DQMSLがまったりモードなので、この機会に久々に読書熱再来。小説を週に1冊ぐらい読めればと思っています。今回、読んだのは、宮本輝の代表作『道頓堀川』。
※僕の買った当時の表紙カバー
大学生の頃、ゼミの授業教材として読んで以来、約10数年ぶりに実家から引っ張り出してきました。
以前、ブログで書いたのですが、僕は小説を二度読むことをポリシーとして避けてきました。理由は、一つの作品をその時読んだ感覚と共に、思い出としてアルバムのようにしまっておきたいからです。※http://ameblo.jp/age69/entry-12051613950.html
ですが、結婚して子供も出来ると、少しばかり心境の変化が。
かつて子供だった自分と、今の大人である自分とで、読後の感覚が全く異なり、それは前に読んだ作品で有りながらも、違った風景を与えてくれます。
この作品も、今読み返して、凄く胸に突き刺さり新鮮な感動がありました。当時は、大阪の街も道頓堀もよく知らなかったのですが、今は小説に登場するミナミの地名や、その街を舞台とした夜の商売の人たちの心理描写もストレートに理解できるわけで、ある意味、今の自分にとって必要な小説であるなとも感じてしまいました。
まだ読んだ事が無い人、これか読む人のために、あらすじは伏せておきますが、解説の金子昌夫氏が、こんな文章を載せていますので抜粋、
《いうならば芸術のひとつのジャンルである文学という表現形態は、難解で高度な思想の代弁でもないし、深遠な宗教が諭す教義でもない。それこそ個々の人間にとって、おのおのが納得できる幸福感や生活の充実感を現す、ひとつの手段なのである。だが同時に、他に代替の利かない切実な現実感覚なのである。宮本輝氏の小説は、その意味で他の追随を許さない確固とした典型といえるのである》
これは一部ですが、この金子氏の解説が、自分の考えること、考えたかったことを、凄く明確に評してくれています。
これを読んだ後、自分の接するDQMSLというゲームもまた、川の様だなと感じる部分がありました。その汚泥の川辺の街に住む人たち(あえて社会の混沌とした部分という意味で汚泥と喩えますが)には、金持ちもいれば貧乏人もいて、社会人もいれば学生、主婦もいて、老若男女様々な人が一つの世界を構築しています。そしてそこでは、現実の世界と同様に喜怒哀楽が織りなされているわけです。
Twitterやブログをしていると、そんなDQMSLという川の元に作られる街を感じ、そしてそれを俯瞰的に眺めれる自分が物語の主人公のようにも思えてくるわけです。
それが僕のこのゲームの一番の楽しみ方なのかも知れません。
なので、どんなに汚くて綺麗でなくても、川の流れだけは止めないで欲しいと運営さんには思うわけで、そしてまた是非ともこの小説はDQMSLユーザーには読んで欲しい作品でもあります。
ゲームもまた、金子氏が述べる、「個々の人間にとって、おのおのが納得できる幸福感や生活の充実感を現す、ひとつの手段」なのですから。
※最新の表紙カバーイラスト

※僕の買った当時の表紙カバー
大学生の頃、ゼミの授業教材として読んで以来、約10数年ぶりに実家から引っ張り出してきました。
以前、ブログで書いたのですが、僕は小説を二度読むことをポリシーとして避けてきました。理由は、一つの作品をその時読んだ感覚と共に、思い出としてアルバムのようにしまっておきたいからです。※http://ameblo.jp/age69/entry-12051613950.html
ですが、結婚して子供も出来ると、少しばかり心境の変化が。
かつて子供だった自分と、今の大人である自分とで、読後の感覚が全く異なり、それは前に読んだ作品で有りながらも、違った風景を与えてくれます。
この作品も、今読み返して、凄く胸に突き刺さり新鮮な感動がありました。当時は、大阪の街も道頓堀もよく知らなかったのですが、今は小説に登場するミナミの地名や、その街を舞台とした夜の商売の人たちの心理描写もストレートに理解できるわけで、ある意味、今の自分にとって必要な小説であるなとも感じてしまいました。
まだ読んだ事が無い人、これか読む人のために、あらすじは伏せておきますが、解説の金子昌夫氏が、こんな文章を載せていますので抜粋、
《いうならば芸術のひとつのジャンルである文学という表現形態は、難解で高度な思想の代弁でもないし、深遠な宗教が諭す教義でもない。それこそ個々の人間にとって、おのおのが納得できる幸福感や生活の充実感を現す、ひとつの手段なのである。だが同時に、他に代替の利かない切実な現実感覚なのである。宮本輝氏の小説は、その意味で他の追随を許さない確固とした典型といえるのである》
これは一部ですが、この金子氏の解説が、自分の考えること、考えたかったことを、凄く明確に評してくれています。
これを読んだ後、自分の接するDQMSLというゲームもまた、川の様だなと感じる部分がありました。その汚泥の川辺の街に住む人たち(あえて社会の混沌とした部分という意味で汚泥と喩えますが)には、金持ちもいれば貧乏人もいて、社会人もいれば学生、主婦もいて、老若男女様々な人が一つの世界を構築しています。そしてそこでは、現実の世界と同様に喜怒哀楽が織りなされているわけです。
Twitterやブログをしていると、そんなDQMSLという川の元に作られる街を感じ、そしてそれを俯瞰的に眺めれる自分が物語の主人公のようにも思えてくるわけです。
それが僕のこのゲームの一番の楽しみ方なのかも知れません。
なので、どんなに汚くて綺麗でなくても、川の流れだけは止めないで欲しいと運営さんには思うわけで、そしてまた是非ともこの小説はDQMSLユーザーには読んで欲しい作品でもあります。
ゲームもまた、金子氏が述べる、「個々の人間にとって、おのおのが納得できる幸福感や生活の充実感を現す、ひとつの手段」なのですから。
※最新の表紙カバーイラスト
