トチーちゃん「幽子さん。是非、聞かせて下さいな。

ラークさんには、大学にいた頃、一体、何があったんですの?😟」

 

幽子「…大学時代に付き合ってたラークの恋人は、バレリーナだったんだ。

大変な美人でさ、しかも凄い努力家で、彼女が踊る姿は、彼女が入ってたバレエ団の若い団員たちの中でも、群を抜いてしなやかで優雅で、夜、月の下に開く真っ白な花のようだったよ。

ラークと彼女は、大学でも評判になるくらい、めちゃくちゃ絵になるカップルだったし、ラーク自身もめちゃくちゃ、彼女に惚れ込んでたんだよね。なんだけど…」

 

ポムちゃん🍎🍏「………」
 
トチーちゃん「何があったの…?」
 
 
幽子「…彼女、その年の「ジゼル」公演で、主役のジゼル役に大抜擢されたんだよ。
それまではずっと、群舞の中の一人だったから、幼少期からの夢だったプリンシパルになる大チャンスを掴んで、彼女は有頂天でね。それまで以上に、練習にも、身体の調整にも、渾身で打ち込んだわ。
ただ、…あまりにも魂をつめるあまり、どんどん痩せ細って、青ざめてってさ。ハードな練習に加え、役を下ろされないよう、減量に減量を重ねて、目の回りの隈を、メイクで必死に隠してるのを、あたしも見たことあるよ。
それまでは、彼女の夢の実現を熱心に応援し、減量でもレッスンにでも、色々協力していたラークの顔が、少しずつ暗くなって、笑わなくなってったのも、その頃からだったんだよね。
彼女の夢を支えようとしながらも、ラークは、彼女の心身が心配で心配で、たまらなかったんだと思う」
 
トチーちゃん「ええっ…まぁ。それ…
今のナースチャ、そっくりそのままだわ…😟💧」
 
幽子「そう。で…1週間後に舞台本番を控えた日、ラークはとうとう、彼女に言っちゃったんだよ。
…この舞台が終わったら、バレエを辞めることを、真剣に考えてみてほしいって。君がバレリーナではなくなっても、自分がエンジニアとして働いて、君を一生涯、支えてゆくからって。
ラークとしても、物凄い勇気を出して、考えに考えて、やっとで口にしたんだと思うよ。バレエ界って、本っ当に厳しい世界でさ、適当に続けてくって選択肢が無くて、完全に辞めるか、渾身で続けてゆくかの、二択しかないからね。
でも彼女は、本番直前でピリピリしてたのもあるんだろうけど、ラークの言葉に激しいショックを受けて『私に、長年の夢と、これまでの血の滲むような努力を、全て投げ棄てろと?』『あなたにだって、エンジニアになるという夢があるのに』『私を束縛しないで!』『あなたがそんな男だとは思わなかった』って叫んで、大激怒。
カフェにいた時だったから、ちょうどあたしと夫は、すぐ傍でその一部始終を聞いてたんだよ。テーブルの上のあたしたちのコーヒーまで、彼女の金切り声で、ビリビリ震えてたわ。
…ラークの方は、一言も言い返さなかった」
 
トチーちゃん「…………おねだり
 
ポムちゃん🍎🍏「実直だけど不器用な、ラークさんらしいと言うか…
伝えた内容は、ポムは正しいと思うんだけど…伝えたタイミング、この上もないほど、まずかったね…ガーン
 
トチーちゃん「F国のP市と言えば、世界的なバレエの本場よね。
そこの劇場のプリンシパルっていったら、この上もなく競争苛烈なはずだし、なれたとしても、その座を維持してゆくのだって、容易ではないわ。
一瞬たりとも立ち止まることが出来なかった彼女さんの気持ちも、私、胸が痛くなるくらい、よく解るわ…悲しい
彼女さんからしたら、全てを擲ってバレエに人生を捧げてきたのだから、黙って彼に見守っててほしかったわけね。…自分がどれほど無謀な突っ走り方をして、命をゴリゴリに削っていようと」
 
幽子「…それからの1週間、ラークは彼女には何一つ言わずに、裏方に徹して彼女を支え続けて、彼女は無事、晴れ舞台に立てたんだけど、…もう心身によくよく限界が来てたらしくて、本番初日は正直、散々だったの。
彼女は、舞台を観に来ていたラークを、私が失敗したのは、全部あなたのせいだ、一生怨むからと罵って、怒りにまかせて、劇場を飛び出しちゃったのよ。
ところが大通りで、彼女は転倒し、運悪く、スピード違反の車にはねられて、そのまま…
病院に運ばれたんだけど…打ち所が悪かったんだよ」
 
トチーちゃん「まああ…っ…」
 
幽子「…専門家が調べたんだけど…彼女が転倒した原因は、やっぱり過度のストレスと不眠、無茶なダイエットのせいだった。睡眠導入剤やら筋力増進剤やらも、用法や容量を破って、浴びるほど飲んじまってたらしいし。
舞台に立って踊ってたのも、やっとの状態だったらしいね。
…その点、ラークの判断、全く間違ってなかったんだよ」
 
トチーちゃん「おお、なんてことかしら。恐ろしい…😭」
 
ポムちゃん🍎🍏「その子もラークさんも、よくよく、ツイてなかったね…」
 
 
幽子「不幸なことだよね。
ラークはその検死結果を聞かされても、彼女がこうなってしまったのは、何もかも僕のせいだ、僕が彼女に、取り返しのつかないことを言ってしまったせいだと叫んで、誰一人慰めようもないほど、自分を責めて、悶え苦しんでたよ。
あんなにも明るくて快活で、自信家で気さくだった男がさ、以来、人が変わったようになっちゃった」
 
トチーちゃん「知らなかったわ。
あのラークさんに、そこまで悲しい過去が…😟」
 
ポムちゃん🍎🍏「ポムの想像の限界も、遥かに超えてたなぁ…驚き
そりゃ、ただの失恋じゃないね。本物の悲劇だ」
 
幽子「それから暫くして、ラークの親父さんに、不幸があって…
ラークはそのまま、運命に何の抵抗もせず、エンジニアになる夢を捨ててF国を去り、大学も辞めちまったんだ。教授たちがこぞって期待を寄せてたほど、成績が良くて情熱的で、勉強熱心な学生だったのに。
…彼女がいた劇場のある、あの街に留まってること自体、もうラークには、耐え難かったんだろうな」

トチーちゃん「はぁぁ…これは、思ってた以上に、根の深い話ね…ショボーン
ラークさんがナースチャに、おいそれと告白出来ない理由も、よーく解ったわ…えーん
 
ポムちゃん🍎🍏「自分は、愛した女性を絶対幸せに出来ない、皆、不幸にしてしまうんだって、ラークさん、思い込んじゃってるわけだね」 
 
幽子「ラークの彼女のほうもね、根は決して悪い子じゃなかったから、もし生きてたなら、自分の暴走にいつか気づいて、ラークに『あなたのせいじゃなかった』って、ちゃんと言ってくれただろうと思うんだよ。…ラークと一緒になってたとしても、別れてたとしても。
ラークが自分のことを心底、心配してくれてたんだってことにも、彼女、本当は気づいてたんだと思う。自分でも自分の心身に限界が来ているのは解ってたけど、誰かのせいにしたかったんだろう。
彼女自身も、遠い国の田舎から出てきててさ、吐くほど厳しい練習にも、減量にも、仲間たちからの嫉妬や嫌がらせ、妨害にも耐え抜いて、世界一のバレエの都で、漸くそこまで登り詰めたんだよ。ラークと、境遇はさほど変わらなかった。
ただ…運悪くも彼女には、そこまで考え至って、ラークに思いを伝えるだけの時間は、残されてなかったんだ。
和解の機会は、持てなかった。二人とも若かったねと、笑い合う未来が消えてしまった。…最後にラークが聞いたのは、悲しみと無念に満ちた、彼女の呪詛の言葉だったんだよ」
 
 
 
 
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バレエ「ジゼル」
 
親に決められた許嫁のある王子は、村男に扮して村娘のジゼルと恋仲になりますが、ジゼルは幸福の絶頂で、自分の愛した男が実は身分違いの王子様であり、しかも婚約者がいると知らされて絶望、王子の剣で胸を貫き、死んでしまいます。
 
うちひしがれて、夜、森の奥深くにあるジゼルの墓を訪ねてきた王子を、結婚前に死んだ娘たちの霊、ヴィリーの群れが襲います。ヴィリーは、森に迷い込んだ男を踊り狂わせて(主に沼や湖に水没させることが多い)殺してしまう精霊です。
 
しかし、今やそのヴィリーの一員になってしまったジゼルは、自分の支配者であるヴィリーの女王に、かつての恋人であった王子を殺さないでほしいと嘆願。ヴィリーたちが姿を消す夜明けまで、何とか王子の命を繋ぎ止めようと、王子とともに死の舞踏を踊らせられながらも、必死で庇い続けます。
 
やがて朝が来て、ヴィリーたちは皆、消えてしまい、王子は一命を取り留めます。
婚約者の王女と幸せになるようにと王子に言い残し、ジゼルはあけぼのの光と共に消えるのでした。

 

 

 
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  「ローレライ」ジルヒャー

 

ハイネの詩です。
東欧の「ルサールカ」と言い、ヴィリーやローレライと言い、ヨーロッパ全土に、類似した水の精の伝説、多いんです。
 
「ジゼル」の舞台の村もまた、このライン川の畔。
 
20代の昔、私はドイツに行き、ライン川下りをしました。両岸は森や丘で、その中に古城や古城跡が、これでもかと言うほど(最初は素敵!と感動してるんだけど、徐々に飽きて来るレベルで)建ち並んでました。
髪を梳きつつ歌うその妙なる歌声で、多くの舟人を惑わせ、水中に飲み込ませたという、伝説の美しき水霊、ローレライは、見上げるような大きな岩でした。
つまり多くの舟が、その岩山を回り切れずに、ぶつかって沈んでしまう、水運の難所だったのでしょう。
 

 
 

 
彼女たち水の精霊は、恋人に棄てられた怨みから、男全般を憎み、見境なく通りがかりの舟(や人)を沈めて殺す、残忍な亡霊…のように思われがちだけど、
私が思うに、実は必ずしもそういうわけではないのではないかな…?と。
 
未婚のまま、若くして死んでしまった彼女たちは、寂しさに耐えかね、舟人を見かけると、恋に落ちてしまい、水中に引きずり込んで、我が夫にしようとする。
 
でも当然、人間は水中では、1分間と生きていられません。
水の精霊になってしまった娘たちには、そのことが理解出来ないだけなのではないかと。
 
自分が死んで、水の霊になったのだということが、どうしても飲み込めず、
どうして私には、愛してくれる男がいないの?と、必死で叫んでいる、実は可哀想な精霊(妖怪?)のような気がしています。
 
何故、自分が愛した男は、一人残らず死んでしまうんだろうと、その理由が解らず、彼女たちは実は嘆き悲しみ、途方にくれているのではないかと。…未来永劫。