ゾンビ映画がブームである。
だが、ハバネロはあまりあの手が好きではない。
なんつーか、下らないのだ。
噛みつき、手を引き千切り、腹を裂いて腸を引きずり出す。
だからなんだっつーの。
見方を変えれば野犬に襲われた人のリアルムービーと変わらないじゃないの。

無駄に血潮が噴き出すのも気に食わない。
あれは黒沢明がいけないんだな。
「椿三十郎」でやった最後の対決の時に衝撃を与えるために仲代達也に噴水のような
血潮を上げさせた。それが手法になってしまったのだ。
おかげで出血のショックを見せようと下手な監督はすぐに噴水出血を使う。
ゾンビ映画ではそれが多用される。

ともかくゾンビ映画は幼稚だ。
襲ってくる敵のゾンビが野犬並の知性でそれが大群になってやってくるもんだから、
守る人間側も細かく考えていられない。
撃ちまくる、切り裂く、つぶす。
何やっても構わないという状況になる。
一番頭を使わなくていい状態だ。
考えようによってはゾンビ映画というものは頭をからっぽにしやすい映画なのかもしれない。

問題はその後だ。
ゾンビ映画で頭からっぽになったヤンキーなんかが、その後ビールでも飲んで家に帰ってくる。小さい子供が泣きやまない。当たり前だ。子供だって酒臭いヤンキーは大嫌いだ。
ヤンキーは思う。ああ、めんどくせい。
そこで空っぽになった頭は映画と同じように何してもいいんだと思い込んで、子供に思いきり
暴力をふるう。

おいおい、映画の中では緊急避難という状況だからあれが許されたんだぜ。
何もないのにそんなことすりゃ犯罪だろうが。
だが、バカなヤンキーにはそんなことは分からない。
かくてDVによる被害が広がっていく。
根本的に悪いのは馬鹿なヤンキーだが、助長しているバカな映画にも問題はあると思う。
今の時代を悪くしているのはゾンビなのかもしれない。