渡辺side


 人を好きになるのが怖かった。


 好きになって、本気になって、その人が俺から離れてしまうのが怖かった。


 いつのまにか、自分の気持ちから逃げて、蓋をするのが癖になっていた。


 癖になっていたはずなのに_俺はお前に恋をしていた。






向井side


 「好きや」


 いつのまにか、口から零れてしまってた。


 「あ、れ、待って俺いま」


 翔太くんの瞳が一瞬大きく開いたけど、いつのまにか元に戻っていた。


 「…なに、俺のこと好きなの?」


 俺の頬に手を伸ばし、妖艶に微笑む翔太くんに思わず息を飲む。


 「ん?好きなの?」

 「す、きです」


 その雰囲気には逆らえなくて、するすると本当の気持ちを言葉にしてしまう。


 「ふぅん、好きなんだ」

 「あ、や、その…翔太くんを困らせたかった訳じゃないんよ、その」

 「いいよ」

 「え?」


 彼の親指がするっと俺の唇をなぞった。


 「付き合おっか」

 「は、?」

 「はってお前、お前が好きだって言ったんだろ」

 「え、いやいや、」


 すると翔太くんは右の口角を上げて、にやっと笑った。


 「なに付き合いたくねえの?」


 は!?何言うてんねんこの人は!!


 「好きって言ったのは、康二だろ?」


 なんで言うてしもたんや俺…!


 「なあ、どうなの?」


 翔太くんの顔がどんどん近づいてきて耐えられんくなる。


 「好きやって言うたやん!」

 「…うん、だから?付き合おうかって言ってるじゃん」

 「本気なん?」


 そう尋ねると、彼は俺の頭をぽんぽんと撫でた。


 「本気だよ?康二は俺と付き合うの嫌なの?」

 「…嫌なわけないやんか」


 じゃあ今日からよろしくね、そう言って俺の頬にキスを落とした。


 「ちょ、ちょ!?」


 振られる確率100%の恋が実ったってことなん!?

 これは一体どういう状況なん!?

 神様あああぁぁああ!!!!




 俺と渡辺翔太の関係は、今までもよく分からんものではあった。

 大学時代、バイト先で出会ったのが翔太くんや。

 2つ年上の余裕にいつのまにか目を奪われて、気づけばもうずっと片思いをしていた。




 【今日、康二んちいくね】


 あの告白事件から数日、俺たちはほんまに付き合うとるらしい。


 【はーい、なんか食べたいもんある?】

 【カレー】


 くすっと笑ってスマホを机に置いた。


 さあ、準備せな!


 翔太くんが家に来ると思うと、思わず口角が上がってまう。

 会いに来てくれるなんて、嬉しいなぁ。




 ご飯も出来上がってお風呂も沸いた。

 さあいつでもかかってこいや!ってなった所で、ちょうどインターフォンが鳴った。


 「翔太くん!」

 「よっ」


 付き合う前と同じように靴を脱ぎ、ソファに座る。

 俺に促されてご飯を食べて、食べ終わったら食器を一緒に片してくれる。


 「まじ腹いっぱい」

 「ほんま?ならよかった」


 幸せやで。

 幸せなんやけど…え、これはなんなん??

 付き合う前となんも変わらん。


 「ねえ康二」

 「ん?」


 ソファに座る翔太くんが、翔太くんの足元の床に座る俺を覗き込むように声を掛けた。


 「これじゃあ付き合う前となんも変わんねえけど」

 「え、!?」

 「どう思う?」


 翔太くんの掌が俺の頬を包んで、その綺麗な顔がゆっくりと近づいてくる。

 驚いて目を閉じてしまうけど、数秒経ってもなにも起こらん。

 彼に頬をつままれた痛みで、再び目を開けた。


 「いった!」

 「なに、キスされると思った?」


 図星やんかあああああ!!


 「そんなことないもん!」

 「えー?顔真っ赤ですけどー?」

 「暑いだけや!」

 「してやろうか、キス」


 空気も俺も、なにもかも、一瞬止まってしまった気がする。


 「へ、?」

 「1回で聞き取れよ」


 そう言ってケタケタ笑われても、俺は冷静にはなられへん。


 「だからー、キスする?」


 この人は、何を考えとるんや?

 そもそも、なんで俺と付き合うてくれたん?

 俺と同じように、好きでいてくれてるん?

 なぁ、翔太くん。

 あんたの気持ちが分からんよ。


 「答えないってことは、したいってこと?」

 「したいって言うても、してくれへんやろ?」


 ふっと笑った翔太くんは、再び顔を近づけ始めた。

 俺の心臓はドキドキバクバクうるさくて、きっとこの音は翔太くんにも聞こえてしもうてるんやろな。


 「しょ、た」


 さっきみたいに騙されるんやと思ってた。

 でも、そうやなくて。

 そのままゆっくり、唇が重なった。


 「したいって言うんなら、してあげるよ」


 …ずるすぎん!?!?


 「しょ、たく、」

 「そんなびっくりした顔すんなよ」

 「だ、だって!翔太くん…男にこういうことできる人やったんや」


 男、そう呟いた彼はもう一度軽く俺にキスをした。


 「もういっこ、興味あることがあんだけど」

 「え、?」


 俺の肩に翔太くんの手が置かれ、ゆっくりと押し倒されていく。


 「ちょちょ、翔太くん!?」

 「ん?俺のこと、好きなんだよね?」

 「な、なんで急に」

 「俺の質問に答えて?」

 「…好きやってばぁ」

 「ん、知ってる」


 翔太くんの唇が俺の首筋に吸いつく。


 「ん、は」


 無意識に出た声に驚いて、慌てて口を塞いだ。


 「塞ぐなよ」


 俺の口を塞いでいた手は彼にまとめられ、着ていたTシャツを脱がされそうになっていた。


 「ま、って!」


 顕になった上半身に、彼の唇からキスが落とされて行く度、また声が漏れてしまう。

 両手は床に押さえつけられているから、抵抗することができなくなった。


 「んやぁ、」


 体をなぞられるたびに、甘い声を流してしまう。


 「は、ん、!」


 恥ずかしくて、必死に下唇を噛むけど、余計いやらしい声になってる気がする。


 「別にかわいい声なんだから、我慢しなくていいのに」


 まるで俺を強引に押し倒した奴から出た言葉だとは思えんのやけど。


 「は、あ、ん!」


 抵抗する気力を失った俺を見て、腕を優しく掴み、彼の腕の中に入れられた。


 「ベッド、行こっか」




 小さく頷いた俺を抱き上げて、翔太くんは歩き出した。


 もう俺は、翔太くんを否定することも拒むこともできんほどに、大好きやから。

 どんどん渡辺翔太を好きになっていくしかない。

 このまま溺れて、息ができんくなるとしても。






 いつも通りのアラームで目を覚ます。


 「ん、」


 起き上がろうとすると腰に激痛が走った。


 「いっ、た」


 なんだかだるいし、歩く力さえ出てこうへん。

 そうや、俺、翔太くんに抱かれたんやった。


 「…なんで、?」


 隣を見ても、そこにはシーツだけ。

 渡辺翔太の姿はない。


 「あれ、」


 ふと机の上を見ると、置き手紙が置いてあった。

 なんとか体を起こして、置き手紙を手にする。


 『おはよう康二。体調はどう?無理させてごめんな』


 なんや、これは。

 ていうか…


 「なんでおらんねん」


 抱かれた次の日の朝、1人なのが寂しいの分からんのかあのアホは!


 ピンポンっ


 通知音が聞こえて、スマホを探した。深澤辰哉、と表示された画面をタップする。


 【今日髪切りに行きたい‼️】


 せやから、予約せえって言うてるやん。


 【しゃあないなあ】


 そう返信すると、ありがと‼️と反省の色があらへん返事が来た。

 高校時代の2つ上の先輩である深澤辰哉は、俺に昔から良くしてくれていた。






 「そんで今日はどーするん?」

 「茶色に戻して欲しいんだよねえ」

 「ド派手な金髪やのに?」

 「無理そ?」

 「いやぁ、いけるで」


 カウンセリングを重ねて、色味を決め、スタイリングを始めた。


 「あとはおいとかなあかんから寝ててええよ」

 「はあい」


 せかせかと片付けて、裏に戻ろうとした。


 「康二」


 甘い声が俺を引き止めた。


 「なんや〜」

 「飯食いたい、康二の」

 「おーええよ?今夜うち来る?」


 そう言ってから、翔太くんがおるかもしれないと思って慌てて訂正した。


 「あ、いや、ふっかさんち行ってええ?」

 「来てくれんの!助かる〜」


 ふんふんと鼻歌を歌っているふっかさんを見て、少しだけ微笑んだ。






 「うわぁうまかったー!」

 「ほんま?よかった」




 ふっかさんは、定期的に俺のご飯が食べたいとすがってくる。


 「…ていうか康二さ?」

 「うん?」

 「なんかあった?」

 「…なーんもないよ」


 昔からこうや。

 この人には、なにも隠せん。


 「いやいやそんな顔してるくせに?」


 むにっと頬をつままれ、思わず笑顔になってしまう。


 「ふふ、やめてや」

 「そうそう、お前は笑ってないとな」

 「え?」

 「康二は笑っててくれないと、俺悲しいから」


 そう言ってヘラヘラっと笑うふっかさんには、いつも助けられてしまう。


 「ごめんなぁ、ありがとう」

 「それで?なにがあったの?」


 「大学時代にできた好きな人」である渡辺翔太の話は、ふっかさんにもしていた。


 「は!?それでそいつと付き合うことになって、まんまと抱かれたわけ!?」

 「ちょちょちょ声でかい!」

 「ありえないんですけど!」


 いやまあ、それは、俺も思ってるけど。


 「ありえない」


 あまりにもそう繰り返して言うから、俺も悲しくなってしもうた。


 「そんなに言わんでもええのに!」

 「お前、そんなやつと付き合ってて幸せになれるわけないだろ?」

 「そんなやつって言わんといて」

 「康二!」


 そっぽを向いた俺のことを、後ろから抱きしめた。


 「へ、」

 「喧嘩したいわけじゃないのに、そんなぷりぷりすんなって」

 「ふっかさん、?」

 「…初めてじゃなかったの」

 「え、」

 「初めてされたんじゃないの。どっか痛くねえ?」

 「…痛いわ」


 ぐるっとふっかさんと向き合って、そのまま抱きついた。


 「康二、!?」

 「腰も痛いし心も痛いわ!起きたら翔太くんはおらんし!」


 涙が止まらんくなって、ふっかさんの服にもしみができてしまう。


 「康二…」


 俺の名前を何度も呼びながら、背中をさすってくれるふっかさんの温かさに、また少し気持ちが落ち着いた。


 「無理すんなよ」

 「うん」

 「俺がいるから」

 「うん」

 「1人で抱え込むより俺がいる方がマシだろ」

 「…ありがとう」


 俺が泣いてるとき、いつもふっかさんはそばにいてくれるよな。







 「はぁ、乾いたな」


 昨日ふっかさんの家に泊まって、日中もずっと入り浸ってたから、夜にやっと帰ってきた。

 自分が吐き出した欲で汚れたシーツを洗濯して乾かすなんて、相変わらず寂しいな、俺。


 「ていうかこれ、ええ匂いや」


 ふっかさんの家で、ふっかさんの香りを纏ったらその香りを気に入ってしもうた。

 ピロンと通知の音がして、スマホをポケットから取り出す。


 【家の近くにいるんだけど、寄ってい?】


 翔太くんや!

 どんなに最悪な気分でも、彼から連絡が来れば、嬉しいんやな。単純や、俺も。




 「いらっしゃい翔太くん!」

 「うん、ありがとう」


 翔太くんはいつも通り、ソファに腰を下ろした。

 「コーヒー飲む?」

 「ううん、大丈夫」


 やっぱり俺は、情けないぐらいこいつのことが好きらしい。

 そんなことを思いながら、彼の隣に腰掛けた。


 「翔太くん」


 いつもみたいに、甘えるように、ただ彼の腰に抱きついた。


 「やめろ」


 驚いて顔を上げると、明らかに不機嫌そうな翔太くんの顔が見えた。


 「え、ごめん、!嫌やった?」

 「お前この匂いなに?」

 「え、?」

 「この匂い」


 勢いよく押し倒され、服を脱がされていく。


 「いやまってや」

 「誰かん家に行った?」

 「…友達ん家」


 翔太くんの目が俺を獲物だと言っている。


 「ふぅん」


 翔太くんの唇が俺の首筋から胸、お腹を通っていく。


 「ん、」


 また、するんやな。

 せっかく俺ん家に来ても、すぐ。

 翔太くんは…俺の体が欲しいん?


 「は、ん」


 そう思っても、分かってても。

 それでも翔太くんが触れてくれることが嬉しい。

 まだ慣れてへんから痛いし、自分から漏れる甘い声も少し怖い。


 「や、あ!ん、」


 翔太くんが俺の上で腰を振って、汗を流すのを見ていると、この瞬間だけは、この人は俺だけを見とるって実感できるんや。


 「お前は俺の匂いだけでいい」

 「…はぁ、え、?」


 ぼそっと耳元で呟かれたその言葉の意味を尋ねる前に、意識を失ってしまった。






 いつも通り鳴るアラームが聞こえて、今日も目を覚ました。

 期待はしとらんかったけど。

 しとらんかったけど…

 今日も横に翔太くんの姿はあらへん。


 「…なんでなん」


 溢れ出る涙を拭うこともできずに、ベッドから起き上がり、机を見る。


 『体調大丈夫?昨日は酷くしたかも。ごめん。』


 せやから、そんな優しさいらんねん。

 そう思うなら、それを俺に直接言ってよ。

 起きたら隣におってよ…!!


 「しんど」


 ぼそっと呟くのと同時にベッドの横にある全身鏡に目線を移す。

 体中に赤い花が咲き、握られていた手首は真っ赤や。叩かれた尻や腹は痛いし、なにより腰が痛い。

 全身だるいし、つらい。


 なのに。


 あんたに求められた証拠のようで嬉しい。


 「…あかんわ俺」


 こんな恋なら、せえへんほうがマシやった。

 止まらない涙を気にするのも嫌になって、再び目を閉じてベッドに潜り込んだ。




to be continued