仏教観の中に、輪廻というものがある。

私の理解だと、死というものをリセッターとして、修行を繰り返し、得を上げていく。

その際、何度かこの世に生を受け修行することが、現世に生きている私たちが理解するところの輪廻だ。

これも私見になってしまうが、キリスト教には、そのような考えはなく、現世での生活が終わると、審判の門をくぐり、天国、つまり、神のもとへいくか、地獄へ落ちるかの二つしかなく、そこでの生活が、永遠と続いてしまう。

どちらが本当か、それともどちらも間違っているのか、そんなことは、私たちにはわからない。


今日、音楽界の偉大なるパフォーマーの一人が、黄泉の国へ旅立った。

そう、ご存じのとおり、Micheal Jackson、その人である。

今年は、日本からも、日本という枠には収まりきらないロック界の天才といわれる忌野清志郎さんもすでに黄泉の国で新たな歩みを始めていた。

そこで、表題の質問だ。

輪廻はあるのだろうか?輪廻があるとしたら、私たちは、以前存在した何かの生まれ変わりで、そして、また、何かに生まれ変わるのだろう。日米の天才と呼ばれるにふさわしい二人の音楽の才能は、きっと黄泉の国に新たな旋風を巻き起こしていることだろう。そして、いつの日か、違う人生を送るために、充電をしているのではないだろうか。百年に一人くらいの割合で、天才と呼ばれる人たちは生まれる。証明はできないが、それが輪廻であると考えると、必ず、戻ってくるだろう。

そう、彼だけでなく、私も、あなたも。

今は、ただ、偉大な先人として、マイケルさんと清志郎さんの冥福を祈りたいと思う。