今日もきてくれて、ありがとうございます♪ちょっとでも笑顔のタネが植えられたら嬉しいです。


でも、悲しいこともいっぱいです。

最近、怒りを抑えられない人が多いような気がしています。なんでだろうなぁと思っているといろいろなことが浮かび上がってきます。


まず思い浮かんできたのは、最近日本のテレビで頻繁に放送されている韓国ドラマです。韓国ドラマとかの根底に流れている「恨」の思想。面白いドラマもあるとは思うのですが、どこかに隠れている「恨」。これは韓国の文化を否定するつもりではありませんが、先に進むための原動力として描かれることが多く、僕にとっては、あまり気持ちのいいものではない気持ちです。

そして次に浮かんできたものは、核家族化や少子化と言ったものです。いろいろなストレスや不満に晒された時に、それらを和らげるクッションの役割をしていた当事者以外の家族が必要な時にそばにいないという状況です。もちろん電話などで話はできるでしょう。最近であればテレビ電話のように表情を見ながら会話をすることもできます。でも、実際に会って話をするのとは違い、手を握ったり、ハグをしたりして和らげられたりすることができないのです。


この二つのことだけでも大元を辿っていけば、人を思いやる心に辿り着くんじゃないかなと思うのです。そして、結局のところ、人はヒトとの繋がりの中でしか生きていくことができないんじゃないかなと思うわけです。


人は住んでいる環境、生きてきた状況、全く同じ感性を持った人なんていません。自分と違った価値観、感性などに出会うと、否定したくなったり、嫌悪感を抱いたりすることがあるかもしれません。

例えば、韓国の「恨」の思想を変えようとしてもどうしようもありません。きっとそういうものを意識している人の方が少ないと思うのです。韓国の人たちがみんな「恨」にとらわれているのかと言えばそうでもないと思うのです。いい人もいれば悪い人もいる。なら自分からいいところを探して見たらいいのかなとも思うのです。


自分の好きなことや思った通りのことをするのは楽で、すごくいいことなように思えます。でも、実はその陰にそれを支えてくれている人がたくさんいるということを考えて見てもいいのかなと思うのです。そしてそういう人たちは、あなたがつまづいてしまった時に、必ず寄り添ってくれる人たちなのです。核家族化や少子化のせいで、競争社会というものがエスカレートしていきました。今はその少子化が人口減少を加速させ、今の若年層に「協調」や「共生」と言った意識が芽生えてきたのも、頷けます。それでは社会は停滞してしまうと思うのです。切磋琢磨し一生懸命に得体の知れない目に見えないものに向かって、答えがあるかどうかもわからないものに挑戦していく。これがこの次の課題なんじゃないかと思うのです。そこでの「協調」や「共生」というのは非常に大事です。そして本当の「協調」は、相手の良いところを見つけ好きにならなければできないんじゃないかと思うのです。今の若年層に広がる「協調」は「妥協」の産物でしかないように見えてしまうのは僕だけでしょうか?せっかく一緒に生活したり、研究や仕事をしたりするなら、相手のことを知って良いところを見つけるのがいいのではないかと思うのです。そうすれば嫌いという感情から出てくる「愚痴」も好きという感情から出てくる「感謝」に変わるかもしれません。


好きも嫌いも、どちらも大事な感情で、必要なものだと思います。でも、僕は笑顔を多くもたらしてくれると思う「好き」という感情の方がいい気がしています。それってちょっとの差でしかないと思うんです。それが何かは本人にしかわからないものだと思うのですが。また他愛のない話をしてしまいました。少しでも前に進むためにヒントになったらいいなと思ってます。ではではまた!