最近、ペラペラと実教出版の『日本史探究』を見ていて、法度した。

 

失礼。

 

ハッとした。

 

武家諸法度の史料として「天和令」がガッツリ載っていたんですよ!

天和令が、元和令・寛永令と同格の扱い!

 

というわけで、武家諸法度について説明。

 

武家諸法度は江戸幕府の法令。

2代将軍秀忠以降、各将軍が定めました。

 

年号をとって、

2代将軍が定めたものを「元和令」。

3代将軍家光が定めたものを「寛永令」と呼んでいます。

そして「天和令」は、5代将軍綱吉のときの法令というわけです。

 

従来、教科書では、「元和令」と「寛永令」を重視し、

この2つの史料(要約したものですが…)を掲載していました。

そして、「天和令」についての史料は一切掲載されていませんでした。

「天和令」の言葉すら紹介されてなかったと思います。

 

しかし、史料こそ掲載していなかったものの、「天和令」の中身である

 

「末期養子の禁緩和」「殉死の禁止」

 

という2つの政策については、従来から、しっかり本文で紹介されていました。

(正確にいえば、4代将軍からスタートした政策)

 

まとめると、

以前は、2つの政策を紹介しつつも、史料までは掲載していなかったのだが、

令和4年検定のものから、史料も掲載するようになったのです。

 

「天和令」の格上げだビックリマーク

 

実教出版『日本史探究』を見て、アゲハは、そう感じたわけです。

 

「末期養子の禁緩和」の話については、過去のブログを読んでください。

一方、殉死の禁止については言及したことがありませんでしたが、

末期養子の話と違って、単純な名称なので、

「殉死を禁止する」政策だとわかりますよね。

(でも、いずれ殉死については、稿を変えて説明します~。)

 

教科書比較

さて、アゲハが見たのは実教出版の『日本史探究』でした。

実教出版はわりと攻めの姿勢で、新しい研究成果を取り入れるタイプの教科書です。

なので、他の出版社はどうなのか、気になります。

 

また、前の検定時の教科書では、本当に天和令の史料は掲載されていなかったのか、

アゲハの思い込みなのではないか。

 

これも確認したいですね。

 

というわけで、まとめたのがこちらの表。

変な数字がついてるけど、それはページ数www

私の備忘録だと思って、数字はスルーしてください。

 

ずいぶん時がたってから、

「あれ? あったはずなのに! 私はどのページを見てマルにしたの?」

ってことが、けっこうあるんですよ。えへ。

 

で、平成29年検定の教科書、見て!

天和令を掲載している教科書は1つもないことが、確認できました。

アゲハの思い込みじゃない!

ただし、第一学習社のは所持してないので未確認。

 

次に令和4年検定の教科書を見ると、

実教だけじゃなくって、山川・東京書籍も天和令を掲載していますね!

そのうち清水書院・第一学習も続くかな。

 

さて、この天和令の格上げの背景はいかに!

という点ですが…、

 

「天和令」掲載の背景

5代将軍綱吉の見直しと、文治政治について学ぶため、でしょうね。

見直しっていうと大げさだけど。

 

綱吉って犬公方とかそういうイメージありましたよね。

生類憐みの令が天下の悪法だとか言われたり。

 

まず生類憐みの令の評価が、近年、変わってきています。

その名の通り、「生き物を大切に」という法律。

そうストレートに理解する方向になってきている。

大学生くらいだと、そんな雰囲気で綱吉を捉えてる人がけっこういます。

 

たしかに度を超えた罰則規定があって、それが世間に不評だったわけだけど、

犬などの動物だけではなく、捨て子などの社会的弱者にも目を向けていたという点において、注目すべき法令なんです。

 

動物愛護法が17世紀末に出されてたなんて、たぶん、世界で初ですよ。

逆に最先端すぎたから、凡人には理解できず「悪法」というレッテルになった可能性もあります。

 

あとは、説明不足とか?

 

さて、殉死の禁止、末期養子の禁緩和、そして生類憐みの令。

これら綱吉の政策を並べてみると、

 

いのちを大切にし、失業者を減らし、社会的弱者を救済する。

「人にやさしく」

「命に向き合う」

そういう理念の政治家だったのではないかと、思うわけです。

道徳の教科書みたいですね…。

ちょっと褒めすぎて、気持ち悪いから、

生類憐みの令はやりすぎだったことは何度も言う。

 

なんで人にやさしい政治をしようと思ったのかというと、

その背景に儒教・儒学があるんです。

儒教という学問で世を治める、それが文治政治。

 

綱吉は儒教を大切にし、孔子を祀るために湯島聖堂を建立するほどだった。

武力を背景にして世を治めるのではなく、学問(儒教)で治める。

まさに「文治」を体現していた将軍だったのです。

 

しかし、「末期養子の禁緩和」や「殉死の禁止」は、

実は4代家綱がすでに実行していたこと。

5代綱吉は、それを天和令として明文化したのです。

 

そんなわけで、欲を言えば、家綱もあわせてクローズアップさせたいところだけど、

(教科書によっては家綱の政策だという言及はありますよ~)

どんどん、細かくなってっちゃうしね。

 

2・3・5代将軍の法令を比較し、武断政治と文治政治との違いを実感する、

それで十分だと思う。

文治政治の端的に示すものとして、

 

「天和令」

 

いいっびっくりマーク

 

深いところまで入っていきたい人は、

是非、家綱のことも調べてみてください。

彼もまた、というか綱吉以上に、

思いやりの気持ちに満ち溢れた逸話を持つ将軍ですので。

 

あーーーー、なんか褒めすぎて気持ち悪いから、

褒めてる箇所は半分ぐらいに割り引いて理解しといてください。