少し前に浜田省吾の話題を出した記事で、DQMLのフレンドの方からメールを頂きました。僕は、浜田省吾はかなり好きなんですが、ブログで浜田省吾という単語を出したのは前回が初めてだったのをワード検索して知りました。自分自身に意外ですw

※実は、9月ぐらいに下書きすませていたのですが、アップのタイミングがないので、裏でアップすることにしました。

好きな作家と同じくらいに、皆さん好きな歌手というのが存在するのではないでしょうか? 好きな作家というのはピンとこなくても、好きな歌手といえば答えることができる人も多いでしょう。音楽を聴かずに、思春期や青春時代を過ごして来た人は少ないと思います。

僕は、好きな作家と同じくらい好きな歌手が何人かいます。僕の周りの友達や知人から言わせれば、ああやっぱりねとかいう意見が返ってくるでしょうが、一番といえばやっぱり浜田省吾だと思います。

オールドファンなどとは言わないでください。まだ彼は現役バリバリに全国コンサートなど精力的に活動しているミュージシャンなのです。

彼の良さは幅広い年齢層に受け入れられている歌詞と音楽性にあると思います。そして、今なお音楽ロックを通じて昔と変わらぬ同一性のメッセージを込め続けているのです。

40代を越えて現役のロックミュージシャンという人はそうはいません。以前、とあるロック歌手が語っていましたが、若者の象徴であり反社会性を歌い上げるロックミュージックに大人は相容れないというのは、あながち間違いではないでしょう。いい大人がまだそんなこと言ってるのかと、周りには馬鹿にされ、社会という周囲の目に従順になってしまうからです。

浜田省吾が今なおロック歌手であり得るのは、彼の一貫したスタイルを貫くという強くハードな魂に起因しているのは間違いないわけです。彼は、常に言っています。「俺の初恋はロックで、未だにロックに恋をしている」と。こんな臭いことを60過ぎの親父が言えるんですから、感涙ものです。そんな、彼の歌は時代を超えてなお心に染みいります。反社会的な歌や失恋の曲も多いですが、本質はそれを昇華して見える社会に生きる人々の儚さと熱さです。大人になって失っていく何かLost childを、聴き手に思い出させてくれるわけです。

金木犀の匂いが香り始めた今日この頃、秋から冬が近づくたびに、何故か浜省の歌をまた聴きたくなります。彼の曲が流れ出すだけで、そこにドラマが生まれるからです。活字に疲れたときは、音楽という文学に触れてみるのも芸術の秋にふさわしいのかもしれません。

君の肩に悲しみが 雪のように積もる夜には
心の底から 誰かを愛することが出来るはず
孤独で 君のからっぽの そのグラスを
満たさないで

誰もが泣いてる
涙を人には見せずに
誰もが愛する人の前を
気付かずに 通り過ぎてく
(悲しみは雪のように)