造しました。 

 

★加賀藩橋立湊出身の初代 平出喜三郎 ですね。
1861年から堺の廻船主 河内屋 の船頭となり日本海沿岸から蝦夷地を往来しました。
箱館戦争で新政府軍の命により蝦夷へ物資を数回運びました。
函館で独立し北洋漁業、北前船 交易を営み政界へ進出しました。 

 

函館 厳島神社 にある尾道玉乗りタイプ狛犬 ですね。
画像右を拡大しました。
 慶應4 (1868)年
 世話人 --- (半破損)
と刻まれています。
江戸期、備後 尾道 に"石燈籠,狛犬"等を作る石工集団が住んでいました。

 北前船 がバラストの役目も兼ねて箱館へ運びました。

 

★高知の龍馬館ですね。

近くに、坂本家の本家である才谷屋跡地があります。

才谷屋は豪商で、龍馬が幼き頃に親しんだ場所です。

#函館 にも龍馬記念館があります。

 

★坂本龍馬の本家・才谷屋跡地ですね。

龍馬館の近くにあります。

江戸期、土佐から南方廻船が日本海を北上し交易を行っていました。

竜馬も、船乗りを通じて蝦夷地の情報を聞いたでしょう。

 

 

★函館の北海道 #龍馬記念館 ですね。

龍馬は蝦夷地開拓の情熱を持っていました。

蝦夷地は情熱を託す新天地でした。

子孫が遺志を継いで北海道に入りました