こんにちは!
前回の投稿から一ヶ月経っていないと思いますが、書きたいと思った時が書き時だと思うので記事にします!
仕事のほうは順調ですね。
約二か月になりますが、無遅刻無欠勤は続いていますし、
仕事自体に慣れてきたのもあって極端な時間の使い方ではなく普通に近い起床時間などをしています。
勉強の方ですが、数学は2Bを一通り終え、各分野の苦手な部分を講義型参考書なども併用して一分野ずつ潰しているところです。
整数がどうにも苦手だったのですが、そちらの方は克服しました。
油断はできませんのでこれからも定期的に解きつつ、過去問などで実際に知識の使われ方を確認しようと思います。
英語、今月はこれがメインですね。
文法問題集を二週間で8周して必要な部分とTwitterでTOEIC990の方や英検一級持ちの方などがまとめているものも取り込んだまとめノートを作成しました。彼らがスコアを大きく伸ばした秘訣として語っていたのは、
当倍速でのシャドーイングや音読です。
これは異なる資格試験でも共通して重要視されている項目です。
ですので、私も受験勉強、資格試験ともに取り入れています。
文法、構文解釈に一区切りついたら、センター試験の過去問を使って同じ大問を解き続けていきます。
さかのぼれる分はすべてやります。
大問の3から6ですね。
化学、無機化学のまとめは作り終えました。
有機化学も作ってしまおうと考えていたんですが、ちょっと予定が前後して今は必要な部分を読み込んでいる状態です。
英語の方でひと段落ついたら作ります。
まとめを作るのにも慣れてきたせいか一番最初に作った理論のまとめの改善点が多く出てきたのでそのうち作り直します。
生物、自分でいうのもなんですが、自作のまとめが優秀です。
時間の取れない日でも15分などの細切れ時間で複数分野の重要事項や論述、グラフの意味を確認できるので、
その科目に触れない日がないのが嬉しい。
時間に余裕のある時には各分野の計算問題を解いています。
尿計算や酸素乖離曲線、分子時計、光合成量などですね。
全体として、今は数学を3まで終えることと後述する英語の勉強に力を入れています。
年内中には数学3も分野別に解きこなすことが出来ると思うので、そこからはfocus goldの後ろの問題を解きながら過去問で実践的な学習をしていきたいです。化学や生物も使っている問題集を一段上げていきます。
そのころになると多少の余裕が生まれるので現代文、古文漢文の勉強も始めます。
さてタイトルにある才能.ver2です。
端的に言えば、「天才とは正しい狂気、才能とは意志の具現」
才能とは終わりなく流動し続ける状態を指すものであり、変化し続ける限り終わることのないもの。
人間は、時間や能力、環境に境遇、周囲に関わる人間など移ろいゆくものに囲まれて生きる動物だ。
故に、一時の最適解をして才能と言わしめるほどの成果を上げたとしても、それは一時的なものである。
諸条件は変化していくのでその人にとっての答えもまた変わっていく。
そして、個人個人顔が異なるように、その答えもまた異なるものである。
「才能とは終わりなく流動し続ける状態、変化し続ける生」
上記の才能定義は主に能力面での才能であり、才能には人格としてのそれもあるというのが私の考えです。
例えば、非人間的ともいえる狂気を宿した行為を継続する性格や性質。
これが人格としての才能、頭抜けた人を見て遠く感じる理由でもあります。
彼我の遠さを感じさせるのは能力ではなく、むしろその人の在り方。
分かり易く言えば、狂人であるということです。
なぜ、私が才能や天才に固執するのかというと、
自分でいうのも間抜けな話だけど、自分には幾ばくかの才能があった。
でもそれは自らが求める成果には届かなかった。認められることのなかった才能。
他人が何か必死に成果を出したときに「才能があるからね」という言葉が嫌いだ。
一般的な才能や天才は天賦のもので変えようがないもの。
ゆえに多くの人間は思考することを放棄して、天才とは努力せずとも出来る人などという下らない認識を持つ。
だからこそ、私は自らの考えを、意志をを言葉に変えて、行動と成果、人生で己で定義した才能と天才を証明する。
才能とは天賦のものだけではない、天才とは特権などではないと私を含む多くの持たざる者に可能性を見せることが出来る。
定義を知り、或いは自らその定義を敷きそれを乗り越える。それも人生なんだろうな。
定義を限界という言葉に変えてもいい。
いずれにせよ、挑むということなんだろうな。
事の大小や対象は人それぞれだけど、
そうやって生きていけばいつか誰かに伝えられるなにかが自分に宿るし、自分の成りたい自分に届く。
まぁなんのことはない。
認められなかった自分に納得がいかなかったから自分に証明して満足したいだけなんです。
次!英検!
10月の頭から毎日英会話をしています。一日25分です。
折角なのでなにか資格に変えようと思った次第です。
英検は年三回の実施ですので、第3回の申し込みが11月下旬から12月上旬、そして一次試験が1月下旬で二次試験が2月下旬です。
挑むのは英検準一級です。
ただ過去問や単語帳を買ってみて見たり解いたり聞いたりしてみたところ、
単語に関しては8割がた知っている。リスニングのスピードは毎日のレッスンのほうがよほど早い。
なので、申込日までに準一級の過去問と単語帳を繰り返して、更に行けそうだと判断した場合は、
一番上の英検一級に挑みます!
英会話もジンバブエの先生で全く違う国の先生であるからか恥ずかしさは全くなく、積極的に自分から発言しています。
正直毎日25分のレッスンでは物足りないので、来月からは毎日50分のコースに変更します。
私にとって英語は中学生のころから、やらなければならない義務感でやっていた科目です。
ですが今は、自分の頭にあることを伝えたいという思いからやりたい勉強としてやっています。
自らの考えを異なる文化背景を持った人と共有できる手段、
だから自分の考えをより分かり易く相手に伝えて喜びや驚きを共有したいです。
なんの勉強でもそうだけど、必要性も感じず義務感でのみやっているなら伸びないよな。
自分にとっての理由を見つけて、格好悪くても必死で食らいついて貪欲に身につけようとして、
初めて本当に勉強していると実感がわくんじゃないかと思う。
最近思っていることの一つに、
人間として生まれるだけでは不完全で、人間になっていくものなんだなと。
人間にはなろうとしてなるものなんだなと考えている。
きっかけや理由、どういう環境や行動が他の人の人間になる条件かはわからないけど、
人として生まれて、人になる。
その過程で様々な知識や技術、経験を蓄積していく。
そして生きて関わることで他の人にきっかけを与えたり、見識や技術を託していく。
それが生きるという事なんだろうな。
今では当たり前になった知識や技術も先人たちが、困難や悲しみを乗り越えたり、
その人たちが直面していた現実に立ち向かってきた証であり、その人たちの心なんだと思う。
だから今を生きる私たちは彼らの目に見える知識や技術だけでなく、心も受け継いでここに立っている。
そして、今を今日を精一杯生きて明日の自分に今日まで自分を託して、
周囲の人に考えや技術、思いを託して繋いでいく。
それが人間の人生だと思う。
おまけで言うと、面接などで年齢を聞かれた際に上手い返しを思いついた。
確かに私は若さを失ったけど、体力を含めて一人の人間としての総合力なら今の私のほうがはるかに上だ。
昨日より今日、今日より明日。
私は自分に出来る限りのことをして、常に今の自分が全盛期と言える生き方をしてきた。
なにも問題はない。
逆に聞きたいが、お金、人間、環境、機会、境遇など私と比較してありとあらゆるものに恵まれているあなた方は、
なぜ今が全盛期だと胸を張って言えないのか?
それだけ恵まれていながら情けないと思うこともできないのか?
その有様で他人に何を教え授けることが出来るのか、論理的に説明していただきたい。
学問で、自らの意志で己の人生を切り開こうとする人間の邪魔をするために生きてきたのか?
今の私なら臆面もなく言ってのけるでしょうね。
何一つ間違っていないし、私は私に尽くせる全力を一日に注いで生きている。
恥ずべきことなど何もないから。
それでは、また一か月後に!
追記
あなたの思う、定義する才能・天才とはなんですか?私は他人の意見が聞いてみたい。
思うところのある方は是非意見を下さい。