マブラヴ愛作文、受賞作品掲載! | りえぶろ ~アージュ広報りえねぇブログ~

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こんばんはー! アージュ広報りえねぇです。

さてさて、本日のりえぶろは!!

去年の暮れから年明けにかけて、こんな企画をニコ生「広報の咆哮」で行っていました。
題して!

吉宗鋼紀Presents!
あなたの「マブラヴ愛」を熱く語ってください!!
スニーカープレゼント企画~!!




ということで、一番熱く愛を語ってくださった方にこの
特製 篁 唯依カラースニーカーをプレゼントいたしました!

本日は、大変遅くなってしまいまして恐縮ではございますが、
当選された受賞作品を掲載させていただきます!

一番熱くマブラヴ愛を語ってくださったのはこの方!!

生Name~君の名は~ いちのせ様 です!!

ご当選おめでとうございます!!ヾ(*´∀`*)ノ

下記に作品を掲載させていただきます。掲載許可ありがとうございました!


本日はひとまずここまで! また次回、よろしくお願いいたします~♪

以下 受賞作品となります! ※未プレイの方はネタバレ注意です!

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「『おとぎばなし』という名の人生教本」

 ―私はひとり泣いていた。狭い自室の小さなモニターを眺めながら、あまりにも広い世界と、あまりにも大きな感情を目の当たりにして。

眼前に流れていたのは、「マブラヴオルタネイティヴ」のエンドロール。ゲーム開始時に聞いた主題歌「マブラヴ」が、全てを終えた今となっては、同じ曲なのに決してそうは聞こえない。歌詞の一片一片が違う意味を持ち、心に静かに染み渡っていく。

全く興味がなかったはずの“美少女ゲーム”というもので、私は自然に涙を流していた。その涙の理由を綴りたいと思う。

 私がはじめてアージュを認識したのは、忘れもしない中学1年の誕生日。当時、いわゆるオタク文化には全く興味が無かったが、ラジオが好きだったため、ジャンルは関係なく色々なラジオを聞いていた。

誕生日のその夜、何気なく聞いていたラジオの1つに、パーソナリティーの誕生日を祝っていたラジオがあった。聞くと、その人物はどうやら自分と同じ8月11日が誕生日らしく、自然とそのラジオに聞き入ってしまった。以降、そのラジオで繰り広げられるあまりにも自由すぎるトークに惹かれ、毎週必ず聞くようになった。

そしてついにはラジオの題材であるらしいアニメも見ることに至る。そのアニメこそ「君が望む永遠」、聞いていたラジオこそ「君のぞらじお」であるのだが、「君のぞ」はそれまでの私の“アニメ”観を完全に粉砕し、「こんな世界もあるのか!」と凄まじい衝撃を受けた。

―ラジオの話をしていくと膨大な文字量になってしまうため、この辺りで終わりにして、「マブラヴ」の話へ移ることにする。
 
 「マブラヴ」及び「マブラヴオルタネイティヴ」を実際にプレイしたのは、それから随分時が経ってからだった。その間もラジオはネット放送に移行しても欠かさず聞いていたため、「マブラヴ」の存在は早くから知っていた。

「君のぞ」を作った人達の作品であるため、是非とも味わいたいという気持ちはあったが、いかんせん“成年指定の美少女ゲーム”であるため、なかなか行動には至れなかった。「君のぞ」のおかげで“深夜アニメ”という存在には多少慣れたが、“美少女ゲーム”については抵抗が強かった。間違いなく素晴らしい作品なのだと思えるのに、その一歩を踏み出すことができない、複雑な心境だった。今思えば、そんなくだらない線引きなど早く捨ててしまえばよかったのだが。
 
だが、そんな状況もついに全年齢版の「マブラヴ」が出るということで一転した。やっと自分もこの世界へ仲間入りすることができる―。

 最初にプレイしたのはもちろん「マブラヴ」EXTRA編だ。すでにラジオなどにより実は戦争モノであることは知っていたため、日常の何の事件も起こらないシーンは退屈だった。「早く何か起こらないかな」と期待しつつも、スキップはせずオートで物語を見守っていた。自分も長く演劇をやっていたためか、セリフを飛ばすのは忍びないと感じたからだ。もちろん、この何も起こらない日常をつまらなく思ってしまう自然な気持ちこそ、「マブラヴ」を理解するにあたって重要な感覚であったということは、先に述べておきたい。

 最初に到達したのは、いわゆる「漁船ルート」。物語が途中で終わってしまうというバッドエンドだった。“美少女ゲーム”というものが、選択肢を選んで好きなキャラのルートを目指すものであるということは知っていた。ただ、その時点で特に好きなキャラはいなかったため、当たり障りの無い、全員にとって優しい選択肢を選んでいった。その結果、物語半ばで急な脱線、そのままエンディングを迎えたのだった。

あまりの意味のわからなさに衝撃を受けたが、ここで私はあることに気がついた。これは、自分が何も選ぼうとせず、選択から逃げ続けた結果なのではないだろうか。そう、これはまさに「君のぞ」における主人公、孝之の選択だったのだ。「君のぞ」のメインテーマである「選択の結果とその責任」が、この物語にも表現されているのだと実感した。2週目はそれを踏まえ、ひたすらメインヒロイン、純夏の選択肢を進んだ。3週目はもう一人のヒロイン、冥夜を選び続けた。つまり知らずのうちにUNLIMITED編出現の条件を最速で満たしてしまったことになる。

メニュー画面の仕様が変わり「やっと来たか!」と歓喜したが、次に進みたい気持ちをグッと堪え、ひとまず全てのキャラのルートを見ることにした。目の前の快楽にとらわれるだけでは、大切な何かを見落とすかもしれない。「君のぞ」で痛烈なほどに描かれた訓示だが、この選択の結果が間違いでなかったことは言うまでもない。

 ただ、そこに到達するまでも、いくつかの展開には疑問を抱くことがあった。プレイヤー、すなわち主人公の武が、ヒロイン個人の幸福を優先する選択肢を取ると、常識的に考えると幸福ではないしマトモではない事態にも関わらず、選ばれたキャラは武に惹かれていく。武の言動は時折とても自分勝手で、幼稚に思えた。個人的に最たるものは「豪華客船で用意された食事を全て無視して牛丼を頼む」という果てしなく不可解なイベント。

その武の行動によってどれほどの人が無駄な作業をしたのかと思うと、グッドエンドだとは思えなかった。ゲームなのだからご都合主義はあるし、自分のこの見方が穿ったものなのだと割り切りゲームを進めることにしたが、この感覚がまたしてもこの物語の深い部分であった。“この時点の”武への不信感もまた、「マブラヴ」を最後まで楽しむ上では欠かせないポイントなのだ。

 全てのルートを回り、いざUNLIMITED編をプレイすると、その世界はさらなる驚きの連続だった。目の前で繰り広げられる非日常に興奮した。私が当初期待していたのはEXTRA編で続いた日常ではなく、この世界だった。つまり、何も起こらない日常の価値など忘れていった。―この物語が伝えたい意図にまんまとはまっていたわけである。

UNLIMITED編で私が最も印象に残っているのは、武の「ゲームギア」の話である。武が元の世界から持ち込んだゲームによって、まわりの人間がそのゲームにハマって堕落してしまうという、一見本筋から脱線したような話。

ここで描かれたのは、ゲームによって人間が堕落してしまうという現象自体ではもちろんない。ある世界への没頭によってそれ以外の世界へのコミュニケーションが閉じていくことへの警鐘だった。人間は生きる上でこの愚をおかしがちだ。その世界の中に居れば安全が約束され、居心地が良いため、それを自ら壊そうとはしない。だが、第三者の視点を持つということは、何か重大な選択する上で必ず有用であり、それを忘れてしまっては閉じた世界から抜け出すことは不可能になる。何が本当に正しい事なのかわからなくなってしまう。

物語の中について言えば、武とヒロインがゲームによって仲良くなることで、自分達だけの優しい世界を作ることができるが、それは過酷な状況を戦う彼らにとっては、いずれ物事の視野を狭め、重要な判断を鈍らせる結果になる。この話を解釈するのには時間がかかったが、これも「マブラヴ」の重要な要素の一つであったように思う。この時点では気付かなかったが、「マブラヴ」には“他人とのコミュニケーションの取り方”が一つのテーマとして存在しているからだ。


 UNLIMITED編も例によって全てのルートを辿ったが、一つ大きな違和感を感じていた。
EXTRA編はルートが変わるとそれぞれ物語が大きく変容したが、UNLIMITED編はほぼ同じ物語が進み、それを誰と過ごすかが変わる程度だった。これについては、そもそもUNLIMITED編が次へと繋がる物語であるための仕様だとは思っていたが、何度も同じことを繰り返すのは根気がいる。そして、いつまで経っても純夏がいない。

だが、もちろん、この感覚さえも「マブラヴ」に仕掛けられたギミックの一つだった。プレイヤーは知らず知らずのうちに、“武と同じ感覚”を共有させられていたのだった。クリア後、ゲームシステムさえも物語のギミックとしていたことに気づき感嘆することになる。

さて、いよいよALTERNATIVE編へと突入することになるのだが、ここまで間髪入れずに、睡眠時間を極限まで削りプレイしたことを思い出す。残された多くの謎に思考を張り巡らせると、自然に日常生活にも支障が出てくるというものだ。すでに「マブラヴ」の持つ魅力に没頭していたのだが、ここまでがまだ序章であることは、もちろん予想していない。

ALTERNATIVE編では、成長した武によって物語がトントン拍子で進み、自分もまたこの世界を理解したつもりでいた。

だが、その油断を打ち砕いたのが、突然かつあまりに理不尽な、主要キャラクターの死。EXTRA編からそれまでずっと武に優しくしてくれた人物まりもが、怪物に喰われ、人間としての尊厳も残らない形にされ、無惨な最期を迎えた。まさに“絶句”という心境だった。何故こうなってしまったのか。こうしなければならなかったのか。


アージュへの怒りを伴うまでの疑問を持ったが、その出来事が夕呼によって用意された“起こるべくして起きた事件”であったと暴露されることで、ハッと、ある事に気づかされる。夕呼が武に与えた試練は、そのままプレイヤーへの試練だったのだ。この出来事により、否が応でもプレイヤーは武とシンクロしていく。

その後、武はその現実から逃げ出し、さらに酷い事態へと発展することになるわけだが、これを乗り越えることで自分の選択が間違いだったと気づき、成長する。「逃げるという選択肢の最後には、さらなる失敗しか待っていない。ならばそこで踏みとどまり、現実を受け入れ、最善を選択していかなければならない。」そう教えられた気がした。

次の大きな出来事と言えば、やはりクーデターだろう。国家間の関係性、国内政治のあり方等、本当に様々な要素が盛り込まれた章であった。その中で私の心を強く揺さぶったのは、次の二つである。

 一つ目は、「物事を真に理解し選択するには、多くの視点が必要である」ということだ。この場面において、武は様々な人間の立場に基づいて、思考を張り巡らす。自分自身、斯衛軍、反乱軍、米軍―。それぞれに信じる物があり、それぞれが自身の正義に基づいて動いているということに気づく。だが、ここで私はある違和感に気づいた。

「武はこんなキャラだっただろうか?」

EXTRA編の武は、自分の立場のみで物事を考え、まわりに目をやることなどしなかった。豪華な食事を用意した料理人や、それを配膳したであろう乗務員のことはどうでもよく、ただ自分の欲しい「特盛りつゆだく牛丼」のみを見ていたはずだ。

だが、この場面での武は、明らかに成長を遂げていた。武の成長を見ることで、プレイヤー自身も、複数の視点を持つことの重要性を意識できるよう設計されていたのだ。

クーデターという題材は、「マブラヴ」ワールドの理解を深めるための重要な装置の一つであると思っている。その後の「トータル・イクリプス」や「シュヴァルツェスマーケン」においてもクーデターが存在するが、本質は変わっていないように思う。複数の視点から同時に物事を見ることによって、物語の理解度、満足度は何倍にも膨れ上がる。これは物語の楽しみ方としても重要であるし、現実世界での問題を考える上でも重要な点である。

 二つ目は、やはり悠陽の名台詞「自分の手が汚れることを、厭うてはならない」だ。これは、武が、生じる責任の重さを考えて、最善の選択であるにも関わらず行動を躊躇してしまった際に、悠陽が毅然と言い放った言葉である。手を汚す必要は無いはずの悠陽が自ら体現することで、武は確かな説得性を感じることとなった。これは、リーダーが矢面に立ち自ら選択することの重要性を説いたリーダーシップ論の一つであると捉えているが、どのプレイヤーにも少なからず突き刺さったのではないだろうか。


自分の手を使わずに下した決断は、責任を薄めてくれる。しかしその一方で、得るものの価値も薄れていくのだ。自分自身で選択し行動した時こそ、最大の成果と達成感が得られる―。私はそのように受け取った。現在でも、私の中で悠陽は単なる架空の人物ではなくなっているが、それはいたって正常な認識であると真面目な顔で言える。
クーデターを越えると、物語はさらに加速し、事あるごとに多くの仲間が死んでいくわけだが、プレイを止めることは無かった。成長した武は、歩みを止めることが無かったからだ。私の心境は武とほぼ完全にシンクロしていたと言っていい。

しかし、物語の終盤、隠されていた真実が次々と語られていくなかで、どうしてもプレイを止めざるを得ないシーンに直面した。それは、00ユニットの正体、BETAと純夏の関係性が暴露される、あのあまりにも衝撃的なシーン。まりもの死において私は“絶句”したと書いたが、ここでの私は違った。“激怒”と“深い悲しみ”だ。武がBETAに対して感じた激情と同じように、私はアージュに対して疑念を持った。一旦手を止め、なぜアージュはこんなシーンを用意したのかをしっかり考えることにした。もはやゲーム内の出来事であるということなど関係無く、あまりの絶望感に他のことをやる気は一切起きない。


一体どう解釈すればいいのか。こういった嗜好が存在することは理解できなくもなかったが、それが今必要だと言うのか?“美少女ゲーム”とはこういうもので、これを受け入れろということなのだろうか?

―もちろん、答えはそうではなかった。考えた結果、自分にとっての答えはこうだった。「この事実を純粋に憎むことこそ、アージュからのメッセージである」と。そもそもBETAとは、“単なる怪物”ではなく、“自分と全く違う存在”の抽象表現でもある。

そういった視点で見るとこのシーンは、物語上の残酷な出来事にとどまらず、現実世界にも存在する出来事であると捉えることもできる。「こんなものは現実には無いのだからこのシーンは必要無い」と考えていた自分に、夕呼と武のとある会話が思い起こされる。武がBETAの存在する世界を否定し、「元の世界は戦争などなく平和だった、元の世界へ返してくれ」と激昂する場面だ。それに対し、夕呼は厳しく「あなたの世界に、本当に戦争は無かったのか」と問う。「あなたが見ないようにしていただけで、戦争は存在していたのではないか」と。


私の嫌悪感はこの構造と全く同じだったのだ。無論、戦争は武の世界にも、プレイヤーの現実世界にも存在する。純夏のこのシーンのような悲劇は、自分の世界でも起きている。歴史の中でも、現代でも。世界を見渡せばいくらでも。

―そう思ってから、このシーンの必要性とBETAへの憎しみを改めて認識し、再びゲームに取りかかることができた。もはや武そのものである。

ALTERNATIVE編ラストの桜花作戦は、あっという間の出来事だったように感じる。自分が参加していたような錯覚さえもたらす「マブラヴ」の魔力は本当に恐ろしい。桜花作戦の最終局面。ハイヴ内メインホールでの決戦。攻撃を受ける中、明かされるあまりにもむごい真実、BETAの正体。さらには敵の上の創造主の存在。

人類の敗北なのか、自分はもう死んでしまうのかと思った時、冥夜の搭乗する武御雷、将軍専用機のシルエットが現れ、暗がりの中で赤いラインを浮かび上がらせる。あの興奮は今でも忘れない。自分はここでもまた非情な選択を迫られるわけだが、もう迷うことはない。自らの選択で、純夏への“あい”と自身の“ゆうき”で、望む未来を切り開く―。

決戦が終わり、私は元の世界へ帰る。FINALEXTRA編へと突入し、何気ない朝を過ごし、いつもの仲間と挨拶を交わし、教室の席へ着く。無論、私は武だ。

ホームルームが始まる中、画面がじわりと滲む。これは以前にもあった、武が涙を流している演出だろうか?原因はそれだけではない。武が涙を流すのとおそらく同じ心情で、私も自然に涙を流していた。全く止まる気配は無い。止まるわけが無い。EXTRA編で退屈だと思っていた“何気ない日常”は、こんなにも素晴らしく幸福で、かけがえのないものだったのだ。

そしてエンドロールの「マブラヴ」へと続いていくわけだが、もはや静かに泣くという状態ですらない。号泣だ。嗚咽さえ出る。途中止まる事はあれど、オートで読み進めること延べ100時間以上。私はその時確かに、武という人間の人生を体験していた。「マブラヴ」に出会えて本当に良かった―。

さて、まとめに入るとする。

途中で私が体感した違和感や疑問は、全てアージュの用意した仕掛けだった。まんまと引きずり込まれた結果、より深く解釈することができたように思う。文章では触れなかった部分にも提示された教訓は数多くあり、それらは現実世界を生きる自分にとっても、選択の指標となっていることは間違いない。

この物語で何かの答えが出されたわけではない。受け取るべき大切なテーマは、「自分自身で選択し、選択に責任を持ちその結果を受け入れ、前に進む」ことだ。これは「マブラヴ」に関連する作品では必ずテーマとなっているように思う。

加えてこの物語で確認するべきことは、「複数の視点を持つ」ことの重要性だ。重大な選択の際、多くの視点を持つことは必ず自分の利となる。もし、多くの視点の中で息詰まったら、その時は「自分の依り所」へと一度帰ればいいのだ。これもクーデターで悠陽が教えてくれたことである。悠陽は本当に素晴らしいキャラクターだ。


そして最後に最も大切なのは、「何気ない日常の大切さ」だ。目の前の日常は無限に存在しているのではなく、誰かに守られていたり、誰かが壊そうとしていたりするものである。世界のどこかでは、自分と全く違う日常を生きているのも事実だ。だが、だからこそ、せめて自分は平和な日常を誇らしく生きればいいのではないだろうか。実際に何かをすぐ変えることはできなくても、そのことに気づけたことは最大の収穫だ。

自分の人生に比べれば、この物語のプレイ時間は“とてもちいさな”ものであるが、私はその時間を遥かに越える、“とてもおおきな”ものを受け取ったと確信している。“おとぎばなし”は単なる空想ではなく、私の中で一つの教本となっている。


「マブラヴ」を終えた後、手当たり次第にアージュ作品をプレイしていくことになったのは言うまでもない。また、アージュ以外の“美少女ゲーム”への偏見も無くなった。ゲームのジャンルなど関係無い。気に入れば吸収し、気に入らなければ一つの視点として捉えればいい。「マブラヴ」を始める前の小さな自分はもういない。

以上が、私のマブラヴ愛、そしてアージュ愛のほんの一部分である。
「マブラヴ」を創った皆様に、多大な感謝を込めて、敬礼―。