1854年の日米和親条約締結を受けて日本にやってきたのが、
タウンゼント・ハリスさん。
駐日アメリカ公使ですね。初代の。
で、彼が日本にやってきて、1858年、日米修好通商条約が締結された。
ハリスは来日当初、下田の玉泉寺というところに居住していたのですが、
そこで、ハリスのパートナーとなったのが、犬。
(もちろん、通訳のヒュースケンも大事なパートナーですけど。)
1856年11月15日(安政3年10月18日)に登場します。
この午後、日本人がひじょうに立派な二匹の子犬を持ってきてくれた。丸い、弾丸にような形の頭と、短い鼻と、「キング・チャールズ・スパニエルズ(狆)」式の大きな、とび出た眼をもっているが、耳は短小で、身体の毛も短い。さもなければ、その犬そっくりなのだが。私は、彼らがスパニエルズの原種の系統であることを疑わない。
ハリス『日本滞在記』中巻、115ページ
スパニエルズっていうのは、ざっくり言うと「狆(ちん)」。
キング・チャールズ・スパニエルズとは、国王チャールズの狆
ただ、
日本の「狆」はジャパニーズ・チンといって、西洋のスパニエルズとは違う種だというのですが、こまかいことは私にはわかりません。
「狆」で、話を進めましょう。
この日の日記の注に、以下のような記述があります。
タウンゼン・ハリスは直ちにこれらの犬に、日本の二つの首都―将軍の首府と天皇の首府とにそれぞれ経緯を表して「江戸」及び「みやこ」と名をつけた。
というわけで、
ハリスはもらった2匹の狆に「江戸」「みやこ」と名付けたわけです~
そうして、ハリスの孤独な生活を、この2匹の犬は癒してあげてたんですね。
きっと
だけど10か月後。
2匹のうちの1匹が、
ハリスのもとを去って外国へ旅立っていったのです。
1857年9月11日(安政4年7月23日)
フート艦長が今朝私を訪問する。私は愛犬の江戸を彼に与えた。彼は当地でこの種の犬を入手することができなかったから。
同書、299ページ
去っていったのは「江戸」くん(ちゃん?)。
フート艦長とは。
2日前の9月8日に、下田に到着したアメリカのスループ型艦ポーツマス号の艦長。
上海からやってきたのですが、
10か月以上、本国から放置されていたハリスにとって、
ずっと待ち望んでいた本国の船でした。
意外かもしれませんが、けっこうな期間、ハリスは本国に放置されてたんです。
このフート艦長に、自分が飼っていた「江戸」くんをプレゼントしたわけです。
さて。
日記で見たように、フート艦長は狆を欲しがってたけど入手できなかったんですよね。だからハリスがプレゼントしたのですが、、、
なぜ、フート艦長は狆を欲しがったのか。
実は日本の狆、アメリカ・ヨーロッパでちょっとしたブームだったみたいです。
本格的なブームは1860年以後なので、そのハシリですね。
ブームの火付け役は、ペリーさん。
ペリーさんが13代将軍徳川家定から、狆を贈呈されたんですね~。
ペリーさんが持ち帰った狆は、「ミヤコ」と「シモダ」、「マダム・イェド(江戸)」
と「マスター・サム・スプーナ-」の4匹。
結果的に、4匹とも航海中に亡くなったようだけど、水夫たちによって可愛がられたとのこと。
いや、そもそも。
ペリーさん以前に、オランダ商館の面々が、日本の高級わんことしての狆を知っていただろうし、本国に報告しててもおかしくない。
実際に、幕末にはシーボルトさんが狆の剥製を国外に持ち出している。
そこに、鎖国の日本と世界で初めて条約を締結するという快挙を成し遂げたペリーが加わったわけだ。4匹とも死んじゃったけどね…。
そんな狆のことをフート艦長は知っていて、欲しいと思って探した。
が、すぐには見つからなかった。
だから、ハリスが自分の飼っている狆をプレゼントしたというわけ。
江戸くんは、フート艦長とともに、無事に本国アメリカに行けたのでしょうか。
ペリーさんの狆が4匹とも亡くなったのですから、
とても気になります…。
【参考】
アーロン・スキャブランド、本橋哲也訳『犬の帝国ー幕末ニッポンから現代まで』
上記文献には、ハリスが飼っていた犬に関する記載はありませんでした。