私の居住地域のお盆は7月15日です。

実家も7月15日です。

 

ところが8月15日のところもたくさんあります。むしろ、そちらの方が多数派。

実家は7月と言いましたが、

ちょっと自転車で郊外出ると、周辺は大概、8月お盆の地域でした。

 

なんで7月と8月、バラバラなのか。

 

まあ普通に、なんとなく、わかりますよねぇ。

旧暦7月のお盆がそのままスライドした新暦7月と、

旧暦7月に相当する新暦8月。

この2種類のうち、地域によってどちらを用いるかが、バラバラだったから。

 

まぁ、そうなんですけど。

でも、お正月も桃の節句も、端午の節句も、1ヵ月ずらして祝ったりしません。

※七夕は両パターンあるけど、面倒だから割愛させてください…

 

例えば、中国など日本以外のアジア各地は、太陽暦に移行してからも、

ちゃんと旧正月を祝っています。

 

もちろん、日本も旧正月も祝うべきだとか、そんなことは言いません。

自然の成り行きにまかせる派なので。

 

だけど、前述したように、お盆は2パターンある。

正月と旧正月のように対比させるなら、お盆と旧盆。

 

日本では、旧正月はなかったのに、旧盆は生き残った。

というか、むしろ旧盆の方が国民的には主流になった。

 

※ちなみに、本当に旧暦に換算するならば、15日と日付が定まっているのは不自然で、

 ちゃんと満月の日付を当てはめねばならないのですが…。

 

なんでか。

 

まずは改暦以前。

旧暦7月15日に盂蘭盆会(ウラボン・エ)が行われていました。100%満月です。

もちろん、8月にお盆を実施する人はいません。

 

改暦後。

明治新政府の方針に基づき、新暦の7月15日に行うことにしました。

しかし、どうしても農民たちは新暦7月15日には行事を実施できなかった。

 

そもそも、盂蘭盆会というのは、先祖の魂を迎える鎮魂行事でもありますが、

一方で、風流踊(今の盆踊りに繋がる)や、

灯籠を飾ったり(ねぶたも灯籠祭のバリエーションの1つ)、

祭の要素も多くありました。

祭って、村の人々とっては、農作業の合間の休憩イベントとして、

マジで、みんな楽しみにしていたわけです。

 

でも、新暦7月15日は、そんな遊興に時間を費やすことはできない時期なのです。

農作業がとても忙しいのです。

 

旧暦の7月15日だったら、ちゃんと農作業の合間、

つまり刈り取りまでの休業期間にばっちり当てはまっていたのです。

でも、新暦7月に移行したことで、農作業の季節感とずれちゃった。

 

でも、祭りは実施したい。それを楽しみに農作業してるのよ、みんな。

新暦の7月は無理だけど、8月15日なら農作業も一段落して、

じゅうぶん遊興に費やす時間はある。

 

じゃ、うちの村は新暦7月15日じゃなくって、1か月後の8月15日に実施しよーぜ。

そんな村々が増えていき、8月お盆派が増えていきました。

なので、8月お盆派の地域は、農村が多い。

 

逆に7月お盆派の地域は、城下町や町人地域など、都市部で多い。

農作業の季節感とずれてても、関係ないから。

 

だから、冒頭で述べたように、

城下町である私の実家は7月お盆、ちょっと郊外に行くと8月お盆、

になるわけです。

 

みなさんの周囲でも、なるほどと思える状況、あるんじゃないですか?

 

いやいや、うちの地域は農村じゃないけど、8月お盆だよ。

そういう地域もあるかもしれません。

でもそれは、今は都会だけど、かつては農村だったのだと思います。

地域の歴史を確認してみてください。

 

さて、現代社会では、お盆といえば国民的に8月15日と前述しましたが、

これは、そもそも都市部より農村部の方が面積が大きく、人口が多かったので、

8月お盆が多数派になったのもありますが、

 

加えて、

玉音放送が8月15日に実施されたことも追い風になり、

真夏の暑さや夏休みも味方して、

国民的には8月15日がお盆ということになりました。

 

そもそも盂蘭盆会は鎮魂の日ですから、

戦争で亡くなった人々を想うのに相応しい日付というわけです。

※終戦(敗戦)記念日が15日で良いかどうかは、議論があるところですが…。

 

…という戦後の事情はともかくも、

お盆は、行事の新暦スライドが明治新政府の目論見通りにはいかなかった、

唯一の例と言えます。

 

農民たちのお祭り欲求は、明治新政府の方針も跳ね返したのだ。