ブログ友(と勝手に言っちゃってますが)の死刑についての書き込みを読んでふと浮かんできた言葉が「因果応報」でした。一応の意味は知っていましたが、ウェブ上でしたが意味を調べてみました。

因果応報とは、過去や前世においての考えや行動に対して、それ相応の結果が戻ってくるということ。

悪いことしたら、何か悪いことがその報いとして身に降りかかる、というだけでなく、良いことに対しては良いことがおこる、ということです。ただ、今生きてきたこの人生の中でのことだけでなく、前世などの事柄まで関係しているという。知らず知らずのうちに「輪廻転生」の概念が前提としてあるような。だとすると、何が因となるかさっぱりわからなくなってしまいます。

ということで、僕の手にあまる部分での因として、今生きている人生から、その後の人生ということで考えてみます。さてここからやっと死刑についての話といきましょう。

死刑が「果」としてその身に降りかかるのは、どんな状況でしょう?自分の命が唯一代価として取られなければならないというものは、やはり「因」は「命」だけな気がします。

これに関しては、誰でも納得できると思います。ただ今あるかけがえのない命を「死刑」といってなくしてしまうことに対しての因果、そして死刑を受ける人の人としての生きる権利。これらが複雑に絡み合い、死刑が法律上の解釈と道義上の解釈という異なった尺度で議論され良し悪しが語られ、結局答えが出ず、司法の場では法律上の解釈によって結論に至る。

死刑が人殺しであるから悪いことなのか?正直僕にはわからない。しかしながら、自分の起こした行動に対しては、いつの日かその結果が自分に返ってくる、というのだけは本当だと思う。
そして悪い行いをして、結果として罪を逃れたとしても、その報いというのは、その人に悪い結果として帰るのではないかと思う次第です。

因果応報…
本当の問題は、自分がどのようになりたいか、どのように生きたいか、ということではないでしょうか。僕自身は、人に恥じない、常に笑顔でいられるような人生を歩んで生きたい。

長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。