読書の秋とは、一般的に夜が長いから読書をするのに最適というのが定説ですが、ぼくはどちらかというと、秋は読書をしたくなる気分になる季節だから読書の秋だと感じています。

郷愁、旅愁、哀愁など、センチメンタルな感情を表す言葉には秋の文字が含まれています。

年始に掲げた目標は月一冊は小説を読むでしたが、なかなか実行できませんでした。読む時間はあっても、読む気分ではなかったというのが本音です。読書をすることが目的であっては意味がありません。読書をしたいと思って読むというプロセスこそが本意であるわけです。

そういうわけで、久しぶりに本を読みました。

浅田次郎の「地下鉄に乗って」です。

映画化もされて以前、テレビでも放映されていたので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。浅田次郎の初期の秀作の一つです。

浅田次郎の作品は、それほど多くは読んでいませんが、文章が洗練されていて尚且つ嫌みではないので、スッと頭に入ってきます。初期作品のためか、プロットや文章がやや複雑化するところもありましたが、それを差し引いても良作であることは間違いないです。

内容には触れませんが、解説の吉野仁氏が巧い文章で本作を表していますので抜粋しておきます。


 幸せとは、懐かしさのなかにあるのではないか。ときおり、そう感じる。
 人は、だれしも生きてきた土地と時代に無縁ではいられない。家族という血縁から逃れられないように。そのために、自分の思いどおりには生きられず、苦しみばかりを味わってきたという人は多いかもしれない。
 だが、年月を経ることで、自分とかかわったさまざまな縁のかたちが、ちがった側から見えてくる。過ぎた日々は戻らない。起こった事実を受け止めるしかない。無心になって過去を振りかえると、そのときには気がつかなかった、かけがえのなさと親しみを覚えることがある。懐かしく思いはじめるのだ。
 そしてまた、辛苦や悔恨の情が深く刻まれた思い出ほど、いま自分がここにいることを強く感じさせてくれるだろう。楽しさや悲しさといったひとつの気持ちから生まれる幸福感や不幸感ではなく、もっと複雑で矛盾した「懐かしさ」こそ、生きている証しとなる感情といえるかもしれない。
 浅田次郎『地下鉄に乗って』は、そんな懐かしさを感じさせる小説だ。胸が苦しくなるような切なさと、もう一度しっかり足元を踏みしめながら歩いていこうという高揚感を読み手に抱かせる物語なのである。


言葉にすればこんな感じの小説であり、それを言葉ではなく体感させてくれるのが小説でもあります。


ゆけ勇者にハマりながらの日常