え?
「四六時中」の間違いでしょ?
そう思いますよね。
でも、間違っていません。
今回は「二六時中」について。
四六時中、つまり「一日中」の半分だから、
24時間÷2で、12時間ってことかな。
あるいは2×6=12で、12時間ってことかな?
って思いますよね??
違うんだな、これが。
次の本を読んでいて、「二六時中」を発見したの。
『高橋是清自伝(下)』
貴方がたは聡明な方々たるに相違ありませんが、常に多岐多端の政務に心を配らねばなりません。我々はそれと異なって二六時中経済界のこと、ことに金利政策に最も重きを置き、不断に考えているものであります。ゆえに専門的に専一に考えている者どもの意見は尊重せらるるが当然ではないかと思います。
同書(中公文庫、1976年初版、1993年第13版のものを参照)165p
金利引き下げについて、コメの作柄を懸念して引下げを渋る曽禰蔵相に対して、日本銀行副総裁だった高橋是清の発言。
「あなたは確かに優秀かもしれませんが、あっちにもこっちにも多方面に気を配らねばなりません。しかし私たちは「二六時中」経済、とりわけ金融のことをずっと考えているのです。ゆえに専門家である私の意見を尊重すべきです。」
って。
かっこいい~✨
誰にも忖度せず、自分の意見をきっぱり述べる高橋らしい発言ですが、
文脈から、「二六時中」の意味は調べずとも推測できますよね。
「一日中」、だよね。
そして、転じて「常に」。
数字的に「四六時中」の半分だけど、「半日」の意味にはならず、
四六時中と、意味は同じ。
このように、高橋さんのころは「二六時中」と言ったけれど、
今は(当たり前ですが)「四六時中」と言いますね。
この変化が面白いな、っと思ってまとめたわけです。
ほかにも文例を独自に見つけたのですが、それはあとで
というわけで、
まず『日本国語大辞典』(通称『にっこく』)でちゃんと確認してみようかな。
二六時中 @にっこく
(昔は一日が十二刻であったところから、二に六を掛けて十二ということで)一昼夜。終日。一日中。また転じて、いつも。年中。しじゅう。一日が24時間になってからは「四六時中」ともいう。
※明極楚俊遺稿(14c中か)示宗副寺「二六時中常把定。一切是非都莫惹」
※幸若・大織冠(室町末-近世初)「さてもたづぬる玉をば別にでむを作って(略)二六ちちうにばむをおり」
※仮名草子・竹斎(1621-23)「寺々は軒を並べ、二六じぢうのせみやうの声」
※浮世草子・西鶴諸国はなし(1685)一・一「此太鞁いつの比か西本願寺に渡て、今に二六時中を勤めける」
※吾輩は猫である(1905-06)〈夏目漱石〉五「二六時中精細なる描写に価する奇言奇行を弄するにも関わらず」
『にっこく』の最大のメリットは、文例があること。
ちゃんと実際に、過去に使われていた文章だよ。
編集部が作った文章じゃないよ。
で、さらにすごいことに、古いものから順に載せてくれているの。
というわけで、文例を見ると、
わー、「二六時中」って14世紀から使われているんだね!
ってことがわかるわけ。
(「明極楚俊遺稿」って何かな。禅宗の僧侶の記録っぽいね。)
また、冒頭の説明では、
「1日が24時間になってからは四六時中」って書いてあったよね。
1日が24時間になったのは、太陽暦の導入と同年だから明治5年(1872)。
説明が本当なら、明治5年以後は「二六時中」の語はないはず。
なのに「夏目漱石も使っちゃってるじゃん」ってなる。
24時間が導入されたあとも、実際の生活のなかでは、まだしばらくは「二六時中」が生きていたってことがわかる。
冒頭で私が引用した『高橋是清自伝』の一節、蔵相とのやり取りは、
明治36年(1903)の出来事。
日露戦争の前年。
文化、習慣って、スパッと切り替わるわけではないですからね。
徐々に、徐々に、です。
1日が十二刻とは?
ところで、「二六時中」の説明で、「昔は1日が十二刻」ってありましたね。
2×6で12時間って言われても、
今は24時間だから、普通にその半分?
だから半日?
って思っちゃいますが、違います。
意味もちゃんと「一日中」って確認しましたよね。
十二刻なのに一日中とはこれいかに。
1日が十二刻というのは、江戸時代の「不定時法」のこと。
日の出と日の入りを基準にして、昼と夜を分け、
その昼と夜の時間を、それぞれ6等分します。
昼が六刻、夜も六刻、あわせて十二刻。
それで一日中。
昼九つ、昼八つ、昼七つ、(暮れ)六つ、夜五つ、夜四つ、
夜九つ、夜八つ、暁七つ、明け六つ、朝五つ、朝四つ、
…こう書くと、昼と夜と暁と朝が混在してるので、
なんだか分かりにくいですね
とりあえず数字だけ見てると、九から1つずつ減って、四で終わり、
また九から始まって四で終わっている。ここが6刻×2なんですね。
おやつは、昼の八つ時ごろ(現代の15時ごろ)に間食をしていたから「お八つ」でしたね。
「暮れ六つ」とか「明け六つ」は何となく時代劇で聞いたことあるかもですね。
それが不定時法における時間の数え方。
日の出と日の入りを基準にするって言ったけど、
それはつまり、
夏と冬でその時間は異なるってわけ。
夏は昼が長く、夜が短い
冬は昼が短く、夜が長い
そうした時間差があるのに、昼を6等分、夜も6等分するんだから、
昼と夜の時間が等しくなる春分と秋分の日以外は、
昼の1刻と、夜の1刻は等しくならない。
また、夏の昼の1刻と、冬の昼の1刻もイコールにならない。
不定時制って、けっこう複雑なのよ…。
だけどとにかく、江戸時代の「1日12刻」っていうのは、そういうこと。
現代の時計を想定して2×6=12時間、と思ってはいけない。
四六時中 byにっこく
さて、次は「四六時中」を『にっこく』で見てみましょう。
二十四時間中。一日中。転じて、いつも。しじゅう。二六時中。
※音訓新聞字引(1876)〈萩原乙彦〉「四六時中 シロクジチュウ。一昼一夜廿四時ナリ」
※悪魔(1903)〈国木田独歩〉八・九「四六時中、夢にも現にも私の心を動かして居るものの九分九厘は世間である」
※殉死(1967)〈司馬遼太郎〉要塞「快活で機敏で、しかも四六時中喋りつづけている饒舌家であり」
まず、司馬遼太郎さんの本が文例に挙げられているのに、驚き。
それはともかく…
初例が「音訓新聞字引」ですね。
これ、前にも見たことあるのですが、
たぶん、私が思うに、
近代化にともなって新しく誕生した日本語を使うための字引、
おもに新聞記者のための字引なんだと思います。
おそらく、国語的には、最先端すぎる字引なのではないかと思っています。
一般に流布しているとは、直ちに考えないほうがよいと思っています。
で、その次の文例が1903年の国木田独歩。
前の「二六時中」の文例は、高橋是清や夏目漱石で明治後半。
まあ、だいたい20世紀初頭くらいが、
「二六時中」と「四六時中」のボーダーラインかなと、なんとなくですが、
推測できますね。
でも、わたし、もう1つ「二六時中」の例を見つけちゃったのです。
いちばん新しい使用例じゃないかな。
マッケンジー『朝鮮の悲劇』
この本です。
ちょっと読んで見ましょう。
日本側は、彼の生活をできうるかぎり不愉快なものにし、かつ彼の仕事にあらゆる妨害を加えた。彼の郵便物は絶えず干渉を受け、彼の召使いたちはいろいろな口実でおどされたり逮捕されたりしたし、彼の家族は二六時中監視の目にさらされた。
それにもかかわらず彼は、驚くべきほどの不撓不屈さを示し、数ヵ月にわたって屈服の気配をさらに示さなかった。
同書(東洋文庫222、昭和47年12月、初版)212ページ。
多めに引用しました。
なぜなら、この本の内容が重いから。
著者はイギリス系カナダ人のジャーナリスト、マッケンジーさん。
20世紀初頭に渡韓しています。
ソウルにもいたけど、途中から地方、とりわけ北部に行き、現地での日本軍の実態をレポートしており、生々しい証言がたくさん記されています。
1910年の韓国併合より前の、1905年くらいから、
韓国における日本軍の横暴は目に余るものだったと、
この本を読めばわかります。
…ということを、断片的にでも感じ取ってもらいたいと思い、
多めに引用しました。
引用部分にある「彼」とは、ソウルで活躍するアメリカ人ジャーナリストのこと。
彼は、現地での、日本軍の実態を新聞にして報道しているわけです。
それに対して、日本軍がこの記者や家族、使用人を徹底的にマークしている。
でも彼は容易にそれに屈しないわけですね。
マッケンジーさんは、そんな彼をリスペクトしているようですね。
っていうのはともかく。
そこに「二六時中」が出てくるわけです。
しかし、いうまでもなく、原著はマッケンジーさんなので英語です。
それを日本語に翻訳する際に、「二六時中」と表現したわけですね。
訳者は渡辺学さん。
奥付を見れば、大正2年(1913)広島県の生まれ。
京城大学を出て、武蔵大学人文学部教授。
朝鮮教育史、思想史が専攻。
がっつり住所も掲載されています。
昔の個人情報感覚~💦
出版は昭和47年(1972)。
ここまで「二六時中」の下限が下がっちゃいました
翻訳の原稿完成はいつなんだろうとは思うけど、もう誤差。
戦後になっても「二六時中」って使う人がいたってことですね。
「にっこく」に教えてあげたいなと思いつつ、
翻訳文は「にっこく」的には、文例として認めてくれるのだろうか、
という躊躇いはある。
「二六時中」も好きと言って
波に帰るのか
通りすぎゆく Love & Peace
夜をこのままに
サザンオールスターズ『真夏の果実』
仮に、こうなったとしても、四六時中と同じ意味です。
愛を半分しか求めていないわけではありませんので、ご注意ください。