経済の仕組みをちょっと考えると、世の中わりとシンプルで、生産者と消費者で成り立っているだけだなと思います。要は、売る側と買う側です。言い換えると、お金を払う側と、その対価として何かを売るもしくは労働する側です。

売り手買い手の関係なさそうな、銀行などであってもざっくり言うとお金を預かるという行為を売っていますし、公務員であっても間接的ですが国家が携わる必要な労働力です。公務員の場合は、売るのではなく、税金で徴収されているので、若干意味合いが異なりますが、消費者である国民はそのサービスに対して税金という等価を払っているので売っているのに近いと思います。

では、ゲーム会社って何を売っているのか?

となると、答えはやはり娯楽だと思います。娯楽というのを辞書で引くと、

「仕事や勉学の余暇にする遊びや楽しみ。また、楽しませること。」とあります。

遊びや楽しみに対して消費者はお金を払うわけです。つまりはゲームによって楽しめるその時間を売っていると言い換えれます。

クイキンはどうなんでしょう?

お金を払うのが遊びや楽しみに対してであれば良いのですが、別の目的であればそれは消費者心理とはかけ離れています。ゲームでの課金が娯楽ではなくなれば、それはもはやゲームではなく別の商品であると認識した方が良いでしょう。これは、売り手側の問題だけでなく、買い手側のユーザーにも問題がありますが。

つまりは、ゲーム会社がキャラを売っているのであれば、これはもはや娯楽を売っているのでは無く、商品(物)を売っているに過ぎませんし、それを求めて買うユーザも同義です。

楽しむための時間を買うのと、物を集める楽しみを買う、という事は似て非なる物です。

ビジネスであるが故に、ゲーム会社や消費者がいつの間にか知らずにその方向性になってしまうこともあるのでしょうが、それをはっきり認識しておかないと、相手が何を売り、何を買っているのか分からなくなってしまいます。悪徳なゲーム会社はわざと、知らず知らずのうちにユーザーをそのように誘導したりもします。

しかし、それってもう娯楽を売るゲーム会社じゃなく、商品を売ってる販売会社ですから。

どうも、クイキンがその方向性にあるような気がしてなりません。先日ブログにも書きましたが、それぞれがクイキンでどう楽しみ、その楽しみを買うのであれば、賢者の石にお金を払うのも構いませんが、ゲームはあくまで娯楽であり、娯楽の時間でなければ、それは別の商品だと認識して置いた方が良いです。

行動力50溜めるのに約4時間、召喚魔法一撃で5分もかからずクエストクリア。これって、果たしてゲームと言えるのかどうかですよね?

僕が子供の頃に流行ったビックリマンチョコ。カード集めに子供たちはハマリましたが、これを娯楽産業とは言わないはずです。そもそも子供たちはチョコレートを買っているのかカードを買っていたのか?

この商品戦略は画期的なくらい凄いシステムで、今のガチャなどに繋がるものだと思います。チョコレートは大人を納得させるもの、カードは子供たちを納得させるものだったわけです。カードだけなら親は買わないですが、チョコーレトが付いているからお菓子として買ってあげるという心理的な言い訳が出来るようにしていたのです。子供にすればお菓子はいらず、カードだけ欲しかったのですが。

一つの商品の中に、二つの価値観を複合させていたわけですね。

その手法を、課金のネットゲーム(ソーシャルゲームやネイティブアプリゲーム、ウェブブラウザゲーム)の大半がそれを利用しています。ゆえに子供心のある大人ほど、ハマるのではないでしょうかね。納得するのも自分で満足するのも自分ですが。

この原因はビジネスモデルにもあります。ファミコンの時代はゲーム会社はソフトの販売利益で設けていました、ネットゲームは少々複雑で、『ソフト販売で収益を得るパターン』、『毎月のランニングの課金で収益を得るパターン』、『無料で広告収入で収益を得るパターン』、『ゲーム内の課金で収益を得るパターン』、そしてそれぞれの複合型パターンと多くあります。

この中でも僕は最後の『ゲーム内での課金で収益を得る』というビジネスモデルこそ、ゲームを名乗っているだけのマーケットビジネスだと強く思うのです。